7/13 マタイ福音書のイエス (第45回)~〈見る目がある〉を考察する
- 平岡ジョイフルチャペル
- 12 分前
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2025年7月13日 主日礼拝
聖書講話 「マタイ福音書のイエス (第45回)
~〈見る目がある〉を考察する〜
聖書箇所 マタイ福音書 6章22〜23節 話者 三上 章

[聖書協会共同訳]
※下線は修正の余地があると思われる部分
22 「目は体の灯である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、23 目が悪ければ、全身も暗い。だから、あなたの中にある光が暗ければ、その暗さはどれほどであろう。」
以下は原文の解明に基づく三上の私訳と講解です.
22 Ὁ λύχνος τοῦ σώματός ἐστιν ὁ ὀφθαλμός. ἐὰν οὖν ᾖ ὁ ὀφθαλμός σου ἁπλοῦς, ὅλον τὸ σῶμά σου φωτεινὸν ἔσται ·
身体の明かりです/その目は.もしあなたの目が一重(ひとえ)であるならば,あなたの全身体は明るいです.
22.1 「身体の明かりです/その目は」
22.1.1 「身体」
「身体」(ソーマ)を持つのが人間という存在である.身体をもたない人間は,現に生きている人間とは言えない.身体の部分は,どれ一つとして不要なものはない.日常生活の観点からは,特に目はなくてはならない.
22.1.2 「明かり」(リュクノス)
身体を家屋に例えるなら,目は照明器具である.それがなければ,夜間には,あるいは停電の時には身動きがままならない.身体を自動車に例えるなら,目はライトである.それがなければ,夜間に街灯一つない道路上において,自動車を動かすことは危険きわまりない.
22.1.3 「その目」(ホ・オプタルモス)
「ホ」(その)という定冠詞と単数形の「オプタルモス」(目)との組み合わせである.「ホ」は,この短文において「目」が主語・主体であることを明示する.単数形の「オプタルモス」は,目の本質と働きに重点を置いていることを示唆する.身体の目の観点からは,「視覚」「視力」.心の目の観点からは,「理解力」「判断力」「洞察力」ということ.
22.1.4 スマホ利用に潜む危険性
心の目に行く前に,身体の目について一考しておきたい.その一考とは,スマホを見る目のあり方である.つまり,スマホ利用に潜む危険性である.以下の画像は,広島市広報誌に掲載された画像の転載である.

22.1.5 シニア向け スマホの活用法
もちろんスマホは有用でもある.以下の画像は朝日新聞からの転載である.

22.2 「もしあなたの目が一重であるならば,あなたの全身体は明るいです」
22.2.1 「あなたの目」
ここでの目は心の目.他でもなくあなたの心の目である.言い換えると,「見方」「視点」「観点」「見解」「見地」「見抜く力」「洞察力」「先見の明」「見る目」
22.2.2 「一重」(ハプルース,ひとえ)
「ハプルース」の原義は,二重(ふたえ)ではなく「一重」ということ.目に関しては,「二重」は,「一つのものが二重に見える」「縦横斜めに重なって見える」.いわゆる「複視」(diplopia).
1つの物はハッキリと見え(真像),もう一方の物はややぼやけて見える(仮像).

心の目に関して言えば,「裏地のついていない」,つまり「裏がない」「まじりけのない」「ありのままの」「先入観や偏見のない」「嘘をつかない」.そういう心に到達したいものである.もし到達したならば,どうなるか?
22.2.3 「あなたの全身体」
あなたという人間の一日,一週間,一ヶ月,一年,全生涯がほんとうに生きたもの,真の人生となる.それを,福音書記者マタイは独特の言葉で表現する.
22.2.4 「明るい」(ポーテイノス)
「光」(ポース)の形容詞.「光の」「光り輝く」「明るい」「明白な」を意味する.虚偽ではなく真実を,誤謬ではなく真理を示唆する.それでは,人間と人生にとって真実・真理とは何か?残念ながら,私としては聖書という書物の中に答えを見いだすことができない.
22.2.5 四聖諦(ししょうたい)
むしろ,仏教の経典の中にヒントがあると認識している.それは「四聖諦」(四つの聖なる真理)という教説.「諦」の訓読は「諦める」.「諦める」は「明める」という意味
(1) 苦諦:この現実世界は苦であるという真理.
(2) 集諦 (じったい):苦の原因は迷妄と執着にあるという真理.
(3) 滅諦 :迷妄を離れ,執着を断ち切ることが,悟りの境界に至ることであるという真理.
(4) 道諦:悟りの境界にいたる具体的な実践方法は,八正道であるという真理.

22.2.6 八正道
(1)正見(しょうけん) 正しい見解,人生観,世界観.
(2)正思(しょうし) 正しい思惟,意欲.
(3)正語(しょうご) 正しいことば.
(4)正業(しょうごう) 正しい行い,責任負担,主体的行為.
(5)正命(しょうみょう) 正しい生活.
(6)正精進(しょうしょうじん) 正しい努力,修養.
(7)正念(しょうねん) 正しい気遣い,思慮.
(8)正定(しょうじょう) 正しい精神統一,集注,禅定(ぜんじょう,ディアーナ),三昧(さんまい,サマーディ).

22.2.7 明める
「明める」とはどういうことか?固定した言語表現では言えない.明める人・明める人生なら,言うことができる.思いつくままに,日本では,道元,日蓮,親鸞,白隠,良寛,吉田松陰,新渡戸稲造,賀川豊彦,石橋湛山.外国では,孔子,ゴータマ,ソクラテス,イエス,アッシジのフランチェスコ,ガンディー,ホー・チ・ミン.
22.2.8 ホー・チ・ミン(胡志明) 1890〜1969年
植民地解放の志を抱いてグエン=アイコク(阮愛国)の名でフランスに滞在中,社会主義運動に参加.1920年フランス共産党の創設に参加後は,ソ連・中国で活動.1930年,インドシナ共産党を結成.1941年,ベトナム独立同盟(ベトミン)を組織し,第二次大戦中は抗日解放戦を指導.1945年にベトナム民主共和国の建国を宣言.初代大統領となり,インドシナ戦争・ベトナム戦争を戦い抜き,独自の社会主義建設を指導した.

23 ἐὰν δὲ ὁ ὀφθαλμός σου πονηρὸς ᾖ, ὅλον τὸ σῶμά σου σκοτεινὸν ἔσται. εἰ οὖν τὸ φῶς τὸ ἐν σοὶ σκότος ἐστίν, τὸ σκότος πόσον.
しかし,もしあなたの目が悪党のようならば,あなたの全身体は暗いです.それゆえ,あなたの中の光が暗いなら,その暗さはどれほど大きいでしょう.
23.1 「しかし,もしあなたの目が悪党のようならば,あなたの全身体は暗いです」
23.1.1 「悪党のよう」(ポネーロス)
「ポネーロス」の原義は,「労苦に抑圧された」.そこから,「つらい」「苦しい」「惨めな」「無益な」「無価値の」「悪党のような」「野卑な」「臆病な」などの意味が派生した.つまり,心の目が役立たずであるだけではなく,悪党・ならず者のようであるということ.「裏のある」「不純な」「歪曲した」「先入観や偏見にとらわれた」「嘘をつく」目は,破壊的である.
23.1.2 「あなたの全身体は暗いです」
人格と人生が真実・真理を欠如することになる.本当に生きた人生・真の人生とは無縁になる.他人事ではない.「あなたの全身体は」と書いてある.
23.2 「それゆえ,あなたの中の光が暗いなら,その暗さはどれほど大きいでしょう」
23.2.1 「それゆえ」
マタイは,伝承の言葉をまとめる.
23.2.2 「あなたの中の光が暗いなら」
せっかく部屋に照明器具があっても,スイッチを入れなければ,部屋は明るくならない.あるいは,照明器具が壊れていれば,スイッチを入れても,部屋は明るくならない.
23.2.3 「その暗さはどれほど大きいでしょう」
暗い心の目は暗い人間をもたらし,暗い人生をもたらす.その被害・損失は莫大である.この暗さを,仏教では「無明」という.無知ということ.先に紹介した四聖諦や八正道に関する無知である.私なりの修行をしなければならない.
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