1/25 マタイ福音書のイエス (第65回)~収税吏(しゅうぜいり)の家の食事会〜
- 平岡ジョイフルチャペル

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2026年1月25日 主日礼拝
聖書講話 「マタイ福音書のイエス (第65回)
~収税吏(しゅうぜいり)の家の食事会〜
聖書箇所 マタイ福音書 9章9〜10節 話者 三上 章
[聖書協会共同訳]
※下線は修正の余地があると思われる部分
9 イエスは、そこから進んで行き、マタイと言う人が収税所に座っているのを見て、「私に従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。10 イエスが家で食事の席に着いておられたときのことである。そこに、徴税人や罪人が大勢来て、イエスや弟子たちと同席していた。

以下は原文の解明に基づく三上の語順訳と講解です.
9 Καὶ παράγων ὁ Ἰησοῦς ἐκεῖθεν εἶδεν ἄνθρωπον καθήμενον ἐπὶ τὸ τελώνιον, Μαθθαῖον λεγόμενον, καὶ λέγει αὐτῷ · Ἀκολούθει μοι · καὶ ἀναστὰς ἠκολούθησεν αὐτῷ.
そして通り過ぎていたとき/イエスは/←そこから,見た/ある人間を←その収税場の上に座っている←マッタイオスと呼ばれている.そして彼(マッタイオス)に言う.「わたしの後についてきなさい.」そして彼(マッタイオス)は立ち上がったあと,彼(イエス)の後についていった.
9.1 「そして通り過ぎていたとき/イエスは/←そこから,見た/ある人間を←その収税場の上に座っていた←マッタイオスと呼ばれている.」
9.1.1 「そして通り過ぎていたとき/イエスは/←そこから」
「通り過ぎていたとき」は「そこから」(エケイテン)とつなげて読む.「そこから」とは,どこからか?イエスは宗教取り締まり人から難癖をつけられていたが,彼らを一蹴した.その場面から,ということ.
9.1.2 「見た/ある人間を←収税場の上に座っていた←マッタイオスと呼ばれている」
1) 「見た/ある人間を」
たまたま見えたということではなく,自発的・意図的に目を留めた,目にかけた,とわたしは解釈したい.「ある人間」(アントローポス)という言い方に着目したい.単純に偏見なしに「ある人間」である.イエスは人を人として見たということである.
2)「その収税場の上に座っていた」
「収税場」は「テローニオン」.古典ギリシャ語では「通行料金」という意味.「収税場」という意味で用いられるのは,新約聖書だけ.「その」(ト)という定冠詞がついているから,特定の収税場である.イエス一行は伝道の拠点であるカペルナウムというポリスにいたわけであるから,そこにに所在する収税場である.カペルナウムは漁業の街であるから,漁師たちに課せられた漁業税を徴収する場所かもしれない.仮設売店のブースまたは投票所に係りが座っているテーブルのようなものが,想定される.
「収税場の上に座っていた」の「上に座っていた」は,椅子の上に座っていたという意味であろう.
3)「マッタイオスと呼ばれている」
「マッタイオス」は,おそらく福音書記者マタイによる書き換え.マルコ福音書では「ハルパイの息子マッタイオス」であり,こちらが元の文言であると思われる.マタイ教会向きの書き換えである.
9.2 「そして彼(マッタイオス)に言う.「わたしの後についてきなさい.」」
初対面の人間にこういうことは言わない.マッタイオスはイエスの知り合いだったかもしれない.「後についてきなさい」(アコルーテオー)は,初期キリスト教会では,イエス・キリストにクリスチャンとして従っていくことを意味する専門用語.マタイ教会の時点での話ということになる.マタイ教会の中にも,収税吏であるクリスチャンがいたであろうことは大いにありうる.
9.3 「そして彼(マッタイオス)は立ち上がったあと,彼(イエス)の後についていった」
9.3.1 「立ち上がった」
マタイは収税吏をやめたということなのか,それとも物理的に立ち上がったということなのかは,不明である.クリスチャンになることは,収税吏のままでいることと,必ずしも矛盾しないと思われる.仏教における在家信者のような立場もありうる.在家信者は,布施によって出家者たちの衣食住を支援した.
10 Καὶ ἐγένετο αὐτοῦ ἀνακειμένου ἐν τῇ οἰκίᾳ, καὶ ἰδοὺ πολλοὶ τελῶναι καὶ ἁμαρτωλοὶ ἐλθόντες συνανέκειντο τῷ Ἰησοῦ καὶ τοῖς μαθηταῖς αὐτοῦ.
そして生じた/彼がクリネーに身を横たえていたとき←その家の中で,そして,見よ!大勢の収税吏(しゅうぜいり)たちと掟破りの者たちが,共に身を横たえていた←イエスと彼の学友たちと.

10.1 「そして生じた/彼がクリネーに身を横たえていたとき←その家の中で」
10.1.1 「そして生じた」(カイ・エゲネト)
七十人訳ギリシア語聖書によく出てくる表現.「さて」くらいの意味.場面の変化を示す.
10.1.2 「彼がクリネーに身を横たえていたとき」
「アナケイマイ」はそういう意味である.イエスは宴会に参加し,クリネーというソファーベッドに安楽に身を横たえていた.そして食事と歓談を楽しんでいた.誰の家においてか?
10.1.3 「その家の中で」
「家」(オイキア)に「その」(ヘー)という,特定化する定冠詞がついているから,マタイの家であろう.この語は,マタイ共同体に属する家の教会を示唆する.家の教会に集うことは,会食することであった.

10.2 「そして,見よ!」
「見よ!」(イドゥー)は驚きを表す.
10.3 「大勢の収税吏(しゅうぜいり)たちと掟破りの者たちが,共に身を横たえていた←イエスと彼の学友たちと」
10.3.1 「大勢の収税吏(しゅうぜいり)たちと掟破りたち」
1)「大勢の」(ポッロイ)
大勢の人を宴会に呼ぶことができるほど,マタイは裕福であり,彼の家は大きく,その宴会室は広かった.マタイ教会の時点でいうと,クリスチャンになった収税吏の長は,自分の家や財産を人々の幸せのために提供したということになろう.
2)「収税吏」(テローネース)
福音書では,「テローネース」は,宗教取り締まり人たちによって掟破りの犯罪者と決めつけられている.そういう偏った見方を,福音書以後に成立したラビ文献も反映している.すなわち,「テローネース」は,非ユダヤ教徒と接触のある不浄の者.泥棒あるいは強盗.通行料金を巻き上げる不正行為者あるいは詐欺.[参照] 『新約聖書神学辞典』.収税吏といっても,もちろん悪い人ばかりではない.良い人もいる.悪者呼ばわりされる当人とその家族の気持ちを,温かい心で配慮しなければならない.
2)「掟破りの者」(ハマルトーロス)
当時のユダヤ教徒たちは,特にその指導者たちは,だいたいが掟主義者であった.彼らはユダヤ教の掟を厳守すべきことを制定していた.そのため庶民の多くは不便と制約に苦しめられていた.それにもかかわらず,掟主義者たちは掟に違反する人たちを「ハマルトーロス」呼ばわりをした.よそ者,アウトサイダー,犯罪者呼ばわりである.どういう人たちをいうのか?筆頭はテローネース.非ユダヤ教徒.娼婦(ポルネー).ユダヤ教の掟を遵守しない人.掟の完全な遵守は不可能であるから,すべての人がハマルトーロスになってしまう.ハマルトーロス呼ばわりする人自身が,ハマルトーロスである.
初期キリスト教にもユダヤ教掟主義を引きずるクリスチャンがいた.彼らの観点からは,非キリスト教徒は全員がハマルトーロスということになる.
掟主義者たちはハマルトーロスと口をきくことをはばかった.ましてや共に食事をするなどということは,ゆゆしい掟違反であった.ところがこのたびはどうであったか?
10.3.2 「共に身を横たえていた←イエスと彼の学友たちと」
収税吏や掟破りの者たちが,しかも大勢が,イエスと共に食事をしていた.イエスの学友たちも同席していた.イエスは誰をも分け隔てなく温かい心で受け入れ,交際した.思い返してみると,アッシジのフランシスコはレプラの人を抱きしめた.ガンディーはヒンドゥー教徒でありながら,イスラム教徒やクリスチャンと交際した.マザーテレサはクリスチャンでありながら,困っているヒンドゥー教徒たちを支援した.蟻の街のマリアは,良家の娘でありながら,廃品回収業者たちの共同体に参入した.例に事欠かないが,問題は,わたしはどうなのか?わたしは何をしているのか?である.わたしなりにそれっぽいことを少しばかりしてきたし,今もしているつもりである.これからも続けたいと思う.

蟻の街のマリア 北原 怜子

ゼノ・ゼブロフスキー修道士



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