9/28 マタイ福音書のイエス (第52回)~〈黄金律〉と〈狭き門〉を検討する〜
- 平岡ジョイフルチャペル

- 2025年9月28日
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2025年9月28日 主日礼拝
聖書講話 「マタイ福音書のイエス (第52回)
~〈黄金律〉と〈狭き門〉を検討する〜 」
聖書箇所 マタイ福音書 7章12〜14節 話者 三上 章
[聖書協会共同訳]
※下線は修正の余地があると思われる部分
12 だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」 13 「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道も広い。そして、そこから入る者は多い。14 命に通じる門は狭く、その道も細い。そして、それを見いだす者は少ない。」
以下は原文の解明に基づく三上の私訳と講解です.
12 Πάντα οὖν ὅσα ἐὰν θέλητε ἵνα ποιῶσιν ὑμῖν οἱ ἄνθρωποι, οὕτως καὶ ὑμεῖς ποιεῖτε αὐτοῖς · οὗτος γάρ ἐστιν ὁ νόμος καὶ οἱ προφῆται.
それゆえ,全部を←何であれ,もしあなたがたが欲するならば←人間たちがあなたがたに行い続けてくれるように,そのようにあなたがた自身も彼らに行い続けなさい.なぜなら,それである←その律法とその預言者たちは.
12.1 黄金律 Golden Rule
この節は「黄金律」(Golden Rule)と言い慣わされている.互恵の倫理を意味する.この用語は,17世紀初期の英国教会の神学者・説教者たちの間で広まった.最古の用例は,1604年にさかのぼる.英国の小説家Charles Gibbonとオックスフォード大学のコルプス・クリスティ学寮の学頭 Thomas Jacksonである.いわば神学者の水準による考案である.哲学者の吟味によるものではない.

12..2 「それゆえ,全部を←何であれ,もしあなたがたが欲するならば←人間たちがあなたがたに行い続けてくれるように,そのようにあなたがた自身も彼らに行い続けなさい」
12.2.1 この文言は,福音書物語としては生前のイエスが,学友たちに語ったことになっている.他方,マタイ教会の立場からは,福音書記者マタイがイエスに付託して,教会のクリスチャンたちに自分自身の見解を述べている.
12.2.2「それゆえ」
何を受けているか?文脈に繋がりがあると仮定するなら,前節までに語られた,天の父なる神は,クリスチャンたちに数々のよいものをくださるという信念であろう.
12.2.3 「全部を←何であれ」
たいそうな言明である.しかし,信仰があるなら宝くじに当選するというようなことではない.神の側から見て,全部ということであろう.人間の側から見て,全部ということではない.人間にとって衣食住は生存に欠かすことができないものであるが,ガザ地区の人々はそれがままならない.「全部を←何であれ」という大言は,時として空しく響く.
12.2.3 「もしあなたがたが欲するならば←人間たちがあなたがたに行い続けてくれるように」
他者への願望を指す.「して欲しい」「もらいたい」「して欲しくない」という要望は,大なり小なり誰にでもある.「人間たち」(ホイ・アントローポイ)という用語にご注目.私たち人間は人間社会の中に生きており,人間関係の中で生活をしている.それゆえ,その関係性を律する規則・モラルが必要となる
12.3 「そのようにあなたがた自身も彼らに行い続けなさい」
福音書記者マタイは教会のクリスチャンたちに対して,まず第一に自分の方から他者に対して,よいことをしてあげること,悪いことは控えるべきことを強調する.もらうことばかりを欲求してはならない.自分のほうからあげ続けることが先決である.「行い続ける」と訳したが,現在時称(ポイエイテ)であり,継続・繰り返しを含意する.
12.3. 「なぜなら,それである←その律法とその預言者たちは」
12.3.1 「なぜなら,それである」
「それ」とは互恵性を指す.しかも,自己先行型の互恵性である.「その律法とその預言者たち」は,ユダヤ教聖書を指す.自己先行型の互恵性,それがユダヤ教聖書の精髄である,とマタイは言い切る.とはいえ,マタイの言い切りを丸呑みするわけにはいかない.それが妥当であるかどうかは,私たち自身が,ユダヤ教聖書を精読することによって判断しなければならない.
13 Εἰσέλθατε διὰ τῆς στενῆς πύλης · ὅτι πλατεῖα ἡ πύλη ⸃ καὶ εὐρύχωρος ἡ ὁδὸς ἡ ἀπάγουσα εἰς τὴν ἀπώλειαν, καὶ πολλοί εἰσιν οἱ εἰσερχόμενοι δι’ αὐτῆς ·
あなたがたは入りなさい←その狭い門を通って.なぜなら,大きい←その門は.そして幅広い←その道は/←その滅びの中に導く.そして多い←入って行くであろう人たちは←それを通って.

13.1 「あなたがたは入りなさい←その狭い門を通って」
マタイ教会の立場からの発言と思われる.彼らは家の教会に集まった.その家の門構えは大小さまざまであろうとも,神殿の大きな門にははるかに及ばない.
エルサレムのヘロデ神殿が象徴するユダヤ教支配体制に対する反対意見.

もしくは,アルテミス神殿が象徴するギリシアの宗教に対する反対意見として解釈することができる.

「その狭い門」とは,家の教会の門であると同時に,マタイ教会への入門の門である.「入りなさい」とはそういう意味であろう.
ユダヤ教やアルテミス宗教と比較するなら,マタイ教会は貧弱に見えるかもしれないが,マタイ教会こそは本物であるという自負が見てとれる.
13.2 「なぜなら,大きい←その門は.そして幅広い←その道は/←滅びの中に導く」
13.2.1 「その滅び」(アポーレイア)
何を意味するのか?不明である.とにかく,マタイ教会から見て,教会員でない人たちは,「滅び」であると言う.他者を断罪する宗教的業界用語である.そのような酷いことを言うなら,仕返しに石を投げつけられるかもしれない.
13.3 「そして多い←入って行くであろう人たちは←それを通って」
社会の人々を見下す高慢さを露呈する文言である.クリスチャンと言えども,社会の人々の中で生活し,社会の人々の世話になって生きることができている.自家用車をもたないクリスチャンたちは,バスや電車のおかげで日曜礼拝に出席することができる.
14 ὅτι στενὴ ἡ πύλη καὶ τεθλιμμένη ἡ ὁδὸς ἡ ἀπάγουσα εἰς τὴν ζωήν, καὶ ὀλίγοι εἰσὶν οἱ εὑρίσκοντες αὐτήν.
なぜなら,狭い←その門は.そして幅狭である←その道は/←そのいのちの中に導く.そして少ない←それを発見するであろう人たちは.
14.1 「なぜなら,狭い←その門は.そして幅狭である←その道は/←いのちの中に導く」
14.1.1 「なぜなら,狭い←その門は」
アンドレ・ジッド作『狭き門』を連想する.愛する者の愛を受け入れることを拒み,信仰に生きたアリサというクリスチャンの物語.信仰熱心のあまり,身近な幸せを犠牲にする信仰心に対して,ジッドは懐疑を示している.

14.1.2 「そして幅狭である←その道は/←そのいのちの中に導く」
「幅狭である」(テトリンメネー)の原義は,「圧搾する」「圧迫する」「抑圧する」.クリスチャンの道行きは安楽ではない.とマタイのイエスは言う.ユダヤ教聖書に基づく掟を遵守しなければならない.シナゴーゲーを基盤とするユダヤ教支配体制から迫害を受ける.この世の幸せを求めてはいけない.家の教会に定期的に出席しなければならない.もしかしたら,マタイ教会に十分の一献金をしなければならない.マタイ教会以外の人と結婚してはならない,など.たしかに幅狭である.
しかし,それを喜びとする精神構造をもつ人もいる.「いのちに導く」とある.何にもまさる素晴らしいものを示唆する文言である.「そのいのち」(ゾーエー)とは何か?生きている誰もがもっているいのちではない.マタイ教会クリスチャンたちだけがもっている「いのち」である.それは何か?不明である.これも教会特有の宗教的業界用語である.とにかく,マタイ教会クリスチャンたちは,自分たちがもっているその「いのち」を喜んでいた.酔いしれていた.異なる観点からは,夢想していた.
14.2 「そして少ない←それを発見するであろう人たちは」
マタイは教会のクリスチャンたちを励ましている.自己称賛と特権意識の匂いを漂わせている.
結論.信仰に入るもよし.入らないもよし.信仰に入るなら,偏狭にならないよう自警の意識をもつべし.福音派のように,科学と常識を排除するようなことがあってはならない.



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