9/6 マタイ福音書のイエス (第90回)~苦しむ人を救う人〜

2026年9月6日 主日礼拝
聖書講話 「マタイ福音書のイエス (第90回)~苦しむ人を救う人〜」
聖書箇所 マタイ福音書 11章4〜6節 話者 三上 章
[聖書協会共同訳]
下線は検討を要すると思われる部分
マタイによる福音書 11章 04節 イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。 5 目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、規定の病を患っている人は清められ、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。6 私につまずかない人は幸いである。」

4 καὶ ἀποκριθεὶς ὁ Ἰησοῦς εἶπεν αὐτοῖς · Πορευθέντες ἀπαγγείλατε Ἰωάννῃ ἃ ἀκούετε καὶ βλέπετε ·
そして答えて,イエスは言った←彼らに.「あなたがたは行って,報告してください←ヨハネに/←あなたがたが聞いており,見ていることどもを.
4..1 「そして答えて,イエスは言った←彼らに」
4.1.1 「答えて・・・言った」
七十訳ギリシア語聖書(LXX)の語法を踏襲している.イエスや初期キリスト教の時代,この聖書が広く用いられていたことを示す.
4.1.2 「イエス」
福音書記者マタイは,イエスの口を借りて,自分のイエス・キリスト観を語る.
4.1.3 「彼らに」
浸礼者ヨハネの学友たちを指す.浸礼者ヨハネは彼らを通じて,イエスに「あなたこそわたしの後に来つつある人,すなわちクリストスですか?」と質問した.
4.2 「あなたがたは行って,報告してください←ヨハネに/←あなたがたが聞いており,見ていることどもを」
4.2.1 「あなたがたは行って,報告してください」
これも,LXXの語法.「報告する」(アパンゲロー)は,ありのままに報告する.歪曲しない.
4.2.2 「ヨハネに」
浸礼者ヨハネといえば,ヨハネ教団の指導者である.ナザレのイエスは,この教団に入会し,修業した.このイエスをヨハネは知らないはずがない.もちろん,イエスが有望な青年であることは,察知していたであろう.やがて,イエスは独立して伝道を始めた.その華々しい活動に関しては,折りに触れてヨハネの耳に届いたであろう.しかし,自分の目で確かめたことではない.彼は確証が欲しかった.
4.2.3 「あなたがたが聞いており,見ていることどもを」
今,ヨハネの学友たちは,イエスから直接にイエスが行った行為を聞いている.また聞きではない.
5 τυφλοὶ ἀναβλέπουσιν καὶ χωλοὶ περιπατοῦσιν, λεπροὶ καθαρίζονται καὶ κωφοὶ ἀκούουσιν, καὶ νεκροὶ ἐγείρονται καὶ πτωχοὶ εὐαγγελίζονται ·
視覚障害の人たちが見えている.そして歩行困難な人たちが歩きまわっている.そしてレプラの人たちが浄くされている.そして聴覚障がいの人たちが聞こえている.そして死者たちが起こされている.そして極貧の人たちが報酬を得ている.
5.1 「視覚障害の人たちが見えている」
クリストスの行為の第一は,視覚障害の人たちに対する治癒行為.

5.2 「歩行困難な人たちが歩きまわっている」
クリストスの第二の行為は,歩行困難な人たちに対する治癒行為.

5.3 「レプラの人たちが浄くされている」
クリストスの第三の行為は,レプラの人たちに対する治癒行為.「浄くされている」(カタリゾマイ)は,宗教的タブーの浄化を含む.

5.4 「聴覚障がいの人たちが聞こえている」
クリストスの第四の行為は,聴覚障がいの人たちに対する治癒行為である.

5.5 「死者たちが起こされている」
クリストスの第五の行為は.死者たちを起こす治療行為である.「起こす」(エゲイロー) は,ここでは死者たちの中から起こすと言う意味.受動相なので,「起こされている」.クリストスは死者たちをよみがえらせる.自然学の観点からは,瀕死の人が命をとりとめることはあるが,死者のよみがえりはありえない.ただし,宗教的文学としてはありうる.

5.6 「極貧の人たちが報酬を得ている」
クリストスの第六の行為は,極貧の人たちに対する治癒行為である.この場合,治癒行為は地位向上運動と言い換えたほうがよいかもしれない.「報酬を得ている」(エウアンゲリゾマイ)は,「(伝令が)ほうびをもらう」が原義.そのほうびとは,イエス・キリストにほかならない.ここでは,おそらく極貧の人たちが,キリストの助けによって仕事を与えられ,正当な報酬を得ることを指している.クリストスは,社会の最貧困層の地位向上を支援する.クリストスのこの行為を反映するものとして,賀川豊彦を紹介する.

1921年,生活協同組合創設.

自叙伝『死線を越えて』

6 καὶ μακάριός ἐστιν ὃς ἐὰν μὴ σκανδαλισθῇ ἐν ἐμοί.
そして至福です←誰であれ躓かない人は←私に.
6.1 「至福です」(マカリオス)
「マカリオス」は,単に幸福ではなく最高に幸福.マタイ福音書記者は,イエスの口を借りて,浸礼者ヨハネに,あなたは最高に幸福ですと言っている.斬首されるであろう人が最高に幸福な人であることが,ありうる.

6.2 「誰であれ躓かない人は」
「躓く」は「躓かせる」(スカンダリゾー)の受動相.「躓かせられる」が自動詞的な「躓く」の意味になる.「スカンダロス」の同族語で,「スカンダロス」は「罠についている引きがね」,「わな」,「躓かせる石」を意味する.さらに,比喩的に「(他者を)誤りや罪に引き込む人」を意味する.ここでは,最後の意味.
6.3 「私に」(エモイ)
「モイ」(わたし)の強調形.「このわたし」,「ほかでもなくわたし」という含蓄がある.イエス・キリストを指す.イエス・キリストに躓かないということは,イエスはうそつき・ほらふき・にせものではなく,本物である,クリストスであると認識することである.
6.3 小さなクリストス
適用として言えば,医療に従事する人たちは,クリストスご自身とまではいかないが,小さなクリストスである.社会福祉に従事する人たちも,小さなクリストスである.そして,わたしたち一人ひとりも,たとえ専門家でなくても,自分にできることを実行することによって,小さなクリストスになることができる.



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