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4/12 マタイ福音書のイエス (第74回)~治癒の同心円の拡大〜

  • 執筆者の写真: 平岡ジョイフルチャペル
    平岡ジョイフルチャペル
  • 4月13日
  • 読了時間: 7分

2026年4月12日 主日礼拝

聖書講話     「マタイ福音書のイエス (第74回)~治癒の同心円の拡大〜」

聖書箇所    マタイ福音書 9章35〜38節   話者 三上  章


      [聖書協会共同訳]  

        ※下線は修正の余地があると思われる部分

35 イエスは町や村を残らず回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いを癒やされた。36 また、群衆が羊飼いのいない羊のように弱り果て打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。37 そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。38 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」


 以下は原文の解明に基づく三上の語順訳と講解です.


35 Καὶ περιῆγεν ὁ Ἰησοῦς τὰς πόλεις πάσας καὶ τὰς κώμας, διδάσκων ἐν ταῖς συναγωγαῖς αὐτῶν καὶ κηρύσσων τὸ εὐαγγέλιον τῆς βασιλείας καὶ θεραπεύων πᾶσαν νόσον καὶ πᾶσαν μαλακίαν.

そして巡回した←イエスは←あらゆるポリスとコーメーを,教えながら←それらのシュナゴゲーの中で,そして告知しながら←その福音を←その王国の,そして治癒しながら←あらゆる種類の病気とあらゆる種類の病弱を.



35.1 「そして巡回した←イエスは←あらゆるポリスとコーメーを,」

35.1.1 「そして巡回した←イエスは」

 イエスは自分のほうから出て行った.往診をいとわない医師のようである.

35.1.2 「あらゆるポリスと村々を」

 「あらゆる」という形容詞が修飾するのは「ポリス」だけか,「コーメー」を含むのか?コーメーはポリスの政体をもたない共同体である.ポリスの場合,イエスは都市を優先したことになるが,イエスはそういう人ではない.「コーメー」の場合,イエスは小さな共同体をも軽視しなかったことになるが,はたしてそのための時間と体力を持ち合わせていただろうか?

 イエスの巡回活動は,三つのことを含んでいた.

35.2 「教えながら←それらのシュナゴゲーの中で,」

 一つ目である.ユダヤ教のシュナゴーゲーでトーラーを教えるユダヤ教のラビ,それがマタイ福音書記者が想念するイエスである.

35.3 「そして告知しながら←その福音を←その王国の」

35.3.1 「告知しながら」(ケーリュッソーン)

 定動詞の「ケーリュッソー」の原義は,「伝令」(ケーリュクス)が伝言を伝えるという意味.

35.3.2 「その福音を←その王国の」

 二つ目である.これがイエスによる伝言告知の内容である.「福音」(エウアンゲリオン)の原義は,戦闘中に伝言を伝える行為は危険を伴うが,命がけで伝言を伝えた伝令に下賜される相応の褒美のことである.大きな価値をもつもの,栄誉を輝かせるものである.「その王国の」の「の」は,同格を示す「の」であるとわたしは解釈する.「その王国」というその福音,その福音すなわちその王国である.その王国はこよなく尊いものであり,福音書記者マタイの観点からは,救い主イエス・キリストにほかならない.


35.4 「治癒しながら←あらゆる種類の病気とあらゆる種類の病弱を」

35.4.1 「治癒しながら」(テラペウオーン)

 三つ目である.定動詞の「テラペウオー」は,治療だけではなく看護も含む.イエスは治療も看護も行った.余人にして為しあたわぬことである.現代の日本においても,医療の必要は大きく,所により切迫している.金曜日のテレビ放送で,沖縄の石垣島で孤軍奮闘してきた73歳の医師が報道されていた.そろそろ体力の限界に近づいているという.政府も手をこまねいているわけではない.ぜひ患者にとっても医療者にとってもよい方策が打ち出されてほしい.


36 Ἰδὼν δὲ τοὺς ὄχλους ἐσπλαγχνίσθη περὶ αὐτῶν ὅτι ἦσαν ἐσκυλμένοι καὶ ἐρριμμένοι ὡσεὶ πρόβατα μὴ ἔχοντα ποιμένα.

彼(イエス)が見た時←諸群衆を←大いに慈しんだ←彼らについて,なぜなら彼らはずたずたにされていた,そして投げ落とされていたからである←羊たちのように←羊飼いをもっていない.


36.1 「彼(イエス)が見た時←諸群衆を←慈しんだ←彼らについて」

36.1.1 「彼(イエス)が見た時」

 「見た」というのは,ちゃんと見たということ.戦場カメラマンがしっかりと見るように.イエスはどのポリスやコーメーに巡回しても,大勢の人から必要とされた.

36.1.2 「諸群衆を」

 治癒を切望する人々は,イエスの時代にも大勢存在していた.ローマ時代にもすぐれた医療があったが,一般の人々には高額すぎる高嶺の花であった.彼らは誰に頼ればいいのか?各地を巡回する民間療法風の医療団も存在したが,あやしいものであり,高額の医療費をぶっかけていた.現代日本はキリスト教の何を必要としているか?キリスト教の神学的教説か?そうでわない.治療という行為である.

36.1.3 「大いに慈しんだ」

 定動詞の「スプランクニゾマイ」は,仕留められた獲物が内蔵を食べられる,という意味.それほど痛い思いをする,傷んでいる相手とその痛みを共有するということ.仏教でいう「慈悲」に相当する.慈悲は,もともと別の言葉で.「慈」(マイトリー)は,「人々に楽を与えたいという心」.「悲」(カルナー)は,「人々の苦を抜きたいと願う心」.大乗仏教においては,この他者の苦しみを救いたいと願う「悲」の心を特に重視し,「大悲」(マハー・カルナー)と称する。イエスにとって一人一人を見るということは,一人一人の痛みを共有することであった.

36.1.4 「彼らについて」

 「について」(ペリ)にご注目.イエスを必要とする群衆の一人一人について,心から共感し,なんとかしてあげようという気持ちが伝わってくる.かつてわたしは,精神疾患に苦しむ人を東京都清瀬市にある赤星クリニックにお連れしたことがある.院長の赤星進先生は,大勢の患者が待つ間,お連れした人が語るライフストーリーを「そうですか,そうですか」と涙を流しながら聴いておられた.イエスと重なって見えた.

 医療者ではないわたしたちは何をすることができるか?ちゃんと見る.目を背けない.ちゃんと聴く.聞き流さない.自分にできる範囲内でお世話する,あたりか.


36.2 「なぜなら彼らはずたずたにされていた」

 定動詞の「スキュロー」の原義は,「皮をはぐ」.そこから「引き裂く」「ずたずたにする」の意味に派生する.心がずたずたにされている人々に,イエスの温かい眼差しは注がれる.

36.3 「投げ落とされていた」

 定動詞の「リプトー」の原義は,「投げる」「投げ落とす」.プロレスのドロップキックを思う.投げられた選手は,痛い.時にはけがをする.体の痛みについては医者や看護師がもっと必要であり,精神の痛みについては臨床心理士や精神医療福祉士がもっと必要である.

36.4 「羊たちのように←羊飼いをもっていない」

 イエスは,羊たちと身近に暮らしている人々に向かって語っている.羊たちには羊飼いが必要である.さもないと,盗まれたり,野獣に襲われたりする.そもそも羊は群れる性質をもち,群れから離れると強いストレスを覚える.先導者に従う性質をもつので,羊飼いを絶対必要とするゆえんである.

 マタイ教会の観点からは,羊たちであるクリスチャンたちには,羊飼いである指導者が必要である,ということになるだろう.


37 τότε λέγει τοῖς μαθηταῖς αὐτοῦ · Ὁ μὲν θερισμὸς πολύς, οἱ δὲ ἐργάται ὀλίγοι ·

その時,彼(イエス)は言う←彼の学友たちに.「一方では,収穫物は多いが,他方では,働き手たちは少ない」


 それまでの文脈と裂け目が見られる.

⑥ 37.1 Q資料

 37〜38節はいわゆるQ資料に由来すると思われる.Q資料とは.イエスの語録集,説法集,対話篇,またはそれに簡単な枠を付けたものであると想定されているが,あくまでも仮説である.伝道の話に方向が転換されている.「収穫物」はキリスト教会に取り込まれるべき人々であり,「働き手」とは伝道者としてのクリスチャンたちを指すであろう.


38 δεήθητε οὖν τοῦ κυρίου τοῦ θερισμοῦ ὅπως ἐκβάλῃ ἐργάτας εἰς τὸν θερισμὸν αὐτοῦ.

それゆえ,あなたがたは懇願してください←その主人に←その収穫物の,ために←彼が派出する←働き手たちを←彼の収穫物へと.


38.1 「あなたがたは懇願してください←その主人に←その収穫物の」

38.1.1 「あなたがたは懇願してください」

 マタイ教会の観点からは,指導者がクリスチャンたちに懇願を奨励している.誰に対する懇願か?

38.1.2 「その主人に←その収穫物の」

 「その主人」(ホ・キュリオス)とは,救い主イエス・キリストであろう.その懇願の内容は何か」


38.2 「ために←彼が派出する←働き手たちを←彼の収穫物へと」

38.2.1 「派出する」

 定動詞の「エクバロー」の原義は,「外に投げる」.乱暴ともいえる勢いのある言葉である.働き手である伝道者は,主から強く派遣されたのだという確固たる使命感をもって,伝道に派出されなければならない.派出とは,ある任務を取り扱わせるために,人を出張させること.たとえば,「派出所」「家政婦として派出する」.日本のキリスト教会では,司祭や牧師の高齢化に伴い,慢性的な聖職者不足に直面している.

 わたしも,救い主イエス・キリストが働き手を派出してくださるよう,懇願し続けなければならない.

 
 
 

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