6/1 マタイ福音書のイエス (第40回)~〈祈り〉の姿勢と内容を検討する〜
- 平岡ジョイフルチャペル
- 1 時間前
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2025年6月1日 主日礼拝
聖書講話 「マタイ福音書のイエス (第40回)~〈祈り〉の姿勢と内容を検討する〜
聖書箇所 マタイ福音書 6章5〜8節 話者 三上 章
[聖書協会共同訳]
※下線は修正の余地があると思われる部分
5 「また、祈るときは、偽善者のようであってはならない。彼らは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈ることを好む。よく言っておく。彼らはその報いをすでに受けている。6 あなたが祈るときは、奥の部屋に入って戸を閉め、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。7 祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。彼らは言葉数が多ければ、聞き入れられると思っている。8 彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。

以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解です.
5 Καὶ ὅταν προσεύχησθε, οὐκ ἔσεσθε ὡς ⸃ οἱ ὑποκριταί · ὅτι φιλοῦσιν ἐν ταῖς συναγωγαῖς καὶ ἐν ταῖς γωνίαις τῶν πλατειῶν ἑστῶτες προσεύχεσθαι, ὅπως φανῶσιν τοῖς ἀνθρώποις · ἀμὴν λέγω ὑμῖν, ἀπέχουσι τὸν μισθὸν αὐτῶν.
そしてあなたがたが祈っている時はいつでも,あってはいけません←役者たちのように.なぜなら彼らは愛しています/諸のシュナゴーゲーの中で,そして諸の通りの諸の角の中で,立ちながら祈ることを/人々に見えるために.アメーン,私はあなたがたに言います.彼らは遠ざけています←彼らの報酬を.
5.1 「そしてあなたがたが祈っている時はいつでも,あってはいけません←役者たちのように」
5.1.1 「時はいつでも」(ホタン)
福音書記者の律義な性格が現れている.いつでも必ずという戒律主義.
5.1.2 「あなたがたが祈っている」
定動詞は「プロセウコマイ」.ここでは現在時称なので,進行・継続・繰り返しの意味を汲んでこのように訳した.ユダヤ教の祈りの対象は,ヤハウェである.祈りの形式は,賛美と願いが主であった.他に,感謝,罪の告白,執り成しもあった.とりわけ,賛美と感謝が最高の形式であった.成文の祈りもあれば自由な祈りもあった.一日に,朝・午後・番と三回祈ることが求められていた.午後とは3時頃.
5.1.3 ユダヤ教の安息日礼拝の構成


5.1.4 「あってはいけません←役者たちのように」
「役者」と訳した「ヒュポクリテース」は,そういう意味.職業俳優である.中には大根役者もいた マタイのイエスは,祈りの茶番劇を戒める.曰く.祈りは真摯たるべし.
5.2 「なぜなら彼らは愛しています/諸のシナゴーゲーの中で,そして諸の通りの諸の角の中で/立ちながら祈ることを/人々に見えるために」
5.2.1 「なぜなら彼らは愛します」
茶番の祈りについての説明である.「愛します」と訳した「ピレオー」は,「好む」という軽い程度ではなく,「熱烈な情愛をもって愛する」.それは自分の欲望を貫徹しようとする.ヤハウェは蚊帳の外.自己への愛着以外の何ものでもない.
5.2.2 「諸シュナゴーゲーの中で,そして諸通りの諸角の中で」
これらの場所が,祈りの茶番劇で大根役者が演ずる舞台である.
5.2.3 「立ちながら祈ることを」
日々の祈りは,「アミダ」(立祷)または「テピラ」(祈り)といい,立って祈ることが求められた.2節の「ラッパを吹く」への言及から見て,午後の神殿における供犠の時刻が推測される.ラッパの音が聞こえると,人々はすべてのことを止めて,祈りを捧げた.姿勢は,膝立ちか跪く.特別の場合は,ひれ伏す.
5.2.4 「人々に見えるために」
神に向かって祈るのではなく,人に見られるために祈る.そういう虚栄の祈りを,マタイのイエスは戒める.
5.3 アメーン,私はあなたがたに言います.彼らは遠ざけています←彼らの報酬を」
5.3.1 「アメーン,私はあなたがたに言います」
「アメーン」とは「真実に」という意味.マタイは,教会のクリスチャンたちに,イエスの口を借りて自分の宗教観を強調している.
5.3.2 「彼らは遠ざけています←彼らの報酬を」
神によしとされる栄誉を,要りませんと拒絶している.
6 σὺ δὲ ὅταν προσεύχῃ, εἴσελθε εἰς τὸ ταμεῖόν σου καὶ κλείσας τὴν θύραν σου πρόσευξαι τῷ πατρί σου τῷ ἐν τῷ κρυπτῷ · καὶ ὁ πατήρ σου ὁ βλέπων ἐν τῷ κρυπτῷ ἀποδώσει σοι.
他でもなくあなたが祈る時はいつでも,あなたの密室(タメイオン)の中に入りなさい.そしてあなたの戸を閉めて祈りなさい/あなたの父に←隠れた場所の中の.そうすればあなたの父は←隠れた場所の中で見ている/あなたに支払うでしょう.
6.1 「他でもなくあなたが祈る時はいつでも,あなたの密室(タメイオン)の中に入りなさい」
6.1.1 「他でもなくあなたが」(シュ)
「シュ」という人称代名詞の主格.強調である.あなた自身のこととして,真剣に受け止めなさいということ.
6.1.2 「密室(タメイオン)」
「タメイオン」は,「内奥の部屋」「密室」「貯蔵室」を意味する.ここでは文脈から見て,「密室」を採用した.密室のない家の場合はどうするか?とにかく人に見てもらおうという下心を捨てよということ.
6.2 「そしてあなたの戸を閉めて祈りなさい/あなたの父に←隠れた場所の中の」
6.2.1 「あなたの戸を閉めて」
密室に入り,さらに戸を閉める.おおげさ,やり過ぎのように思われるが,そこがマタイのマタイたる所以.
6.2.2 「あなたの父に←隠れた場所の中の」
ひたすら父に向かって祈る.これがマタイが強調したいこと.「隠れた場所の中の」ということは,あなたや人々には見えない場所.
6.3 「そうすればあなたの父は←隠れた場所の中で見ている/あなたに支払うでしょう」
6.3.1 「隠れた場所の中で見ている」
「隠れた場所」が繰り返されている.父はお見通しだということ.
6.3.1 「あなたに支払うでしょう」
4節で同じ動詞が使われた.「支払う」と訳した「アポディドーミ」は,それが原義.何を支払うのかが明示されていない.わざとであろう.補うとすれば,神の報酬であろう.世間でいう報酬ではない.
私の観点からは,報酬を求めるという発想自体が低水準である.
仏教の般若系の経典には,「三輪清浄」(さんりんじょうしょう)の教えが説かれている.他人に施しをした時,3つのことを忘れなさいという.その3つとは,1) 私が(施者) 2) 誰々に(受者) 3) 何々を(施物). 施した恩に執着してはならない.

7 Προσευχόμενοι δὲ μὴ βατταλογήσητε ὥσπερ οἱ ἐθνικοί, δοκοῦσιν γὰρ ὅτι ἐν τῇ πολυλογίᾳ αὐτῶν εἰσακουσθήσονται ·
あなたがたが祈っている時には,あてどなく口にしてはいけません←異教徒たちのように.なぜなら彼らは思っているからです/と/←彼らの多弁によって聞き入れられるであろう.
7.1 「あなたがたが祈っている時には,あてどなく口にしてはいけません←異教徒たちのように」
7.1.1 「あてどなく口にしてはいけません」
「あてどなく祈る」と訳した「バッタロゲオー」の原義は,私の推測ではそういう意味.祈る対象が定まっていない.父以外の神々を,下手な鉄砲数打ちゃ当たる式に口にしてはいけない.
7.1.2「異教徒たちのように」
「異教徒たち」(エトニコイ)は,非ユダヤ教徒たちを指す.マタイの選民意識が,ポロリと露呈した.マタイの見るところでは,彼らは,ゼウスやアポロやヘラやアプロディテーを含むその他多くの神々に向かって祈る.したがって長広舌になる.父にしてみれば,もうやめてくれと言いたくなるような迷惑な祈りをしてもらいたくない,とマタイのイエスは言う.
7.2 「なぜなら彼らは思っているからです/と/←彼らの多弁によって聞き入れられるであろう」
7.2.1 「なぜなら彼らは思っているからです」
くどい祈りをする人たちは思い違いをしている.
7.2.2 「彼らの多弁によって聞き入れられるであろう」
「多弁」(ポリュロギア)は,個人の祈りにおける多弁の言及であろう.まじめなユダヤ教徒は,一日に三度「十八の祝祷」と二度「朝夕のシェマーの祈り」を捧げ,食事の最初と中間と終わりにも祈りを捧げた.その習慣そのものを,マタイのイエスは否定しているのではない.人前での,父に対するくどい祈りは不要であると言っている.
7.2.3 「聞き入れられるであろう」
主語は明記されていないが,願いごとであろう.父は熱心な願いを聞き入れるはずである,聞き入れるべきであるという,自分勝手な強引な祈りである.
8 μὴ οὖν ὁμοιωθῆτε αὐτοῖς, οἶδεν γὰρ ὁ πατὴρ ὑμῶν ὧν χρείαν ἔχετε πρὸ τοῦ ὑμᾶς αἰτῆσαι αὐτόν.
ですから,あなたがたは彼らと同様の者であってはいけません.なぜなら,知っています←あなたがたの父は/あなたがたが必要としている諸事物を/あなたがたが彼(父)に願う前に.
8.1 「ですから,あなたがたは彼らと同様の者であってはいけません」
8.1.1 「彼らと同様の者」
「彼ら」とは祈り茶番劇の大根役者を指す.祈りは茶番劇ではない.真剣勝負である.
8.2 「なぜなら,知っています←あなたがたの父は/あなたがたが必要としている諸事物を/あなたがたが彼(父)に願う前に」
8.2.1 「なぜなら,知っています←あなたがたの父は」
なぜ見せかけの祈りはいけないのかについての理由説明.父は知っている.全部知っている.何でも知っている.こういう神観は重要である.正しい自己認識につながる.
8.2.2 「あなたがたが必要としている諸事物を」
今私が一番必要としているものは何か?それは私に分かっていることでもあれば,厄介なことに,分かっていないこともある.父に願うべきことでもあれば,願うべきでもないこともありうる.
8.2.3 「あなたがたが彼(父)に願う前に」
父は私たちが願う前にそれを知っている.それゆえ,哲学者プラトンは,『国家』篇の中で,どんな願いごとであれ,それ神に願うべきではないとまで言っている.父よ,お任せします.ハレルヤである.ヤハウェを賛美せよである.
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