9/7 マタイ福音書のイエス (第50回)~〈自分の目の中の丸太〉を認める〜
- 平岡ジョイフルチャペル

- 2025年9月8日
- 読了時間: 7分
2025年9月7日 主日礼拝
聖書講話 「マタイ福音書のイエス (第50回)
~〈自分の目の中の丸太〉を認める〜
聖書箇所 マタイ福音書 7章1〜5節 話者 三上 章
[聖書協会共同訳]
※下線は修正の余地があると思われる部分
1 「人を裁くな。裁かれないためである。2 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量られる。3 きょうだいの目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目にある梁に気付かないのか。4 きょうだいに向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に梁があるではないか。5 偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、きょうだいの目からおが屑を取り除くことができる。
以下は原文の解明に基づく三上の私訳と講解です.
1 Μὴ κρίνετε, ἵνα μὴ κριθῆτε ·
あなたがたは断罪することをお止めなさい.そうすれば,あなたがたは断罪されません.

1.1 「あなたがたは断罪することをお止めなさい」
1.1.1 「あなたがた」
だれがだれに向かって語っているのか?物語としては,イエスが学友たちに語っている.歴史としては,マタイ福音書記者がイエスに付託してマタイ教会のクリスチャンたちに語っていると想定される.教会のクリスチャンたちは,イエスの言葉を自分たちに向けて語られたものとして聞いたであろう.彼らは,ユダヤ教の縛りの強い共同体であったことを,念頭に置く必要がある.
1.1.2 「断罪する」(クリノー)
「クリノー」の原義は,「分離する」「区別する」.派生的意味として,「決定する」「判別する」「告訴する」「判決する」「断罪する」.ここでは,「断罪する」と理解した.罪に対して判決を下すことである.ユダヤ教社会は,「律法」によって規制された掟社会であった.さまざまな種類の安息日規定や食事規定や異教徒に関する規定があった.それら規定の多くは法律というよりは,むしろ宗教的タブーであった.それを破ることは掟違反であり,「罪」であった.マタイ教会クリスチャンたちは,ユダヤ教徒の前歴をもち,クリスチャンに改宗してからも,ユダヤ教の掟と罪概念を引きずっていた.彼ら彼女らは,「あなたは掟違反をしています」「いえ,あなたこそ掟違反をしています」などと言って,お互いに断罪し合っていた状況が想定される.イエスを特徴づける自由な精神と生き方に逆行する.
したがって,反骨精神に富む歴史のイエスが学友たちに「あなたがたは断罪することをお止めなさい」と言ったことは,大いにありうる.他方,マタイ教会の指導者が教会の信徒たちに,「あなたがたは断罪することをお止めなさい」と言ったとしたならば,なかなかである.イエスの精神に適っている.
1.2 「そうすれば,あなたがたは断罪されません」
相手を断罪しないならば,「売り言葉に買い言葉」の勃発を回避できる.平穏な人間関係を保持することができる,と言っている.まあ,そうかもしれない.しかし,断罪すべき場合もあることを忘れてはならない.
2 ἐν ᾧ γὰρ κρίματι κρίνετε κριθήσεσθε, καὶ ἐν ᾧ μέτρῳ μετρεῖτε μετρηθήσεται ὑμῖν.
その断罪によって←あなたがたが断罪している/あなたがたは断罪されるでしょう.そして,その量りによって←あなたがたが量っている/それは量られるでしょう←あなたがたに.
2.1 「その断罪によって←あなたがたが断罪している/あなたがたは断罪されるでしょう」
前節の言い換えである.
2.2 「そして,その量りによって←あなたがたが量っている/それは量られるでしょう←あなたがたに」

2.2.1 「量り」(メトロン)
「メトロン」は穀物を測定する量りであると考えられる.ユダヤ教徒の間で流通していた格言であると思われるが,意味不明.想定にすぎないが,5kgの米を計量して相手に提供するなら,それに応じて相手も5kgの米を計量して提供してくれる,というような互恵関係の取引が示唆されているのかもしれない.
3 τί δὲ βλέπεις τὸ κάρφος τὸ ἐν τῷ ὀφθαλμῷ τοῦ ἀδελφοῦ σου, τὴν δὲ ἐν τῷ σῷ ὀφθαλμῷ δοκὸν οὐ κατανοεῖς;
なぜあなたは見ているのですか?/木っ端を←片目の中の←あなたの兄弟の.しかし,あなたの片目の中の梁をきちんと見ていないのですか?

3.1 「なぜあなたは見ているのですか?/木っ端を←片目の中の←あなたの兄弟の」
3.1.1 「あなたは見ている」
前節までの複数形が,ここから単数形に変わる.相手により強い衝撃を与えることが意図されていると思われる.
3.1.3 「木っ端」(コルポス)
「コルポス」は,ここでは小さな罪を象徴する.たとえば,安息日に夫の衣服を繕うであるとか,歯痛を訴える子どもに酢を塗るなどの行為は,安息日労働禁止の掟に対する違反と見なされた.
3.1.3 「あなたの兄弟」(アデルポス)
「アデルポス」は,キリスト教会における学友を指す業界用語.マタイ教会の学友たちの間に存在した軋轢を想像させる.マタイ教会の状況が,イエス物語の中に投影されている.
3.2 「しかし,あなたの片目の中の梁をきちんと見ていないのですか?」
3.2.1 「梁」(ドコス)
「ドコス」は,大きな罪を象徴する.たとえば,学友を問答無用に断罪することは,「あなたの隣人を愛しなさい」という黄金律に違反する大きな罪になる.
3.2.2 「きちんと見ていない」
人は,他人の欠点に目くじらを立てるが,自分の欠点には目をつぶる傾向がある.なお,「目くじら」は元々「目くじり」がなまった言葉で,目尻のことを指します。目尻がつり上がる様子のこと.

4 ἢ πῶς ἐρεῖς τῷ ἀδελφῷ σου · Ἄφες ἐκβάλω τὸ κάρφος ἐκ τοῦ ὀφθαλμοῦ σου, καὶ ἰδοὺ ἡ δοκὸς ἐν τῷ ὀφθαλμῷ σοῦ;
あるいは,どうしてあなたは言っているのですか?←あなたの兄弟に.「さあ取り出してあげます←その木っ端を←あなたの片目から.そして,ほら,梁が←あなたの片目の中に.
4.1 「あるいは,どうしてあなたは言っているのですか?←あなたの兄弟に.「さあ取り出してあげます←その木っ端を←あなたの片目から」
4.1.1 「あるいは」
3節の蒸し返し.こういう執拗さは,福音書記者マタイの特徴である.
4.2 「そして,ほら,梁が←あなたの片目の中に」
4.2.1 「ほら」(イドゥー)
「イドゥー」は,気がついていない人に気づきをうながす間投詞.
4.2.2 「さあ取り出してあげます←その木っ端を←あなたの片目から」
こう言われる側としては,自分を棚に上げて何を偉そうに!と反発したくなるであろう
5 ὑποκριτά, ἔκβαλε πρῶτον ἐκ τοῦ ὀφθαλμοῦ σοῦ τὴν δοκόν, καὶ τότε διαβλέψεις ἐκβαλεῖν τὸ κάρφος ἐκ τοῦ ὀφθαλμοῦ τοῦ ἀδελφοῦ σου.
大根役者よ,取り出しなさい←最初に←あなたの片目から←その梁を.そうすればその時,あなたははっきり見るでしょう←取り出すために←その木っ端を←その片目から←あなたの兄弟の.

5.1 「大根役者よ,取り出しなさい←最初に←あなたの片目から←その梁を」
5.1.1 「大根役者」(ヒュポクリテース)
「ヒュポクリテース」は,本来,ギリシア悲劇の役者を意味する.ここでは,非難の論調であるから,「大根役者」と訳した.(なお,「コトバンク」によると,この用語は,,大根の根の白いことを素人に寄せていったもの,へたな役者を意味する「馬の脚」の脚から連想していったもの.大根はどのように食べても腹を壊さないので,へたなことと掛けて「当たらない」の意でいったもの,など諸説がある.)
5.1.2 「最初に」(プロートン)
何はともあれ,自分を変えることから始めなければならない.
5.2 「そうすればその時,あなたははっきり見るでしょう←取り出すために←その木っ端を←その片目から←あなたの兄弟の」
5.2.1 「あなたははっきり見るでしょう」(ディアブレポー)
「ディアブレポー」は,「ディア」(完全に)という前置詞と「ブレポー」(見る)が合成した動詞.「はっきり見える」ことである.よく見えない目で,相手の目の異物を取り除こうとする行為は,無謀であり,その目を傷づける危険がある.

5.2.2 正見(しょうけん)
「はっきり見えること」「はっきり見ること」,これが極めて難しい.これを仏教では「正見」と言う.正しい真実を見ることである.パーリ語では「サンマー・ディッティ」(sammā‑diṭṭhi), サンスクリットでは「サミャアグ・ドリシュティ」(samyag-dṛṣṭi))という.「全体を完全に見ること」が原義.正しい哲学的見解のこと.偏りのないできるかぎり広角的観点から見ること.

この域に達するためには,長年の哲学的修行を要する.たとえば,道元が越前に開設した永平寺の修行道場.ここで,道元とその朋友の懐奘や,その他の学友たちは,正見への到達を目指して,生涯にわたり修行をした.
クリスチャンの人生も,自己の目の中の丸太を取り除く努力を継続する,不退転の修行の道行きである.



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