5/24 マタイ福音書のイエス (第78回)~巡回伝道者と家の教会〜
- 平岡ジョイフルチャペル

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2026年5月24日 主日礼拝
聖書講話 「マタイ福音書のイエス (第78回)~巡回伝道者と家の教会〜」
聖書箇所 マタイ福音書 10章13〜15節 話者 三上 章
[聖書協会共同訳]
※下線は修正の余地があると思われる部分
13 その家がふさわしければ、あなたがたの願う平和がそこを訪れるようにしなさい。ふさわしくなければ、その平和があなたがたに返って来るようにしなさい。 14 あなたがたを受け入れず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいれば、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。 15 よく言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムとゴモラの地のほうが軽い罰で済む。」

以下は原文の解明に基づく三上の語順訳と講解です.
13 καὶ ἐὰν μὲν ᾖ ἡ οἰκία ἀξία, ἐλθάτω ἡ εἰρήνη ὑμῶν ἐπ’ αὐτήν · ἐὰν δὲ μὴ ᾖ ἀξία, ἡ εἰρήνη ὑμῶν πρὸς ὑμᾶς ἐπιστραφήτω.
そして,もし一方でその家が釣り合っている場合は,来ますように←あなたがたのそのエイレーネーが←その上に.しかし,もし他方で(その家)が釣り合っていない場合は,あなたがたのエイレーネーがあなたがたに戻って来ますように.
13.1 「そして,もし一方でその家が釣り合っている場合は,来ますように←あなたがたのそのエイレーネーが←その上に」
13.1.1 「そして,もし一方でその家が釣り合っている場合は」
「その家が」(ヘー・オイキア)という時,福音書記者マタイは,マタイのクリスチャン共同体である家の教会を意識していたであろう.「釣り合っている」(アクシオス)というのは,巡回伝道者を引き受けてくれる家の教会は,巡回伝道者と価値観の点で釣り合いがとれている必要がある.信仰において,知的水準において,仕事の種類において,生活スタイルにおいて,である.巡回伝道者はそういう家に泊めてもらうのが妥当である.
13.1.2 「来ますように←あなたがたのそのエイレーネーが←その上に」
「エイレーネー」というギリシア語は,「平安」を意味する.アラム語では「シャローム」である.ユダヤ教徒たちは,「シャローム」を挨拶言葉とした.心が休まる気持ちがする.巡回伝道者のエイレーネーがその家の上に来ますようにとは,よろしければ,ぜひ私たちを宿泊させてくださいという願いを示す.
13.2 「しかし,もし他方で(その家)が釣り合っていない場合は,あなたがたのエイレーネーがあなたがたに戻って来ますように」
13.2.1 「しかし,もし他方で(その家)が釣り合っていない場合は」
その家の教会が,巡回伝道者の価値観と合致しない場合がありうる.巡回伝道者を宿泊させることによって,いかにも自分を立派そうに見せようとする.巡回伝道者から贔屓にしてもらおうとたくらむ.関心が,伝道ではなく自己宣伝にあるということもありうる.そういう場合,巡回伝道者はどうすべきであろうか?
13.2.2 「あなたがたのエイレーネーがあなたがたに戻って来ますように」
その家の戸口で,巡回伝道者はシャロームと言ったものの,その家の主の言葉と態度によって,釣り合いがとれているかどうかがわかろうというものであろう.純粋に歓迎されていないことがわかるならば,それ以上に歩を進めないこと,それを「シャロームが自分たちに戻って来ますように」という文言が,示している.
14 καὶ ὃς ἂν μὴ δέξηται ὑμᾶς μηδὲ ἀκούσῃ τοὺς λόγους ὑμῶν, ἐξερχόμενοι ἔξω τῆς οἰκίας ἢ τῆς πόλεως ἐκείνης ἐκτινάξατε τὸν κονιορτὸν τῶν ποδῶν ὑμῶν.
そして(その家が)受け入れない場合←あなたがたを,そして聞き入れない場合←あなたがたの言葉の数々を,出て行く時に←外に←その家かあのポリスの,あなたがたは払い落としますように←ちりを←あなたがたの足の.
14.1 「そして(その家が)受け入れない場合←あなたがたを,そして聞き入れない場合←あなたがたの言葉の数々を」
14.1.1 「そして(その家が)受け入れない場合←あなたがたを」
イエスの生前の時に即して考えるならば,イエスによって派遣された12使徒を受け入れないユダヤ教の家もあったであろう.その家のユダヤ教と12使徒のユダヤ教が釣り合わない場合,である.旧態依然としたユダヤ教対改革的ユダヤ教である.保守主義的ユダヤ教対自由主義的ユダヤ教である.その家のユダヤ教がいわば水と油のようにイエスのユダヤ教と交わらない時,12使徒を受け入れないであろう.
14.1.2 「そして聞き入れない場合←あなたがたの言葉の数々を」
ひるがえって,マタイ教会の時に即して考えてみよう.「(その家が)聞き入れない」とは,その家が,巡回伝道者が戸口で語った言葉を拒絶するということである.いわく.「救い主イエス・キリストは復活しました」であるとか,「キリストを信じる人は,救われます」.そう言った伝道の言葉は,その家にとっては戯言であり,自分たちの宗教に対する侮辱であるとして,それらを拒絶するということもあったであろう.
14.2 「出て行く時に←外に←その家かあのポリスの,あなたがたは払い落としますように←塵を←あなたがたの足の」
14.2.1 「出て行く時に←外に←その家かあのポリスの」
「その家」とあるが,キリスト教の巡回伝道者を拒絶するその家とは,旧来のユダヤ教絶対主義に凝り固まった家であろう.「あのポリス」とは,ユダヤ教以外の宗教が席巻するポリスを考えてみたらよいかもしれない.ギリシアの中心ポリスであるアテナイは,ゼウスやヘラといった神々を信奉しており,あまりパウロ一行が紹介したキリスト教を受け入れなかった.

アジア属州の中心ポリスであるエペソスは,アルテミス女神信仰が浸透しており,ポリスをあげてパウロ一行の伝道に猛反対した.こういった拒絶に対して,キリスト教の巡回伝道者はどのような反応を示すのが妥当であろうか?
14.2.2 「あなたがたは払い落としますように←塵を←あなたがたの足の」
「払い落とす」は,分離を意味する.「あなたがたの足のちり」は,拒絶する家の戸口やポリスで靴についたちり.ローマ人の靴は,革ひも型なので足に塵が付きやすい.その塵を払い落とすことは,その家やポリスとは関係がないことを象徴する.福音書記者マタイの見解によると,巡回伝道者はなすべき伝道をそれらに対して行ったのだから,あとはその家やあのポリスは自分たちの選択に対して自己責任を負わなければならないということであろう.こと宗教の選択に関しては,福音書記者マタイは手厳しい.宗教都市である人口約7万人の天理市には,プロテスタント教会が一つだけあるようだ.天理教の都市であるからそれでよいとわたしには思われるが,マタイの神学はそれを許さないようである.
15 ἀμὴν λέγω ὑμῖν, ἀνεκτότερον ἔσται γῇ Σοδόμων καὶ Γομόρρων ἐν ἡμέρᾳ κρίσεως ἢ τῇ πόλει ἐκείνῃ.
アメーン,わたしは言います←あなたがたに,より我慢できるでしょう←ソドム人たちやゴモラ人たちの地にとってのほうが←審判の日には//あのポリスにとってよりも.
15.1 「アメーン,わたしは言います←あなたがたに」
マタイは断言する種類の人であった.イエスの口を借りて宣言する.「あなたがたに」とは,イエスの時点では12使徒を,マタイの時点では巡回伝道者を指す.
15.2 「より我慢できるでしょう←ソドム人たちやゴモラ人たちの地にとってのほうが←審判の日には//あのポリスにとってよりも」
15.2.1 「より我慢できるでしょう」
比較している.気温35度より30度のほうが我慢できる.震度6より5のほうが我慢できる,といった用法である.我慢にもほどがある出来事もある.
15.2.2 「ソドム人たちやゴモラ人たちの地にとってのほうが」
『創世記』18〜19章によると,悪徳の町ソドムとゴモラは,その悪行を悔い改めなかったので,ヤハウェは硫黄の火を降らせ,それらの町を全滅させた(19章24節).ソドム人とゴモラ人にとって耐え難き刑罰であったが,それよりもっと耐え難い刑罰が待っていると,マタイはイエスの口を借りて言う.それはいつ起こるか?
15.2.3 「審判の日には」
いつ起こるかは人間にはわからないが,いつが神の審判が下るという宗教的見解を,マタイはもっていた.悪い人には神による刑罰が実行される日であるが,善い人には神による至上の幸福が与えられる日である.
15.2.4 「あのポリスにとってよりも」
「あのポリス」とは,イエスの12使徒を,あるいはマタイの巡回伝道者を拒絶したポリスである.そのポリスには神による最大級の刑罰がくだされると,マタイは言う.非常に過激な主張である.呪いか脅しの言葉に聞こえなくもない.しかし,そうではなく警告と取るべきであろう.キリストが派遣した人を受け入れない人は.キリストをも受け入れない.キリストを受け入れない人は,救われない.キリストを受け入れる人は,救われる.二者択一である.キリストを信じるか,それともキリストを信じないか,どちらか一つである.他の選択肢はない,という直進的言明である.だからこそ,マタイ教会は拒絶されることもあれば,受け入れられることもあった.むしろ,後者のほうが優勢であったのではないかと思われる.



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