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2/1 マタイ福音書のイエス (第66回)~掟主義にまさる慈善〜

  • 執筆者の写真: 平岡ジョイフルチャペル
    平岡ジョイフルチャペル
  • 2月1日
  • 読了時間: 6分

2026年2月1日 主日礼拝

聖書講話     「マタイ福音書のイエス (第66回)~掟主義にまさる慈善〜

聖書箇所    マタイ福音書 9章11〜13節   話者 三上  章


      [聖書協会共同訳]  

        ※下線は修正の余地があると思われる部分

11 ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたがたの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。13 『私が求めるのは慈しみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」


 以下は原文の解明に基づく三上の語順訳と講解です.



11 καὶ ἰδόντες οἱ Φαρισαῖοι ἔλεγον τοῖς μαθηταῖς αὐτοῦ · Διὰ τί μετὰ τῶν τελωνῶν καὶ ἁμαρτωλῶν ἐσθίει ὁ διδάσκαλος ὑμῶν;

そして見た時←パリサイ党員たちが,言った←彼(イエス)の学友たちに.「いったいなぜ収税吏(しゅうぜいり)・掟破りの輩と共に,食事をしているのか←あなたがたの教師は?」


11.1 「そして見た時←パリサイ党員たちが,言った←彼(イエス)の学友たちに」

11.1.1 「そして見た時←パリサイ党員たちが」

 「見た」という動詞が最初に来ている.見たことを強調している.目撃したという感じ.「パリサイ党員たち」と訳した「ホイ・パリサイオイ」は,宗教的政治団体の一つ.彼らが目撃したのは,イエスと学友たちが悪い人たちと共に食事をしている場面であった.秘密警察のようなパリサイ党員たちは,誰と誰が共に食事をしているかということまで探偵する.

11.1.2 「言った←彼(イエス)の学友たちに」

 イエスの行動が気に入らないのであれば,パリサイ党員たちは直接にイエスにいうのが筋であろう.そうではなくイエスの学友たちに言った.なぜか?イエスにおじけづいたか.それともイエスの学友たちも同罪と見なしたからか?マタイ教会の時点では,ユダヤ人クリスチャンたちが,非ユダヤ人クリスチャンたちと共に,家の教会で食事をする場面があったであろうことは,疑いがない.そういうユダヤ人クリスチャンたちを非難する掟主義クリスチャンたちもいたであろう.


11.2 「いったいなぜ収税吏(しゅうぜいり)・掟破りの輩と共に,食事をしているのか←あなたがたの教師は?」

11.2.1 「いったいなぜ」「ディア・ティ」

 「ティ」(なぜ)だけでも足りるのに,「ディア」という前置詞が冠せられている.強調の疑問詞である.強い非難が込められている.

11.2.2 「収税吏(しゅうぜいり)・掟破りの輩」

 一つの冠詞のもとに両者が一絡(ひとから)げにされている.彼らパリサイ党員たちは,人をこのように見た.偏見である.

11.2.3  「共に,食事をしている」

 人を差別することなく,誰とでも共に食事をし,交際を続けるのが,イエスの心であり生き方であった.


12 ὁ δὲ ἀκούσας εἶπεν · Οὐ χρείαν ἔχουσιν οἱ ἰσχύοντες ἰατροῦ ἀλλὰ οἱ κακῶς ἔχοντες.

彼(イエス)は(これを)聞いて,言った.「必要をもっていません←強健な人たちは↖治癒者の.そうではなく病弱な状態にある人たちが(治癒者の必要をもっています)」


12.1 「彼(イエス)は(これを)聞いて,言った」

 当然,掟主義者たちの非難は,イエスにも聞こえた.悪者呼ばわりされた人たちにも聞こえた.イエスは学友たちを代弁して言う.


12.2 「必要をもっていません←より強健な人たちは↖治癒者の.そうではなく病弱な状態にある人たちが(治癒者の必要をもっています)」

12.2.1「必要をもっていません」

 「必要」と訳した「クレイア」は,「欠乏」という意味ももつ.人は誰しも必要をもつ.お金の必要,知識の必要,健康の必要など.そういう必要をもっていない人は,少数であろう.必要をもっていないと思っている場合でも,実は必要をもっているということもある.

12.2.2 「強健な人たち」

 強健である人たち,またはそう思っている人たち.そういう人たちは「治癒者」(イアートロス)の必要をもっていない.「イアートロス」は医者にかぎらない.誰もが「治癒者」,癒やす人になることができる.



 アレクサンデル・デュマ作『モンテ・クリスト伯』の映画を見た.主人公のモンテ・クリスト伯ことエドモン・ダンテスは,悪い人たちによって,無実の罪で監獄に送られ,そこで長い年月を過ごした.その後,脱獄して巨万の富を手にし,モンテ・クリスト伯爵として自らを陥れた者たちに復讐する物語.三人の悪者たちは,結局,破産,投獄,自殺に追い込まれた.復讐は果たされたが,ダンテスの心は晴れない.むしろ,この先も生きていくことに絶望する.その時かつての恋人であり今も恋人であるメルセデスが,ダンテスに言う.「愛は癒やします」.ここでドラマは終わる.

12.2.3 「病弱な状態にある人たちが(治癒者の必要をもっています)」

 「病弱な状態にある人たち」とは,「収税吏(しゅうぜいり)・掟破りの輩」呼ばわりされていた人たち.彼ら・彼女らは,他者から言われなくても,自分の弱さや悪さを痛感していた.それゆえ,いやしてくれる人を必要としていた.


13 πορευθέντες δὲ μάθετε τί ἐστιν · Ἔλεος θέλω καὶ οὐ θυσίαν · οὐ γὰρ ἦλθον καλέσαι δικαίους ἀλλὰ ἁμαρτωλούς.

あなたがたは調べた上で学習してください←(以下の文言が)何であるかを.「慈善をわたしは欲します.そして供犠を(欲しません). なぜなら,わたしが来たのは呼ぶためです←正しい人たちではなく掟破りの人たちを」


13.1 「あなたがたは調べた上で学習してください←(以下の文言が)何であるかを」

13.1.1 「調べた上で」(ポレウテンテス)

 ここの「ポレウテンテス」は,単に「行く」ではなく「調べに行く」という意味だと思われる.ちゃんと調査しなさい.自分を調査しなさい.自分がどうであるかを吟味しなさい.他者を非難する資格があなたがたにありますか,ということ.

13.1.2 「学習してください」

 掟主義者たちが学習すべきことは,ソクラテスがしたように,自分自身を知ること,自分の自分に対する無知を知ることである.すなわち,


13.2 「慈善をわたしは欲します.そして供犠を(欲しません)」

13.2.1 「慈善をわたしは欲します」

 福音書記者マタイは,イエスの欲することを理解している.それは「慈善」(エレオス)

である.慈愛の心から発する慈善の行為である.社会的弱者を慈しみ,支援の手を差し伸べること,これがイエスの欲することである.

13.2.2 「供犠を(欲しません)」

 「供犠」(テュシア)は,神殿の供犠祭壇で犠牲獣を屠り,それを焼いて神に捧げる儀式.たとえば,掟破りの罪を償う供犠 (קָרְבַּן חַטָּאת, korban ḥatat,). マタイ教会の信奉する救い主イエス・キリストは,供犠を欲しない.供犠を欲するのは,祭司たちである.伝統的なユダヤ教神学に違反する大胆な思想である.


13.3 「なぜなら,わたしが来たのは呼ぶためです←正しい人たちではなく掟破りの人たちを」

13.3.1 「なぜなら」(ガル)

 イエスは自分の自由な思想と行動の説明をする.

13.3.2 「わたしが来たのは呼ぶためです」

 イエスがこの家のこの食事会に来たのには,目的がある.「呼ぶため」とは,食事会に出席したのは接待を受けるためではなく,人々を食事会に呼び,交際するためである.マタイ共同体の家の教会は,そういう機会と場所を提供した.

13.3.3 「正しい人たちではなく掟破りの人たちを」

 「正しい人たち(ディカイオイ)とは,自分は掟遵守者であると自負している人たち.そういう人たちをイエスは,拒絶するというのではなく,そういう人たちは,自分のほうからイエスを拒絶するということ.社会的弱者を拒絶するということである.そういう人たちであっても,自分の無知と無力を素直に認めるならば,イエスの友になることができる.「掟破りの人たち」(ハマルトーロイ)とは,そういう人である.全世界の人々はハマルトーロイである.イエスのような人によるいやしの必要がある.

 
 
 

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