8/10 マタイ福音書のイエス (第48回)~〈心配〉の対処法(2)
- 平岡ジョイフルチャペル

- 2025年8月11日
- 読了時間: 5分
2025年8月10日 主日礼拝
聖書講話 「マタイ福音書のイエス (第48回)
~〈心配〉の対処法(2)〜
聖書箇所 マタイ福音書 6章28〜30節 話者 三上 章
[聖書協会共同訳]
※下線は修正の余地があると思われる部分
28 なぜ、衣服のことで思い煩うのか。野の花がどのように育つのか、よく学びなさい。働きもせず、紡ぎもしない。 29 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。30 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
以下は原文の解明に基づく三上の私訳と講解です.
28 καὶ περὶ ἐνδύματος τί μεριμνᾶτε; καταμάθετε τὰ κρίνα τοῦ ἀγροῦ πῶς αὐξάνουσιν · οὐ κοπιῶσιν οὐδὲ νήθουσιν ⸃·
そして衣服について,なぜあなたがたは心配しているのですか?よく学習してください←畑の白百合たちを/どのようにそれらが成長していくかを.それらは労働しませんし,紡ぎもしません.
28.1 「そして衣服について,なぜあなたがたは心配しているのですか?」
イエスの学友たちは衣服の心配をしていた.彼らの心配をイエスは気づかっている.おそらく上等とはいえない彼らの衣服も,すり切れて見苦しくなっていたのであろう.そういう外見の彼らに人々は近づかない.彼らが近づくと人々は逃げるであろう.宗教活動を続けて行く上で,イエスも学友たちも,豪華でなくとも清楚な衣服を必要としていた.しかしイエスとて打ち出の小槌をもっているわけではない.学友たちの心配を気づかうイエスは,どのように対処するのか?
28.2 「よく学習してください←畑の白百合たちを」
28.2.1 「よく学習してください」
イエスは学友たちを実地学習にいざなう.これがこの時にイエスが行うことができた唯一の対処法であった.

28.2.2 「畑の白百合たちを」
「白百合」と訳した「クリノン」はそういう意味.「畑」と訳した「アグロス」は,耕した土地を意味するので,このように訳した.白百合は美しいが,果物や穀物を栽培する畑では,歓迎されない.そのようなものとしての白百合を,一緒に学習しましょうと,イエスは言う.
28.3 「どのようにそれらが成長していくかを.それらは労働しませんし,紡ぎもしません」
28.3.1 「どのようにそれらが成長していくかを」
学友たちに当てはめるなら,自分たちがどのように生命を繋いできたかを省みましょう,となる.有り難くも生存することができただけではなく,その生存は成長・進歩の道行きだったではありませんか?
28.3.2 「それらは労働しませんし」
学友たちはいわば出家した人たちであるから,真理の道を邁進していた.その邁進は労働に匹敵する.


28.3.3 「紡ぎもしません」
ローマ時代の女性は紡績の仕事をした.イエスの学友たちの中には女性たちもいた.彼女たちも出家者として真理の道を邁進していたので,紡績の仕事を行わなかった.
29 λέγω δὲ ὑμῖν ὅτι οὐδὲ Σολομὼν ἐν πάσῃ τῇ δόξῃ αὐτοῦ περιεβάλετο ὡς ἓν τούτων.
しかし,私はあなたがたに言います/ソロモーンでさえ/彼のあらゆる種類の栄華において/それら(白百合)のようでは(ありませんでした)





29.1 「しかし,私はあなたがたに言います」
イエスがというよりは,イエスに付託して福音書記者マタイが,マタイ教会のクリスチャンたちに,自分の考えを語る.私の推測では,マタイは富者と貧者の両方に言いたいことがある.
29.2 「ソロモーンでさえ/彼のあらゆる種類の栄華において」
29.2.1 マタイ教会のクリスチャンたちは,ユダヤ教聖書に通じていたから,ソロモン王の「あらゆる種類の栄華」と聞くと,それに思いをはせることができた.
29.2.2 富者たちへの戒め
華美に走りがちの富者には,質素の勧めとなる.
29.2.3 貧者たちへの慰め
衣服を買うことができない貧者には,慰めの言葉となる.しかし,ここにマタイの現実軽視が露呈する.貧者が必要とするのは,慰めの言葉よりも衣服の給付である.
29.3 「それら(白百合)のようでは(ありませんでした)」
29.3.1 とはいえ,畑の中の白百合はとても美しいことに変わりはない.白百合とは誰か?イエスの学友たちである.マタイ教会の清貧に生きるクリスチャンたちである.
29.3.2 良寛[1758~1831]
日本でいえば,江戸時代の托鉢僧良寛も白百合の一人である.彼は,釈尊と同様に托鉢によって生きていく道を貫いた.寺の住職として,檀家からの布施で豊かな生活をした,当時の一般的な僧侶の生活とは対極の生き方である.良寛が習性愛用した黒衣は,官僧の白衣にまさる白百合の光輝を放っていた.



30 εἰ δὲ τὸν χόρτον τοῦ ἀγροῦ σήμερον ὄντα καὶ αὔριον εἰς κλίβανον βαλλόμενον ὁ θεὸς οὕτως ἀμφιέννυσιν, οὐ πολλῷ μᾶλλον ὑμᾶς, ὀλιγόπιστοι;
畑の雑草を←今日存在しており,明日炉の中に投げられつつある/神はそのように装っているならば,はるかに一層あなたがたを(装うのではありませんか)?小さい信仰の人たちよ.
30.1 「畑の雑草を←今日存在しており,明日炉の中に投げられつつある」
30.1.1 この節も,マタイの現実軽視の傾向を露呈している.

30.1.2 「畑の雑草」
ここでは麗しい白百合を雑草呼ばわりしている.「雑草」と訳した「コルトス」は「草」という意味.農耕用の畑にとって白百合は余計なものであるとしても,雑草とはいかがなものか?白百合を愛でたばかりではないか.

30.1.3 「今日存在しており,明日炉の中に投げられつつある」
マタイはこれを言いたかったのであろう.白百合の現実がそうであるなら,人間も同じである.生まれた.若者に成長した.若さの美しさを輝かすも束の間,やがて年老いて死ぬ.そして荼毘に付される.なお,荼毘は古代インド語の音訳.当て字である.「燃やす」「火葬する」を意味する,サンスクリット語の「ディヤーピタ(dhyapita)」,またはパーリ語の「ジャーピタ(jhapita)」の音訳に由来すると推定されている.
30.2 「神はそのように装っているならば」
「雑草」の印象から「白百合」の印象に戻る.衰えた高齢者の私が盛んな時分の青年時代に戻るなら,ということか.
30.3 「はるかに一層あなたがたを(装うのではありませんか)」
希望の表明である.希望は失望に終わることもある,どころではない.
30.4 「小さい信仰の人たちよ」
必要な衣服が得られないのは,信仰が足りないからだというのであれば,それは違う.足りないのは,信仰ではなくお金である.今の日本の物価高・給料安という切実な問題.政治家の皆さん,権力闘争などを止めて,この喫緊の課題に一致協力して,命がけで取り組み続けていただきたい.



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