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8/9 マタイ福音書のイエス (第86回)~<家族の反対をものともしない宗教>でいいのか〜

  • 執筆者の写真: 平岡ジョイフルチャペル
    平岡ジョイフルチャペル
  • 8月10日
  • 読了時間: 5分

2026年8月9日 主日礼拝

聖書講話     「マタイ福音書のイエス (第86回)~<家族の反対をものともしない宗教>でいいのか〜」

聖書箇所    マタイ福音書 10章34〜36節   話者 三上  章


      [聖書協会共同訳]  


34 Μὴ νομίσητε ὅτι ἦλθον βαλεῖν εἰρήνην ἐπὶ τὴν γῆν · οὐκ ἦλθον βαλεῖν εἰρήνην ἀλλὰ μάχαιραν.

あなたがたは認めてはなりません/←ということを/私は来ました←投ずるために/←平和を←その地の上に.私は来たのではありません←投ずるために←平和ではなく剣を.



34.1 「あなたがたは認めてはなりません/←ということを/私は来ました←投ずるために/←平和を←その地の上に」

34.1.1 「あなたがたは認めてはなりません/←ということを」

 「認める」と訳した「ノミゾー」は,当たり前だと思うという意味合いをもつ.

キリストの道は,当たり前の道ではない.平坦な道もあれば,でこぼこ道もある.

34.1.2 「ということを」

 何のことをいっているのか?

34.1.3 「私は来ました」

 主イエス・キリストは天から来た畏怖すべき存在であるという,初期キリスト教会のクリスチャンたちが共有していた信念を示す.

34.1.4 「投ずるために」

 「バッロー」の逐語訳はこうなるが,たぶんセム語的表現で,「もたらす」という意味.

34.1.5 「平和を」

 「平和」は「エイレーネー」.「平和」といっても,いろいろある.世界の平和.日本の平和.家庭の平和.ここでは,続く語句から見て,日本の平和規模の平和であろう.ウクライナの平和,イランの平和と言ってもよい.

34.1.6 「その地」

 おそらくイスラエルの地をさす.



34.2 「私は来たのではありません←投ずるために←平和ではなく剣を」

34.2.1 「私は来たのではありません」

 文頭に「ウーク」という否定辞が置かれている.マタイ福音書のイエスは,クリスチャンたちの通念・常識を否定する.クリスチャンは,イエスの到来を自分の都合のよいように,楽観的に考えてはならない.

34.2.2 「平和ではなく剣を」

 「剣」と訳した「マカイラ」は,古代ギリシア・ローマの兵士用短剣であるが,ここでは,後続の文から見て,クリスチャンが直面する争い,迫害,あるいは殉教をさしている.


35 ἦλθον γὰρ διχάσαι ἄνθρωπον κατὰ τοῦ πατρὸς αὐτοῦ καὶ θυγατέρα κατὰ τῆς μητρὸς αὐτῆς καὶ νύμφην κατὰ τῆς πενθερᾶς αὐτῆς,

なぜなら,私は来ました←裁判するために/ある人間を←に対して←彼の父親,そしてある娘を←に対して←彼女の母親,そしてある義理のむすめを←に対して←彼女の義理の母.



35.1 「なぜなら,私は来ました←裁判するために」

35.1.1 「裁判するために」

 こう訳した「ディカゾー」は,「裁判官の席に着く」が原義のようである.主イエス・キリストは,裁判官でもある.係争に関して公正な裁判を行う.裁判官の目的は,対立ではなく調停である.福音書記者マタイのイエスは,対立を奨励しているのではなく,和解・和合を切に求めている.


35.2 「ある人間を←に対して←彼の父親」

35.2.1 「ある人間」

 こう訳した「アントローポス」は,男性名詞.男性の人間である.冠詞がないので,「ある人間」という意味.文脈上は息子であるが,あえて男性の人間と言う.当時においても,男性の子どもは,相続者,家長,参政権として重い責任を担っていた.ユダヤ教徒の場合は,ユダヤ教を継承する責任があった.

35.2.2 「に対して」

 こう訳した「カタ」は,ここでは対立,反目,敵対を意味する.和合であるべき人たちが,二つに分かれるのである.

35.2.3 「彼の父親」

 当時の父親の印象は,保護者,教育者,慈愛に富む人であった.そういう父親との間にマカイラが投じられるというのである.あたかも息子はグラディエーターのように父親と死闘しなければならない.父親もグラディエーターのように死闘しなければならない,そういう危機において,主イエス・キリストは公正な裁判を行う,とマタイは言う.


35.3 「そしてある娘を←に対して←彼女の母親」

35.3.1 「ある娘」

 おそらく未婚の娘であろう.

35.3.2 「彼女の母親」

 ある熱心なユダヤ教徒のお母さんがいて,その娘さんが,シュナゴーゲーに行くことをやめて,クリスチャンの家の教会に足しげく通うようになったとする.母親の心痛はどれほど大きいことか.「自分の教育がまちがっていたのか?」「悪い宗教に洗脳されてしまったのか」「どうしてなんだろう」,と悩み・反省することしきりであろう.


35.4 「そしてある義理の娘を←に対して←彼女の義理の母」

35.4.1 「義理の娘」

 こう訳した「ニュムペー」は「花嫁」が原義だが,LXXでは「義理の娘」という意味で用いられることになる.ここではその意味であろう.「義理の母」と訳した「ペンテラ」はそういう意味である.

35.4.2 「義理の母」

 「ペンテラ」とはそういう意味.嫁と姑の確執は,古今東西あまねく見られる者だが,宗教の変更・相違は確執を増大させかねない.


36 καὶ ἐχθροὶ τοῦ ἀνθρώπου οἱ οἰκιακοὶ αὐτοῦ.

そして,敵たち←その人間の/←/一家のひとたちが←彼の.


36.1 「そして」(カイ)

 「かくして」と解釈する.

36.2 「敵たち←その人間の」

36.2.1 「敵たち」

 こう訳した「エクトゥロス」は,戦争における敵・味方の敵を意味する.マタイは,反対・反目の強さを戦場における敵になぞらえる.初期のキリスト教会の状況を観察するにあたり,あちらこちらにそれほど重大な対立が見られたのであろう.

36.2.2 「その人間の」

 35節の,特定のある人間ではなく,老若男女のいかんを問わず,反対に苦しむクリスチャン全般をさすと思われる.

36.2.3 「その人間の敵たち」

 こう訳すことができる.述語であるが,動詞がない.現在の状況のことであれば,「です」を補足できる.将来の状況のことであれば,「であるでしょう」を補足できる.反対というものは,そう簡単にはなくならないであろうから,「です」と「であるでしょう」の両方であろう.


36.3 「一家のひとたち←彼の」

36.3.1 「一家のひとたち」

 「オイキアコス」の複数形.「家」を意味する「オイキア」と同族語.「オイキアコス」は,「ある家の人」,「ある家を構成する人」が原義.複数形なので,こう訳した.当時の家は大家庭で,家族だけではなく奴隷も含む.ここでは,文脈から見て,奴隷は含まないと思う.しかし,クリスチャンになった奴隷もいたことを忘れてはいけない.一家の人たちの対立がいいはずがない.福音書記者マタイは,そういう状況を深く憂いている.かといって,クリスチャンであることをやめるわけにもいけない.やはり,一家のひとたちの宗教上の対立の解決は,公正な裁判官である主イエス・キリストに委ねるしかない.

36.3.2 「彼の」

 「彼の」どころではない.自分の家族のことを考えさせられる.主イエス・キリストの前で,恥じることのない関係を維持しなければならないと思う.

 
 
 

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