10/19 マタイ福音書のイエス (第54回)~〈天の父の望みを行う〉を検討する
- 平岡ジョイフルチャペル
- 15 分前
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2025年10月19日 主日礼拝
聖書講話 「マタイ福音書のイエス (第54回)
~〈天の父の望みを行う〉を検討する〜
聖書箇所 マタイ福音書 7章21〜23節 話者 三上 章
[聖書協会共同訳]
※下線は修正の余地があると思われる部分
21 「私に向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。天におられる私の父の御心を行う者が入るのである。22 その日には、大勢の者が私に、『主よ、主よ、私たちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をたくさん行ったではありませんか』と言うであろう。23 その時、私は彼らにこう宣告しよう。『あなたがたのことは全然知らない。不法を働く者ども、私から離れ去れ。』」
以下は原文の解明に基づく三上の私訳と講解.
21 Οὐ πᾶς ὁ λέγων μοι · Κύριε κύριε εἰσελεύσεται εἰς τὴν βασιλείαν τῶν οὐρανῶν, ἀλλ’ ὁ ποιῶν τὸ θέλημα τοῦ πατρός μου τοῦ ἐν τοῖς οὐρανοῖς.
〜ではない//わたしに言い続ける誰もが/←王子さま,王子さま,と//入るでしょう←諸天の中のその王国の中へ.そうではなく,行い続ける人が(入るでしょう←諸天の王国の中へ)←わたしの父の望みを←諸天の中の.
21.1 「〜ではない//わたしに言い続ける誰もが/←王子さま,王子さま,と//入るでしょう←諸天の中のその王国の中へ」
21.1.1 「〜ではない」
否定辞「ウー」が文頭に置かれ,話す相手を否定している.その相手はだれか?マタイ教会の時点では,マタイ教会のクリスチャンたちであろう.
21.1.2 「わたしに言い続ける誰もが/←王子さま,王子さま,と」
「わたしに言い続ける誰もが」というから,「王子さま,王子さま」(キュリエ,キュリエ)という尊称が,マタイ教会では流行していたことがわかる.わたしが「王子さま」と訳した「キュリオス」は,元来,「権力をもつ人」という意味である.後続の「王国」と「父」に照らして,「王子さま」と訳すのが妥当であろう.イエス・キリストは王子さま,クリスチャンは家来,もしくは奴隷,という建て前である.
21.1.3 「入るでしょう←諸天の中のその王国の中へ」
「入るでしょう」は,「〜ではない」に掛かる.「入ることができるとはかぎらない」と,マタイは言う.「諸天の中のその王国」.それが逐語訳である.「諸天」は,天上の話である.地上のことではない.天上には諸王ならぬ神々の王国が数多くあるが,それらの中の「その王国」のことを言っている.マタイ教会クリスチャンたちが入国を目指すべき特別の王国である.最強の王国,あるいは大帝国と言ってもよいかもしれない.マタイは,天上のことを思いめぐらすのがお好きである.
21.2 「そうではなく,行い続ける人が(入るでしょう←諸天の王国の中へ)←わたしの父の望みを←諸天の中の」
21.2.1 「そうではなく,行い続ける人が(入るでしょう←諸天の王国の中へ)」
「行い続ける人」は,前出の「言い続ける人」の対義語である.マタイは,実行を強調している.いったん口に出した言葉は,実行しなければならない.まあそうだろう.しかも,実行は継続され,繰り返されなければならない.それが,原文の「ポイオーン」という現在時称の意味合いである.
21.2.2 「わたしの父の望みを←諸天の中の」
この文言の意味は何であろうか?まず,「望み」と訳した「テレーマ」は,「望む」,「願う」を意味する「テロー」の名詞形である.望みである.誰の望みか?「わたしの父」の望みである.イエス・キリストの父の望みである.しかも,その「父」とは「諸天」の父である.天の大帝国の王,支配者である.そういう最高に偉大な存在を,マタイのイエスは「わたしの父」と呼ぶことができる.マタイ教会においては,歴史の現実に生きたイエスは,これほどまでに崇め奉られていた.
さて,イエス・キリストの父の望みとは何か?マタイ神学の観点からは,解答は決まっている.ユダヤ教から譲り受けた掟の数々を遵守することである.たとえば,安息日における労働禁止の掟を想えばよい.

他方,現代の世界に生きる人間として,イエス・キリストの父の望みとは何かについて,少し深堀するならば,どういうことになるだろうか?良識にしたがって行動することだと,わたしは思う.それはかならずしも簡単なことではない.良識を養う必要があるからだ.どのようにしてか?いろいろな方法が考えられるが,読書もその一つだと思う.世界の古典名著を読み,思索することである.
22 πολλοὶ ἐροῦσίν μοι ἐν ἐκείνῃ τῇ ἡμέρᾳ · Κύριε κύριε, οὐ τῷ σῷ ὀνόματι ἐπροφητεύσαμεν, καὶ τῷ σῷ ὀνόματι δαιμόνια ἐξεβάλομεν, καὶ τῷ σῷ ὀνόματι δυνάμεις πολλὰς ἐποιήσαμεν;
多くの人たちは,わたしに言うでしょう←あの日に.「王子さま,王子さま,〜ではないですか?←あなたの名前によって,わたしたちは預言しました,そして,(〜ではないですか?)あなたの名前によって,ダイモニオンどもを追い出しました.そして,(〜ではないですか?)あなたの名前によって,多くの神通力を行いました.
22.1 「多くの人たちは,わたしに言うでしょう←あの日に」
22.1.1 「多くの人たち」
イエス・キリストの父の望みを実行しない人は多い,とマタイは言いたい.
22.1.2 「わたしに言うでしょう」
イエス・キリストは,諸天の大帝国の王の息子,すなわち王子に仕立てられている.
入国許可に関する権限を委託されている.そのような王国が現実に存在するならばの話であるが.
22.1.3 「あの日」
いつの日,どのような日か?
22.2 「王子さま,王子さま/〜ではないですか?←あなたの名前によって,わたしたちは預言しました」
22.2.1 「王子さま,王子さま」
原文では「キュリエ,キュリエ」.
22.2.2 「〜ではないですか?」
自己主張,訴え,要求を含蓄する.当然の権利ということ.
22.2.3 「あなたの名前によって」
イエス・キリストを代弁して,代表して.イエス・キリストの権限によって,イエス・キリストの代行として,ということ.
22.2.4 「わたしたちは預言しました」
説教のことを言っている.マタイ教会の中には,自分の説教を誇りとする輩がひしめいていたことが,伺われる.
22.3 「そして,(〜ではないですか?)あなたの名前によって,ダイモニオンどもを追い出しました」
22.3.1 「ダイモニオンどもを追い出しました」
「ダイモニオン」に「悪」という意味合いはない.この言葉は「ダイモーン神」に由来する.それは人間の幸福・不幸を司る神である.ダイモニオンはダイモーンの名詞的形容詞であり,「ダイモーン神に属するもの」,「ダイモーン神に関するもの」を意味する.古代人であるマタイ教会のクリスチャンたちは,精神疾患の原因をダイモニオンどものせいにした.
22.4 「そして,(〜ではないですか?)あなたの名前によって,多くの神通力を行いました」
「神通力」は「力」を意味する「デュナミス」の複数形.ここでは「神がかった力の現れ」という意味.神通力と訳した.当時,呪術師風の宗教家たちがいて,あちらこちらで,クリスチャンたちを魅了する呪術紛いの行為を行っていた.もちろん,それらの多くは紛いものであった.
23 καὶ τότε ὁμολογήσω αὐτοῖς ὅτι Οὐδέποτε ἔγνων ὑμᾶς · ἀποχωρεῖτε ἀπ’ ἐμοῦ οἱ ἐργαζόμενοι τὴν ἀνομίαν.
そしてその時,わたしは彼らに明言するでしょう/決してわたしはあなたがたを知りません.わたしから離れてください←不法を行っているあなたがたは.
23.1 「そしてその時,わたしは彼らに明言するでしょう」
23.1.1 「その時」
いつのことだろうか?22節の「あの日」である.諸天の大帝国が到来する日である.現実の日なのか?それとも幻想の日なのか?
23.1.2 「わたしは彼らに明言するでしょう」
「明言する」と訳した「ホモロゲオー」は,本来,「認める」「告白する」「明言する」という意味である.ここでは「明言する」と訳した.告知や公示に等しい重い言葉である.
23.2 「決してわたしはあなたがたを知りません」
マタイの信念によると,イエス・キリストから認められるクリスチャンとは,まずなによりも,マタイ教会が定めたユダヤ教風の掟を遵守する人である.美辞麗句で飾られた,もしくはおもしろおかしい説教,民間療法士,もしくは呪術師まがいの宗教家を,マタイは認めない.今日,イエス・キリストに知られていると言えるクリスチャンとは,どのような人だろうか?
23.3 「わたしから離れてください←不法を行っているあなたがたは」
23.3.1 「わたしから離れてください」
幻の王国への入国却下.それがどれくらいのダメージなのかは,人によって異なる.
23.3.2 「不法を行っているあなたがたは」
「不法」は,上で見たまがい物の説教,民間療法,呪術をさす.したがって,「あなたがた」は,指導者たちをさす.指導者は,指導される人たちよりもはるかに大きな責任を問われる.わたしを含む説教者たちよ,まず自分自身を律せよ!
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