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3/29 マタイ福音書のイエス (第72回)~二人の視覚障害者が晴眼者となる〜

  • 執筆者の写真: 平岡ジョイフルチャペル
    平岡ジョイフルチャペル
  • 4 日前
  • 読了時間: 6分

2026年3月29日 主日礼拝

聖書講話     「マタイ福音書のイエス (第72回)~二人の視覚障害者が晴眼者となる〜」

聖書箇所    マタイ福音書 9章27〜31節   話者 三上  章


      [聖書協会共同訳]  

        ※下線は修正の余地があると思われる部分

27 イエスがそこから進んで行かれると、二人の盲人が、「ダビデのよ、私たちを憐れんでください」と叫びながら付いて来た。28 イエスがに入ると、盲人たちがそばに寄って来たので、「私にできると信じるのか」と言われた。二人は、「はい、主よ」と言った。29 そこで、イエスが二人の目に触れ、「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われると、30 二人は目が見えるようになった。イエスは、「このことは、誰にも知らせてはいけない」と彼らに厳しくお命じになった。31 しかし、二人は外へ出ると、その地方一帯にイエスのことを言い広めた


 

以下は原文の解明に基づく三上の語順訳と講解です.


27 Καὶ παράγοντι ἐκεῖθεν τῷ Ἰησοῦ ἠκολούθησαν αὐτῷ δύο τυφλοὶ κράζοντες καὶ λέγοντες · Ἐλέησον ἡμᾶς, υἱὲ Δαυίδ.

そして,通っていたとき←そこから←イエスが,後に従った←彼(イエス)の/←二人の視覚障害者が,叫びながら.いわく.「わたしたちにお慈悲を,ダヴィデの息子よ」


27.1 「そして,通り過ぎていたとき←そこから←イエスが」

27.1.1 「通り過ぎていたとき」

 そぞろ歩きではない.イエスの助けを必要とする誰かの家に向かって,道を通り過ぎていた.イエスの助けを緊急に必要とする人たちは,他にも大勢いた.

27.1.2 「そこから」

 ガリラヤ湖畔のカペルナウムというポリスから,である.その場所で,イエスはアルコーンの娘を蘇生させた.


27.2 「後に従った←彼(イエス)の/←二人の視覚障害者が,叫びながら.いわく」

27.2.1 「後に従った←彼(イエス)の/」

 元の言葉「アコルーテオー」は,初期キリスト教会の業界用語としても使用される.すなわち,「クリスチャンとして,イエスの後にしたがう」.その意味がここの話に投影されているかもしれない.

27.2.2 「二人の視覚障害者」

 なぜ二人か?一緒に物乞いしていたのかもしれない.社会保障とてない時代であるから.視覚障害者は,道行く人に慈しみと憐れみを物乞いするしかなかったであろう.あるいは,歌のうまい人は吟唱歌手になったであろうし,霊感の鋭い人は予言者や占い師になったであろう.しかし,それはわずかの人に限られた.現代でも,視覚障害者はさまざまな不利益と不都合を被ることを余儀なくされている.

27.2.3 「叫びながら.いわく」

 二人はどの方向に向かって言わなければ,わからないから,大声で叫ぶしかない.元の言葉「クラゾー」はそういう意味である.


27.3 「わたしたちにお慈悲を,ダヴィデの息子よ」

27.3.1 「わたしたちにお慈悲を」

 単なる物乞いではない.二人は晴眼者になることを切に願っている.グレゴリオ聖歌の「キュリエ,エレエーソン」の「エレエーソン」である.具体的なもの・行為を懇願している.

27.3.2 「ダヴィデの息子」

 初期キリスト教会におけるメシア(キリスト)の称号.福音書記者マタイにとって,救い主イエス・キリストは信仰の対象であり,その信仰を歴史事実としてのイエスという人間に投影している.


28 ἐλθόντι δὲ εἰς τὴν οἰκίαν προσῆλθον αὐτῷ οἱ τυφλοί, καὶ λέγει αὐτοῖς ὁ Ἰησοῦς · Πιστεύετε ὅτι δύναμαι τοῦτο ποιῆσαι; λέγουσιν αὐτῷ · Ναί, κύριε.

(イエスが)入ったとき←その家の中に,ところに来た←イエスの←その視覚障害者たちは,そして言う←彼らに←イエスは.「あなたがたは信じていますか?/←わたしは力がある←そのことを行う.彼らは彼(イエス)に言う.「はい,主よ」


28.1 「イエスが)入ったとき←その家の中に」

 「その家」とあるから,イエスは特定の家を目指していた.そしてその家に到着し中に入った.おそらくイエスの助けを必要とする重病人がいたのであろう.


28.2 「ところに来た←イエスの←その視覚障害者たちは,そして言う←彼らに←イエスは」

28.2.1 「ところに来た←イエスの←その視覚障害者たちは」

 二人の視覚障害者たちは,切望のあまり,失礼を省みず,その家の中に入り込み,イエスのところに来た.家の人たちにとっては,びっくりする乱入だったであろう.

28.2.2 「そして言う←彼らに←イエスは」

 視覚障害者たちに対して,イエスは「出て行け」などとは決して言わない.


28.3 「あなたがたは信じていますか?/←わたしは力がある←そのことを行う」

28.3.1 「あなたがたは信じていますか?」

 救い主イエス・キリストは,このように問う.疑っているのではなく,信仰を鼓舞している.「信じている」(ピステウオー)と訳したのは,現在時称だから.継続・繰り返し・習慣の意味合いをもつ.今もなお信じていることが,重要なのである.

28.3.2 「わたしは力がある←そのことを行う」

 福音書記者マタイが信奉する救い主イエス・キリストは,視覚障害者を晴眼者に変える超能力をもつ神的存在である.


29 「彼らは彼(イエス)に言う.「はい,主よ」」

 「主よ」(キュリエ)は,主イエス・キリストの「主」であろう.福音書記者マタイと学友である,マタイ教団のクリスチャンたちは,マタイと同じように,救い主イエス・キリストを信奉することが,推奨されている.

29 τότε ἥψατο τῶν ὀφθαλμῶν αὐτῶν λέγων · Κατὰ τὴν πίστιν ὑμῶν γενηθήτω ὑμῖν.

そのとき彼(イエス)は触った←彼らの目に.いわく.「あなたがたの信仰のとおりになりますように←あなたがたに」.


29.1 「そのとき彼(イエス)は触った←彼らの目に」

 「触る」ということは,医療行為の一方法である.慈しみにあふれた接触である.

29.2 「あなたがたの信仰のとおりになりますように←あなたがたに」

 現実には,なかなかそのようにならないが,理念としては,救い主イエス・キリストに対する信仰の基本である.


30 καὶ ἠνεῴχθησαν αὐτῶν οἱ ὀφθαλμοί. καὶ ἐνεβριμήθη αὐτοῖς ὁ Ἰησοῦς λέγων · Ὁρᾶτε μηδεὶς γινωσκέτω ·

そして開かれた←彼らの目は.そして緊急に警報した.いわく.「いいですか.誰も知られないようにし続けてください」

30.1 「そして開かれた←彼らの目は」

 晴眼者になった!こういう奇跡にわたしは遭遇したことがないが,それに近い事例は目撃したことがある.福音書記者マタイとしては,イエス・キリストの復活に目が開かれたという宗教的真理を示唆しているかもしれない.

30.2 「そして緊急に警報した」

 この奇跡をイエスは吹聴するどころか,緊急に警報した.警報したということは,ある種の危険性をはらんでいるということである.

30.3 「いいですか.誰にも知られないようにし続けてください」

 これが警報の内容である.この奇跡の事実性は,秘密だということである.なぜ秘密なのか?人間イエスの在世中は,積極的に広報されるべきではなかったからである.いうならば,神的存在としてのイエス・キリストにはできることであっても,歴史事実としてのイエスという人間に関しては,この奇跡は易々と行われたなどと吹聴されるべきではない.19世紀ドイツの神学者ヴレーデは,これを「メシアの秘密」と呼んだ.


31 οἱ δὲ ἐξελθόντες διεφήμισαν αὐτὸν ἐν ὅλῃ τῇ γῇ ἐκείνῃ.

彼らは出て行ったあと,知らせた←彼(イエス)を←あの地全体において.



31.1 「彼らは出て行ったあと,知らせた←彼(イエス)を」

 30節と矛盾する.ここ31節は,福音書記者マタイの編集の文言であろう.マタイ教会の時点で言えば,視覚障害者が晴眼者になったということは,公表され,言い広められるべきである.

31.2 「あの地全体において」

 イエスの本拠地であるガリラヤ地方.イエスの死後,ガリラヤ地方に救い主イエス・キリストが大いに広められ,そこから各地にキリスト教が展開されていった歴史事情を反映するかもしれない.新約聖書学者の田川 建三氏やその師であるトロクメ師は,そのように推定している.


 
 
 

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