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4/5 マタイ福音書のイエス (第73回)~ある発話障がい者の治癒〜

  • 執筆者の写真: 平岡ジョイフルチャペル
    平岡ジョイフルチャペル
  • 4月5日
  • 読了時間: 8分

2026年4月5日 主日礼拝

聖書講話     「マタイ福音書のイエス (第73回)~ある発話障がい者の治癒〜」

聖書箇所    マタイ福音書 9章32〜34節   話者 三上  章


      [聖書協会共同訳]  

        ※下線は修正の余地があると思われる部分

32 二人が出て行くと、人々が、悪霊に取りつかれて口の利けない人をイエスのところに連れて来た。33 悪霊が追い出されると、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚いて、「こんなことは、イスラエルでいまだかつて見たことがない」と言った。34 しかし、ファリサイ派の人々は、「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言った。

 以下は原文の解明に基づく三上の語順訳と講解です.


32 Αὐτῶν δὲ ἐξερχομένων ἰδοὺ προσήνεγκαν αὐτῷ ἄνθρωπον κωφὸν δαιμονιζόμενον ·

彼らが出て行った時,見よ!人々は,ところに連れて来た←彼(イエス)の←一人の発話障がいの人間を←ダイモーン神的なものによって捉えられている.


32.1 「彼らが出て行った時」

 イエスはある人の家の中で,二人の目の不自由な人を治癒した.一件落着,二人が,あるいはイエスの一行が,その家から喜びをもって出て行った時.

32.2 「見よ!」

 注意を喚起する間投詞.ちゃんと見ることは重要である.


33.3 「人々は,ところに連れて来た←彼(イエス)の←一人の発話障がいの男性を」

33.3.1 「人々は」

 冒頭の「彼ら」とは異なる人々.

33.3.2 「ところに来た←彼(イエス)のところに」

 イエスはまだだれかの家の中にいたのか,それとも家の外に出たのかは不明.他の患者が自分の順番を待ちかねていた.その患者はいよいよ自分がイエスに診てもらえる.

33.3.3 「一人の発話障がいの人間」(コーポス)

 「コーポス」は,「物の言えない」「口がきけない」という意味.「発話障がい者」と訳した.いわゆる聴覚障害の人なのか失語症の人なのか,それとも別の類いなのかは不明である.いわゆる聴覚障がいについて,理解を深めておきたい.

 1)Pecoe(ペコ)Magazineによると,ろう者とろうあ者の違いは?

 聴覚障がいは,先天的または後天的な原因によって音が聞こえなかったり聞こえづらかったりする障がい.音を聞き取りづらい人を「難聴者」,音が聞こえない人を「失聴者」と呼ぶのが一般的だが,そのほかに失聴者を「ろう者」「ろうあ者」と呼ぶ場合がある.

 ろう者とろうあ者の違いは,「あ」が付くか付かないかだが,呼び方が似ていてもまったく同じ意味というわけではない.

 ろう学校の存在などから「ろう」という呼称を知る人は多いと思うが,「ろう」と「ろうあ」の違いについて明確に説明できる人は限られるのではないだろうか.

 漢字で書くと「ろう」は「聾」,「ろうあ」は「聾唖」と書く.

 どちらも,日常的に使用する機会の少ない漢字で,「聾」は耳が聞こえないことを表し,「唖」は口をうまく使って話せないことを表す漢字.

 2)平凡百科事典マイペディアによると,聾唖(ろうあ) 耳が聞こえず話せない

 聾唖は今日あまり用いられない言葉ではあるが,いわゆる高度難聴を聾といい, 生まれつき, または生後3歳以内に高度の難聴になったために, 言語学習ができなくて発語のできない状態を聾唖という.

 前者の主要な原因は遺伝と先天性風疹症候群,先天性梅毒などで,後者は流行性脳脊髄膜炎,おたふく風邪,内耳炎,ストレプトマイシンその他の薬物中毒などによる.

 先天性聾唖の一部を除けば,聴覚障害以外に身体的欠陥はない.一般に発語機能は正常なので聾学校などで専門教育を受ければ発語は可能となる.

 3)言語発達障害の種類

 4)聴覚障がい者の不便,困難

 5)コミュニケーションの方法

   どのような方法でコミュニケーションをとればよいか、確認しましょう。コミュニケーション手段としては、口話、筆談、要約筆記、手話、空書、身振り、ファックス、メール通信などがあり、多くの聴覚障害者は話す相手や場面によって複数の手段を組み合わせたり、使い分けたりしています。   口話、筆談などは視覚的にも神経の集中を伴うので、聴覚障害者が疲れていないか気をつけましょう。   聴覚障害は、コミュニケーション障害であるとも言われます。声を使って話したり聞いたりするのが当たり前と思われている環境では、音声でのコミュニケーションを強いられることが少なくありません。周りの雰囲気に合わせて分かったふりをせざるを得ないこともあります。また、大勢の人と交わることは非常な労力を伴います。まず聴覚障害者の話しを聞き、相手がわからないことを聞き返しやすい雰囲気づくりなどを心がけましょう。

(1) 口話で会話するとき   常に顔の見える位置で、注意をうながしてからはっきり、少しゆっくりと話しましょう。会議など複数の人がいる場では、話す前に手を挙げるなどして、名前を名乗り、一人ずつ話します。伝わりにくいときは、手がかりになる言葉を挿入したり、何の話をしているかを伝えて、内容を把握しやすいようにします。

(2) 筆談するとき   要点を短く簡潔に書き、まわりくどい表現やあいまいな表現は避けましょう。また、記号や図を用いて表現を明確にします。視覚的に図式化された表現は、必要な情報が伝わりやすくなります。

(3) 手話通訳者・要約筆記者がいる時   主体は本人なので、聴覚障害者本人に向かって話しましょう。また、複数の人が同時に話したり、極端に早口で話したりすると、通訳することができなくなって、聴覚障害者に十分に伝わらないことがあります。その場にいる全員で通訳しやすい環境づくりに配慮しましょう。

(4) 手話をするとき   手話は、特に先天性の重度聴覚障害者にとって重要なコミュニケーション手段ですが、すべての聴覚障害者が手話を用いるわけではないことに注意しましょう。   手話にもさまざまな表現方法があり、障害の時期や手話を獲得した時期、地域などによって異なります。

(5) 放送やアナウンスがあった時   電車やバスの中などのアナウンスは、聴覚障害者には聞き取りにくいものです。事故などの緊急時に状況が分からず困っている人がいたら、肩を優しくたたくなどして声をかけ、メモなどに内容を書いて伝えましょう。

33.4 「ダイモーン神的なものによって捉えられている」

 これが逐語訳.伝承を担った当時の人々の見立て.ダイモーン神は,古代ギリシアにおける人間の幸福不幸を司る男神.ソクラテスにとってはよい神であった.元の言葉「ダイモニゾマイ」は,イエスの時代になると,なにやら悪い霊によって囚われているという意味で使用されていたことがわかる.迷信である.現代では,病理学的原因によるものと考える.わたしのよく知っている人は耳が聞こえにくくなった.医者に処方していただいた薬を飲み続けたところ,じきにちゃんと聞こえるようになった.「ダイモニゾマイ」ではない.


33 καὶ ἐκβληθέντος τοῦ δαιμονίου ἐλάλησεν ὁ κωφός. καὶ ἐθαύμασαν οἱ ὄχλοι λέγοντες · Οὐδέποτε ἐφάνη οὕτως ἐν τῷ Ἰσραήλ.

そして追い出された時←そのダイモーン神的なものが,話した←その発話障害者は.そして,驚嘆した←諸々の群衆は.いわく.「いまだかつてそのように起こらなかった←イスラエルで」


33.1 「そして追い出された時←そのダイモーン神的なものが」

33.1.1 「そして追い出された時」

 その言葉の不自由な男性は何も言わない.言えない.しかし,イエスは彼の心の願いがわかる.痛いほどわかる.イエスは彼を治癒した.

33.1.2 「話した←その発話障がい者は」

 たちどころにその男性は,話した.「話した」という言葉が先に来る.驚くべきことに,話したという意味合い.何を話したかは記されていないが,想像に難くない.「ありがとうございます」か「神を賛美します」あたりか.

33.1.3 「そのダイモーン神的なものが」

 単数形.伝承の観点からの表現.イエスの観点かどうかは,聞き手の理解にまかされている.

33.1.4 「イスラエルで」

 古代イスラエル王国はもはや存在しない.今やローマ帝国の時代である.この表現によって,古代イスラエル王国におけるメシア待望の預言と,その預言のイエスにおける成就が示唆されているかもしれない.後期ユダヤ教の神学である.


33.2 「そして,驚嘆した←諸々の群衆は」

33.2.1 「驚嘆した」

 まさに驚嘆すべき光景である.その驚嘆がイエスへの信に至るかどうかは,人によりけりである.

33.2.2 「諸々の群衆」

 「群衆」は複数形.群衆A,群衆B,群衆C....おびただしい数である.誇張ともとれるが,福音書記者マタイの言わんとすることはわかる.

33.2.3 「いまだかつてそのように起こらなかった」

 「エパネー」は,おそらくそういう意味.諸々の群衆の驚嘆が伝わってくる.


34 οἱ δὲ Φαρισαῖοι ἔλεγον · Ἐν τῷ ἄρχοντι τῶν δαιμονίων ἐκβάλλει τὰ δαιμόνια.

しかし,パリサイ党員たちは言った.「かしらによって←ダイモーン神的なものどもの←彼は追い出している←ダイモーン神的なものどもを」


34.1 「しかし,パリサイ党員たちは言った」

 「パリサイ党員たち」は,マタイ教会の時点では,ユダヤ教会堂の長老たちを示唆する.全員ではなく,イエスの偉大さを認めたくない部類の人たち.彼らは,ユダヤ教の会堂を脱会して,キリスト教に転向していく人たちに対して腹を立てていた.

34.2 「かしらによって←ダイモーン神的なものどもの」

 キリスト教は極めて悪い宗教だと悪口を言おうとしている.浄くあるべき宗教者のありうべからざる汚い言葉である.

34.3 「追い出している←ダイモーン的なものどもを」

 彼らとて目の前で起こった奇跡的治癒を認めざるをえない.イエスとそれに続くキリスト教運動は,単に言葉だけではなく行動を特徴としていた.

33.4 このパリサイ党員たちの文言は,イエスはダイモーン神的なものどものかしらである,と言わんとしている.悪党の神々の親分だという,罵詈雑言である.そうではなく,イエスはこの男性に対する慈しみによって治癒を行った.

 今日のイエス・キリストの復活日,わたしたち一人一人の心の中に生きたもうイエスさまは,まことに慈しみ深いお方である.


 
 
 

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