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8/23 マタイ福音書のイエス (第88回)~巡回教師を饗(もてな)す人のほうび〜

  • 執筆者の写真: 平岡ジョイフルチャペル
    平岡ジョイフルチャペル
  • 15 時間前
  • 読了時間: 6分

2026年8月23日 主日礼拝

聖書講話     「マタイ福音書のイエス (第88回)~巡回教師を饗(もてな)す人のほうび〜」

聖書箇所    マタイ福音書 10章40〜42節   話者 三上  章


      [聖書協会共同訳]  

 下線は検討を要すると思われる部分です.

マタイ福音書 10章 40節 「あなたがたを受け入れる者は、私を受け入れ、私を受け入れる者は、私をお遣わしになった方を受け入れるのである。41 預言者を預言者だということで受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者だということで受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。42節 よく言っておく。私の弟子だということで、この小さな者の一人に、冷たい水を一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」



 以下は三上の逐語訳です.

40 Ὁ δεχόμενος ὑμᾶς ἐμὲ δέχεται, καὶ ὁ ἐμὲ δεχόμενος δέχεται τὸν ἀποστείλαντά με.

歓待している人は←あなたがたを/このわたしを歓待しています.そして,このわたしを歓待している人は/歓待しています←派遣したお方を←わたしを.


40.1 「歓待している人は←あなたがたを/このわたしを歓待しています」

40.1.1 「歓待している人」

 「デコマイ」は,単に「受け入れる」だけではなく「親切に受け入れる」.それゆえ,「歓待する」と訳した.

40.1.2「饗す」と言ってもよい.飲食でもてなす.宿泊させる.お風呂に入れる,など.

40.1.3 「あなたがた」

 マタイ教会の時点では,マタイ教会の巡回教師をさす.福音書記者マタイは,彼らに向かって,あなたがたを歓待をしてくださっている人たちに,感謝することを忘れてはいけない,と言っている.

40.1.4 「このわたしを歓待しています」

 「このわたしを」と訳した「エメ」は,「わたし」の強調語.他でもなく,このわたしを,わたし自身をという意味合いがある.マタイのキリストは,巡回教師に向かって,あなたがたを饗している人はキリストを饗している,と言っている.神秘的にも聞こえる言い方ではあるが,巡回教師とキリストを一つに見ている.巡回伝道者の背後にキリストを見ている,とも言える.


40.2 「そして,このわたしを歓待している人は/歓待しています←派遣したお方を←わたしを」

40.2.1 「派遣したお方を←わたしを」

 キリストを派遣したお方とは,父なる神である.マタイのイエスは,巡回教師を饗す人はキリストをもてなすだけではなく,さらに父なる神を饗す,と言っている.なんと透徹した観かたであろう.


41 ὁ δεχόμενος προφήτην εἰς ὄνομα προφήτου μισθὸν προφήτου λήμψεται, καὶ ὁ δεχόμενος δίκαιον εἰς ὄνομα δικαίου μισθὸν δικαίου λήμψεται.

歓待している人は←ある預言者を/←のゆえに/←名前←ある預言者の,ほうびを←ある預言者の/受け取るでしょう.そして,歓待している人は←ある正しい人を/←のゆえに/←名前←ある正しい人の,ほうびを←ある正しい人の/受け取るでしょう.



41.1 「歓待している人は←ある預言者を/←のゆえに/←名前←ある預言者の,ほうびを←ある預言者の/受け取るでしょう」

41.1.1 「歓待している人は←ある預言者を」

 「ある預言者」とは,前述の巡回教師の言い換えであると思われる.現代では,巡回教師は「宣教師」と呼ばれたりするが,マタイ教会の時点ではそのような専門用語はなかった.むしろ,当時の人々には「預言者」という呼称のほうがしっくりきたのではないかと思われる.預言者というと,モーセ,エリヤ,バプテスマのヨハネを思い浮かべたであろう.マタイ教会の巡回教師は,預言者であった.

41.1.2 「のゆえに/←名前←ある預言者の」

 ある預言者であるという理由で,という意味.セム語的表現である.私自身も,牧師であるという理由で,かたじけなくも国内・国外で歓待された経験がある.

41.1.3 「ほうびを←ある預言者の/受け取るでしょう」

 「の」という属格の意味は,預言者が与えてくれる,という意味に取りたい.主語的属格という.預言者が与えてくれる「ほうび」(ミストス)とは,「福音」(エウアンゲリオン)である.そして,「エウアンゲリオン」とは,そもそも「ほうび」という意味である.具体的には,復活したイエス・キリストである.巡回教師を歓待する人は,今ここに生きておられる,救い主イエス・キリストをほうびとしていただくことができる.福音(エウアンゲリオン)をいただくことができる.


41.2 「そして,歓待している人は←ある正しい人を/←のゆえに/←名前←ある正しい人の,ほうびを←ある正しい人の/受け取るでしょう」

41.2.1 「ある正しい人」

 さらに,「預言者」としての巡回教師は,「正しい人」(ディカイオス)と言い換えられている.「正しい人」とは誰か?それは,使徒パウロにとって大きな問題であった.「正しい人」とは,イエス・キリストである.真実・忠実・誠実な人生を貫いたキリストである.このお方の後に付いて行くことが,パウロにとっての「ピスティス」(信)であった.マタイ教会の巡回教師も,「正しい人」になることを目指した.それは困難な道行きであるが,真に価値のある人生である.「福音」としての救い主イエス・キリストを人々に伝えることは,巡回教師にとって大いなる栄誉であり,他方,歓待する人にとって何にもまさるほうびである.



42 καὶ ὃς ἂν ποτίσῃ ἕνα τῶν μικρῶν τούτων ποτήριον ψυχροῦ μόνον εἰς ὄνομα μαθητοῦ, ἀμὴν λέγω ὑμῖν, οὐ μὴ ἀπολέσῃ τὸν μισθὸν αὐτοῦ.

そして,飲ませることができる人は←一人に←これらの小さい人たちの/1杯の冷たい水を,ただ/←のゆえに/←名前←ある学友の,─アメーン,わたしは言います←あなたがたに─,決して失わないでしょう←ほうびを←自分の.


42.1 「そして,飲ませることができる人は←一人に←これらの小さい人たちの/1杯の冷たい水を」

42.1.1 「飲ませることができる人は←1杯の冷たい水を」

 巡回教師を歓待するとはどういうことか?お出しするごちそうもない,お泊めする部屋もない,お布施するお金もない.そういう人は,巡回教師を歓待することはできないのか?決してそうではない.1杯の冷たい水を飲ませることはできる.水は水でも,「冷たい」水である.それは歓待する温かい心である.

42.1.2 「一人に←これらの小さい人たちの」

 さらに,「正しい人」としての巡回教師は「小さい人」(ミクロス)と言い換えられている.マタイのイエスは巡回教師を「小さい人」と見る.想うに,イエスは小さいものを慈しんだ.たとえば,野の百合や幼子.「正しい人」は,イエスの慈愛の眼差しを一身に受け取っている人である.


42.2 「ただ/←のゆえに/←名前←ある学友の」

 さらに,「小さい人」としての巡回教師は「学友」(マテーテース)と言い換えられている.「マテーテース」は通常「弟子」と翻訳されるが,原義は「学習する人」である.共に学習する人である.それゆえ,「学友」と訳した.そもそも,イエスはペテロやアンドレアスを学友と見なした.巡回教師は家の教会に行って,教えを垂れる人ではなく,家の教会のクリスチャンたちと共に学習する人である.

42.3 「─アメーン,わたしは言います←あなたがたに─」

 福音書記者マタイは,イエスの熱き思いを代弁している.

42.4 「決して失わないでしょう←ほうびを←自分の」

 巡回教師に1杯の冷たい水を飲ませるクリスチャンも,イエス・キリストというほうびをいただくのにふさわしい.

 
 
 

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