11/23 マタイ福音書のイエス (第58回)~〈宗教的排他主義〉を考察する〜
- 平岡ジョイフルチャペル

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2025年11月23日 主日礼拝
聖書講話 「マタイ福音書のイエス (第58回)
~〈宗教的排他主義〉を考察する〜」
聖書箇所 マタイ福音書 8章10〜13節 話者 三上 章
[聖書協会共同訳]
※下線は修正の余地があると思われる部分
10 イエスはこれを聞いて驚き、付いて来た人々に言われた。「よく言っておく。イスラエルの中でさえ、これほどの信仰は見たことがない。11 言っておくが、東から西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと一緒に宴会の席に着く。12 しかし、御国の子らは、外の暗闇に放り出され、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」13 そして、百人隊長に言われた。「行きなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどその時、その子は癒やされた。

以下は原文の解明に基づく三上の私訳と講解である.
10 ἀκούσας δὲ ὁ Ἰησοῦς ἐθαύμασεν καὶ εἶπεν τοῖς ἀκολουθοῦσιν · Ἀμὴν λέγω ὑμῖν, παρ’ οὐδενὶ τοσαύτην πίστιν ἐν τῷ Ἰσραὴλ ⸃ εὗρον.
イエスは聞いた時,賛嘆した.そして後に従っている人たちに言った.「アメーン!わたしはあなたがたに言います.誰のところにも,これほど大きなピスティスをイスラエルにおいて見たことはありません」
10.1 「イエスは聞いた時,賛嘆した」
「賛嘆した」と訳した「タウマゾー」は「驚き」を核心にもつ.称賛の気持ちも含むと見て,このように訳した.福音書記者マタイは,イエスの口を借りて.自分自身の感動を語っている.
10.2 「そして後に従っている人たちに言った」
「後に従っている人たち」と訳した「アコルーテオー」は,初期キリスト教会では,クリスチャンとして主イエス・キリストに従い続けることを意味する,キリスト教用語である.この文言によって,マタイとその仲間たちは,歴史の現実に生きたイエスの学友たちを思うと同時に,今を生きている自分たち自身をも意識したであろう.
10.3 「アメーン!わたしはあなたがたに言います」
マタイのイエスは,「アメーン」と言う.「真実に」という意味.マタイ教会のクリスチャンたちは,イエスの言葉を恭しく真剣に受け入れたことであろう.
10.4 「誰のところにも,これほど大きな信仰をイスラエルにおいて見たことはありません」
10.4.1 「これほど大きなピスティス」
イエスは百人隊長のピスティスを,「これほど大きな」(トサウテーン)と最大限に称賛している.ピスティスは,本来,信頼,信用といった日常用語である.信頼にしても信用にしても,社会生活のなかで重要なことである.ここでは,イエスはクリスチャンたちの信仰の対象として提示されているので,「信仰」という訳でよい.
10.4.2 「イスラエル」
創世記に記されている,ユダヤ人たちのご先祖さまのことを言っている.
11 λέγω δὲ ὑμῖν ὅτι πολλοὶ ἀπὸ ἀνατολῶν καὶ δυσμῶν ἥξουσιν καὶ ἀνακλιθήσονται μετὰ Ἀβραὰμ καὶ Ἰσαὰκ καὶ Ἰακὼβ ἐν τῇ βασιλείᾳ τῶν οὐρανῶν ·
わたしはあなたがたに言います.「多くの人たちが,東と西から来るでしょう.そして,クリネーに臥すでしょう/アブラハムとイサアクとイアコーブと共に/諸天のその王国において」
11.1 「わたしはあなたがたに言います」
「アメーン」はないが,イエスははっきりと言う.
11.2 「多くの人たちが,東と西から来るでしょう」
マタイ教会の観点からは,多くの求道者が,世界中からマタイ教会につめかけるであろう,つめかけてほしいという気持ちが表れている.「東と西から」というが,どこを中心としてそう言うのだろうか?つまり,マタイ教会の所在地はどのあたりであろうか?シリアの辺りという説もあるが,不明である.人口の多いポリスの可能性が高い.

11.3 「そして,クリネーに臥すでしょう」
「クリネーに臥す」と訳した「アナクリノー」は,ギリシア語で「クリネー」,ラテン語で「クリニウム」と呼ばれる寝椅子に臥しながら,食事をしワインを飲む.金持ちの豪華な食事会を連想させる.マタイの家の教会の観点からは,そこそこのご馳走と,和気あいあいの楽しい食事会.初期キリスト教会では,それは「アガペー」(愛)と呼ばれた.
11.4 「アブラハムとイサアクとイアコーブと共に」
ユダヤ人にとって,創世記に登場する信仰の模範とされるべき偉人たちと共なる食事.日本神話の想定でいえば,天照大神や日本武尊と共に食事をすることか?どうもピンと来ない?心通うひとたちと共に食事をする情況を,想定するほうがよいかもしれない.
11.5 「諸天のその王国において」
マタイにとっては,マタイ共同体に所属する家の教会ということになるであろう.
12 οἱ δὲ υἱοὶ τῆς βασιλείας ἐκβληθήσονται εἰς τὸ σκότος τὸ ἐξώτερον · ἐκεῖ ἔσται ὁ κλαυθμὸς καὶ ὁ βρυγμὸς τῶν ὀδόντων.
しかし,その王国の息子たちは追放されるでしょう←外の暗闇の中へ.そのところで号泣と歯ぎしりがあるでしょう」

12.1 「しかし,その王国の息子たちは追放されるでしょう←外の暗闇の中へ」
12.1.1 「その王国の息子たち」
独裁君主国の奔放な王子たちを連想させる.前節の「諸天のその王国」に所属する人たちと対比されている.マタイ教会に所属しない人たちを指す.特に,マタイ教会を迫害するユダヤ教過激派を指すと思われる.
12.1.2 「追放されるでしょう←外の暗闇の中へ」
ユダヤ教過激派に対して,マタイのイエスは容赦しない.ここに福音書記者マタイの宗教的排他主義が露呈している.
12.2 「そのところで号泣と歯ぎしりがあるでしょう」
ここまで言うのか?歴史の現実に生きたイエスは,心温かく寛容なひとだったはずではないだろうか?マタイ教会にしても,皆が皆,不寛容な排他主義者だったのではなく,一部の人がそうであったということかもしれない.
13 καὶ εἶπεν ὁ Ἰησοῦς τῷ ἑκατοντάρχῃ · Ὕπαγε, ὡς ἐπίστευσας γενηθήτω σοι · καὶ ἰάθη ὁ παῖς ἐν τῇ ὥρᾳ ἐκείνῃ.
そしてイエスは言った←その百人隊長に.「お行きなさい.あなたが信じたとおりに,あなたになりますように」.そして治癒された←その僕は/あの時に.

13.1 「そしてイエスは言った←その百人隊長に」
11〜12節の神学論議から,イエスと百人隊長の話に戻る.
13.2 「お行きなさい.あなたが信じたとおりに,あなたになりますように」
力強い言葉である.どれほど多くの人が,この言葉によって救われたことか!他方,この言葉によってどれほど多くの人が,絶望に突き落とされたことか!かつて,わたしは,信仰による願いには3種類の答えがある,と何かの本で読んだことがある.すなわち,一つ目は「イエス」という答え.二つ目は「ノー」という答え.三つ目は「待ち続けよ」という答え.三つとも神の答えだというのである.なんだか詭弁くさいが,小耳に挟む程度にしておくのも,悪くないだろう.
13.3 「そして治癒された←その僕は/あの時に」
百人隊長の場合は,「イエス」という答えを得た.「あの時」というのは,変な表現であるが,マタイはその聴衆に,8節で語られた「ただ言葉で言ってください.そうすればわたしのしもべは治癒されるでしょう」という百人隊長の信仰表明を思い出させる.
幸運な答えである.他方,多くの場合は,「ノー」という答えである.それも神の答えであるから,信仰をもって受け入れよ,という気持ちにわたしはなることができない.三つ目の「待ち続けよ」という答えも,考えものである.クリスチャン男性を待ち続けたために,ついぞ結婚することができなかったクリスチャン女性たちがいることを,わたしは知っている.信仰は重要であるが,それはいわば紙幣の表面である.裏面が伴わなければならない.その裏面とは,知恵である.良識といってもよい.



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