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11/9 マタイ福音書のイエス (第57回)~〈マタイの信仰観〉を検討する〜

  • 執筆者の写真: 平岡ジョイフルチャペル
    平岡ジョイフルチャペル
  • 5 日前
  • 読了時間: 7分

2025年11月9日 主日礼拝

聖書講話     「マタイ福音書のイエス (第57回)

       ~〈マタイの信仰観〉を検討する〜

聖書箇所    マタイ福音書 8章5〜9節   話者 三上  章


      [聖書協会共同訳]  

        ※下線は修正の余地があると思われる部分

5 さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近寄り、懇願して、

6 「主よ、私の麻痺を起こし家で倒れてひどく苦しんでいます」と言った。7 そこでイエスは、「私が行って癒やしてあげよう」と言われた。8 すると、百人隊長は答えた。「主よ、私はあなたをわが家にお迎えできるような者ではありません。ただ、お言葉をください。そうすれば、私のは癒やされます。9 私も権威の下にある人間ですが、私の下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」


 以下は原文の解明に基づく三上の私訳と講解.

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5 Εἰσελθόντος δὲ αὐτοῦ ⸃ εἰς Καφαρναοὺμ προσῆλθεν αὐτῷ ἑκατόνταρχος παρακαλῶν

さて,彼(イエス)が入ったとき←カパルナウームの中へ,彼にやって来た←一人の百人隊長が.そして彼に懇願した.

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5.1 「さて,彼(イエス)が入ったとき←カパルナウームの中へ」

 話の流れを振り返ると,山上の説教を終えたイエスは,山を下りた.そこでレブロスの男性を治癒した.奇跡だと福音書記者マタイは言いたい.そのあと,イエスは伝道の拠点であるカパルナウームに戻った.内輪の学友たちも同行したであろう.町に大勢いたであろう学友たちも,イエスの帰還を喜んだであろう.

5.2 「彼にやって来た←一人の百人隊長が.そして彼に懇願した」

5.2.1 「彼にやって来た・・・そして彼に懇願した」

 イエスは病気の治癒者として有名であり,人々から頼られる存在であった」

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5.2.2 「一人の百人隊長が」

 このたびイエスに助けを求めたのは,一人の百人隊長であった.ギリシア語で「ヘカトンタルコス」,ラテン語で「ケンテュリオー」.

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 カパルナウームが所在するガリラヤ湖周辺には,ローマの軍事基地の町が偏在していた.その数は10に及び,まとめてデカポリスと呼ばれていた.つまり軍人だらけの地域であった.イエスのところに一人の百人隊長がやって来たというのも,うなずける話である.百人隊長はおよそ小隊長くらいの地位であり,格付けがあり,経験を積むことによって大隊の指揮官にまで上りつめることができた.カエサルの時代の百人隊長は,軍団兵の3倍から5倍の収入があった.しかし,お金や地位によってはどうにもできないことがある.この百人隊長は,どうしてもイエスに助けてもらわなければならなかった.


6 καὶ λέγων · Κύριε, ὁ παῖς μου βέβληται ἐν τῇ οἰκίᾳ παραλυτικός, δεινῶς βασανιζόμενος.

そして言った.「主よ,わたしのしもべが投げられています←家の中で←脳卒中の人として.彼は恐ろしく苦しめられています」

6.1 「主よ,わたしのしもべが投げられています←家の中で←脳卒中の人として」

6.1.1 「主よ」(キュリエ)

 イエスは普通の人間ではなく「主イエス・キリスト」なのだという,マタイのキリスト信仰が反映されている.

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6.1.2 「わたしのしもべ」

 「しもべ」(パイス)は,「子ども」,「息子」と訳することもできる.新約聖書では主に「しもべ」と意味で使われている.ここでは「しもべ」がよいと思われる.もっと推測するならば,百人隊長が子どもであったころから世話をしてくれたしもべかもしれない.こういう家庭教師的しもべのことを「パイダゴーゴス」という.パイス(子ども)と「アゴーゴス」(付き添い)の合成語.今や年を重ねていた.百人隊長にとって,わざわざイエスを訪ねるほど,このしもべはかけがえのない存在であったことが,推測される.「爺や」という感じか.

6.1.3 「投げられています←家の中で」

 わかりにくい表現であるが,地面に投げられているということではないであろう.しもべはベッドの上に置かれてはいるが,手がつけられない状態であった,とマタイは言いたいようである.

6.1.4 「脳卒中の人として」(パラリュティコス)

 現代で言えば,「パラリュティコス」は脳卒中にあたると思われる.体が麻痺して,思うように動かせない.言葉を話すこともできない.


6.2 「彼は恐ろしく苦しめられています」

 そう言うほかはない.「恐ろしく」と訳した「デイノース」は,本来,そういう意味.「ひどく」や「激しく」を通り越して,「恐ろしく」である.本人にとっても百人隊長にとっても,恐ろしい状況である.

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7 καὶ λέγει αὐτῷ · Ἐγὼ ἐλθὼν θεραπεύσω αὐτόν.

そして彼(イエス)は彼(百人隊長)に言う.「わたし自身が行って,彼の手当てをしてあげましょう」

7.1 「そして彼(イエス)は彼(百人隊長)に言う」

 助けを求める百人隊長に対するイエスの応答に,もったいぶる様子は見られない.

7.2 「わたし自身が行って,彼の手当てをしてあげましょう」

7.2.1 「私自身が行って」

 「私自身が」と訳した「エゴー」は,他でもなくわたし自身が,という意味合いである.他人まかせではない.イエスは往診をいとわない.みだりに遠隔操作のような超能力を見せつけようとはしない.

7.2.2 「手当てをしてあげましょう」(テラペウソー)

 定動詞形は「テラペウオー」で,本来,そういう意味.英語の「セラピー」の語源である.イエスは,「治癒する」とまでは言っていない.ただし,新約聖書では「治癒する」という意味でも使われる.主イエス・キリストを信じるマタイからしてみれば,イエスが手当てをするということは,イエスが治癒するということと同じである.

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8 καὶ ἀποκριθεὶς ⸃ ὁ ἑκατόνταρχος ἔφη · Κύριε, οὐκ εἰμὶ ἱκανὸς ἵνα μου ὑπὸ τὴν στέγην εἰσέλθῃς · ἀλλὰ μόνον εἰπὲ λόγῳ, καὶ ἰαθήσεται ὁ παῖς μου ·

そして応答として,その百人隊長は言った.「主よ,わたしはふさわしくありません←わたくしめの屋根の下にあなたがお入りになるのに.そうではなく,ただ言葉で言ってください.そうすればわたしのしもべは治癒されるでしょう.

8.1 「そして応答として,その百人隊長は言った」

 「それではお願いいたします」と言うと思いきや,百人隊長の応答は素直ではない.

8.2「主よ,わたしはふさわしくありません←わたくしめの屋根の下にあなたがお入りになるのに」

 「わたくしめ」と訳したのは,この人称代名詞が強調されているから.せっかくイエスが行くと言っているのに,百人隊長は来るにおよばずと言っている.なぜか?百人隊長の意図は何か?

8.3 「そうではなく,ただ言葉で言ってください」

 依頼人が医療者に治療方法を指示しているように見えなくもないが,「ただ言葉で言ってください」は,イエスの権威と能力に対する信頼の表明であると,理解すべきであろう.福音書記者マタイは,説教の言葉が聴く人に及ぼす力を信じるクリスチャンであった.

8.4 「そうすればわたしのしもべは治癒されるでしょう」

8.4.1 「治癒されるでしょう」(イアテーセタイ)

 定動詞形の「イアオマイ」は「治癒する」,7節の「テラペウオー」は「手当てをする」という意味.百人隊長は,イエスに手当てではなく,治癒を求めている.


9 καὶ γὰρ ἐγὼ ἄνθρωπός εἰμι ὑπὸ ἐξουσίαν, ἔχων ὑπ’ ἐμαυτὸν στρατιώτας, καὶ λέγω τούτῳ · Πορεύθητι, καὶ πορεύεται, καὶ ἄλλῳ · Ἔρχου, καὶ ἔρχεται, καὶ τῷ δούλῳ μου · Ποίησον τοῦτο, καὶ ποιεῖ.

なぜならわたしも権威の下にある人間です.わたし自身の下に兵士たちをもっています.そしてわたしはその者に言います.「行きなさい」.そうすれば彼は行きます.そして別の者に(言います).「来なさい」.そうすれば彼は来ます.そしてわたしの奴隷に(言います).「それをしなさい」.そうすれば彼はします.

9.1 「なぜならわたしも権威の下にある人間です」

9.1.1 「わたしも権威の下にある人間です」

 「わたしも」は,主イエス・キリストが権能をもっているのに類比して,自分もそれなりの権力をもっている,と言っている「権威」と訳した「エクスーシア」は,「力」,「権力」,「権威」を意味する.ここでは,軍隊における命令権を指していると思われる.上官の命令は絶対である.

9.2 「そしてわたしはその者に言います.「行きなさい」.そうすれば彼は行きます」

 戦闘のことを言っていると思われる.「行きなさい」は,進軍!の号令.

9.3 「「来なさい」.そうすれば彼は来ます」

  「来なさい」は,退却!の号令.

9.4 「そしてわたしの奴隷に(言います).「それをしなさい」. そうすれば彼はします」 「奴隷」(ドゥーロス)は,おそらく家付きの奴隷.「オイコノモス」とも言う.主人の下で家事全般を取り仕切る奴隷.主人の命令を忠実に実行しなければならない.主人からもっとも信頼される奴隷である.

 
 
 

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