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  • 執筆者の写真平岡ジョイフルチャペル

3/10 マルコ福音書のイエス (第151回)~〈置き去りにされた者の絶叫〉の幕〜

更新日:3月12日

2024年3月10日 主日礼拝

聖書講話   「マルコ福音書のイエス (第151回)~〈置き去りにされた者の絶叫〉の幕〜」  

聖書箇所    マルコ福音書 15章33〜37節   話者 三上 章



    聖書協会共同訳

  •       [下線は改善の余地があると思われる部分]

33 昼の十二時になると、全地は暗くなり、三時に及んだ。34 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という意味である。 35 そばに立っていた何人かが、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言った。36 ある者が走り寄り、海綿に酢を含ませて葦の棒に付けてイエスに飲ませ、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言った。37 しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。


 以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解である.


33 Καὶ γενομένης ὥρας ἕκτης σκότος ἐγένετο ἐφ’ ὅλην τὴν γῆν ἕως ὥρας ἐνάτης.

そして生じた時←第6時(正午)が/闇が生じた←全地上に←第9時(午後3時)まで.


33.1 伝承史の観点からすると,この節はマルコ以前の伝承に属すると思われる.

33.2 「そして生じた時←第6時(正午)が」

 「第6時」はローマの時刻.私たちの正午12時にあたる.陽光が煌々と輝く時刻.

33.3 「闇が生じた←全地の上に←第9時(午後3時)まで」

33.3.1 「闇が生じた」

 こともあろうに真昼に「闇」が生じた.マルコ福音書の最初の聴衆・読者は,今から2000年前の古代人.さぞかし驚き恐れたことであろう.「闇」と訳した「スコトス」は,古代ギリシャでは死や死者たちの世界を連想させる不吉な用語であった.それに引き替え,日食という天体現象を学習した現代人は,さほど驚かない.

33.3.2 「全地上に」

 下から見上げてということであろう.空飛ぶ鳥ではあるまいし,上から地上を見下ろすことはできない.闇は全地上を覆った.福音書記者マルコによる誇張である.

33.3.3 「第9時(午後3時)まで」

 私たちの時間では,午後3時まで.闇は3時間続いた.これに何か意味があるかどうかは不明.とにかく物語りの流れとしては,イエスが午前9時に刑柱に付けられてから,6時間が経過した.通常,磔刑に処せられた人は,何日にもわたって死の苦しみを味わなければならない.イエスの場合は6時間だけ.

33.4 LXX アモス書 8章9節

 この節はLXX アモス書 8章9節を想起させる.

καὶ ἔσται ἐν ἐκείνῃ τῇ ἡμέρᾳ, λέγει κύριος ὁ θεός, καὶ δύσεται ὁ ἥλιος μεσημβρίας, καὶ συσκοτάσει ἐπὶ τῆς γῆς ἐν ἡμέρᾳ τὸ φῶς·

そしてあるだろう←かの日には/(〜と)言う←「主なる神は/そして没するであろう←太陽は←真昼に/そして真っ暗闇となるであろう←大地の上に←昼間に←その光は」

33.4.1 解釈

 マルコがこの節に何らかの神学的意味を見いだしたかどうかは,不明である.他方,マルコ以前の伝承の観点からは,当時の地中海世界において人口に膾炙していた,英雄の死にまつわる伝説を示唆すると見ることができるかもしれない.ユリウス・カエサルが死んだ時,太陽が暗くなった(プルタルコス『カエサルの生涯』69.4-5).アレクサンドロスの死についても然り(『アレクサンダー・ロマンス』3.33.5).伝説上のローマの建国者ロムルスが死んだ時,皆既日食が生じた(プルタルコス『ロムルスの生涯』27.6).そのように伝えられている.


34 καὶ τῇ ἐνάτῃ ὥρᾳ ἐβόησεν ὁ Ἰησοῦς φωνῇ μεγάλῃ· Ἐλωῒ ἐλωῒ λεμὰ σαβαχθάνι; ὅ ἐστιν μεθερμηνευόμενον  Ὁ θεός μου ὁ θεός μου, εἰς τί ἐγκατέλιπές με;

そして第9時(午後3時)に叫んだ←イエスは←大声で.「エローイ.エローイ.レマ←サバクタニ」.それは翻訳されている←(〜と).「私の神よ,私の神よ,何のためにあなたは置き去りにしたのですか←私を?」


34.1 伝承史の観点からすると,33〜39節はマルコによる敷延に属すると思われる.敷延とはおし広げること.展開すること.

34.2 「そして第9時に叫んだ←イエスは←大声で」

 イエスは臨終を迎えていた.死にそうな人がはたして大声で叫ぶことができるのか?

マルコは伝承の言葉のない大声に満足できなかった.それの敷延を試みる.

34.3 「エローイ.エローイ.レマ←サバクタニ」



34.3.1 何語か?

 これを軽々しくアラム語だのヘブライ語だのと言う人たちがいるが,何を根拠にそう言うことができのか?イエスの時代のアラム語やヘブライ語を知った上で,言っているのか?もしアラム語であると言うならば,パレスティナのどの地方で話されていたアラム語方言であるかを,言うことができるのか?アラム語文字といっても,時代の変遷によって変化していったが,せめてどの種類のアラム文字であったかを示すことができるのか?知らないことを,学問的根拠なしにあてずっぽうで言うべきではない.

34.3.2 イエスの日常語か?

 当時,世界中の人たちがギリシャ語を共通語として使用していた.マルコもその人であった.彼の母語が何であったかは不明である.マルコは,イエスはセム語系統の言語を話したと言いたい.おそらくイエスが大声で叫んだのは,聖なるヘブライ語であったとしたい.だからといって,私たちはイエスの日常語はヘブライ語であったと飛躍してはならない.

34.3.3 なぜマルコはセム語を使うのか?

 マルコの聴衆にはセム語がわかる人がいたからかもしれない.あるいは,もしかしたら,マルコはこの文言に呪文的効果を含ませたかったのかもしれない.『般若心経』の呪文「ハンニャハラミタ・・・ギャテイ,ギャテイ,ハラギャテイ,ハラソウギャテイ,ボジソワカ」のように.



34.4 「それは翻訳されている←(〜と)」

 「翻訳されている」は現在時称.現在における進行,継続,繰り返しを含意する.マルコ教会の現在を示唆する.この共同体は,ギリシャ語への翻訳によらなければ,そのセム語風の文言を理解することができない,ヘレニストたち,すなわちギリシャ語を母語とする人たちから構成されていた.

34.5 「私の神よ,私の神よ,何のためにあなたは置き去りにしたのですか←私を?」

34.5.1 LXX 詩編 21篇2節a

 この文言を想起せざるをえない.

Ὁ θεὸς ὁ θεός μου, πρόσχες μοι· ἵνα τί ἐγκατέλιπές με;

神よ,私の神よ.私に留意してください.何のためにあなたは私を置き去りにしたのですか?

 マルコはイエスに詩編のこの文言を語らせる.

34.5.1 マルコの意味は何か?

 刑柱に置き去りにされた人の絶望の絶叫.それ以上でもそれ以下でもない.英雄たちの勇敢で気高き最後とは大きく異なる.マルコが描くのは普通の人の死に対する恐怖である.2011年3月11日に起こった東日本大震災における,「神も仏もない」という絶叫を連想する.



35 καί τινες τῶν παρεστηκότων ἀκούσαντες ἔλεγον· Ἴδε Ἠλίαν φωνεῖ.

そしてある人たちは←そばに立っていた人たちの,(これを)聞いた後,言った.「ほら,エリアを彼は呼んでいる」


35.1 「そしてある人たちは←そばに立っていた人たちの,(これを)聞いた後,言った」

35.1.1 「ある人たちは←そばに立っていた人たちの」

「ある人たち」は,おそらく数人.「そばに立っていた人たち」が誰であるかは不明.いろいろな推測が可能であるが,磔刑に関わった兵士たちという推測が妥当かもしれない.しかし,その中の数人といっても,どういう人たちであるかは不明.続く文言から見て,ユダヤ教の事情を少しは知っていたのかもしれない.

35.1.2 「(これを)聞いた後」

 その兵士たちは,そのイエスの絶叫を聞いた.しかし,その意味がよくわからない.しかし,彼らはユダヤ教に少しは通じていたと,マルコは描きたいようである.

35.2 「ほら,エリアを彼は呼んでいる」

 彼らには「エローイ」がギリシャ語の「エーリア」のように聞こえた.「エーリア」は預言者「エーリアス」(エリア)の呼格である.当時のユダヤ人たちの間では,エリア再来待望の気運が広まっていた.


36 δραμὼν δέ τις καὶ γεμίσας σπόγγον ὄξους περιθεὶς καλάμῳ ἐπότιζεν αὐτόν, λέγων· Ἄφετε ἴδωμεν εἰ ἔρχεται Ἠλίας καθελεῖν αὐτόν.

走った←ある人が,そして満たした後←海綿を酸化ワインで,(その海綿を)巻いた後←葦に,飲ませようとした←彼(イエスに).いわく.「あなた方は手出しするな.私たちは見ることにしよう/来るかどうかを←エリアが←降ろすために←彼を」


36.1 「走った←ある人が,そして満たした後←海綿を酸化ワインで,(その海綿を)巻いた後←葦に,飲ませようとした←彼(イエスに)」

36.1.1 この部分もマルコによる脚色であろう.印象的な劇に仕上げたいようである.

36.1.2 「走った←ある人が」

 「走った」ということは,急いだ.「ある人」とは兵士ということにしておこう.間違っていたらごめんなさい.一人の兵士たは,イエスの臨終が近いと見て取った.

36.1.3 「そして満たした後←海綿を酸化ワインで」

 「酸化ワイン」と訳した「オクソス」は,そういう意味.ヘブライ語で חמץ, ラテン語で acētum. そのままでは酸っぱすぎるので,水で薄めた.安いワインから作られた.ローマ兵士の日常的飲み物であった.貴族は上等のワインから作られた「ポスカ」(posca)を飲んだ.その兵士のこの行動の目的は,海綿に満たされた酸化ワインをイエスに飲ませるためであった.

36.1.4 「(その海綿を)巻いた後←葦に,飲ませようとした←彼(イエスに)」

 「(その海綿を)巻いた後←葦に」は,イエスの口に届けるための方策.イエスへの温情かと言うと,続く文言から見て,そうでもない.イエスを今死なせるわけにはいかない.「飲ませようとした」は,意図の未完了という用法と解釈した.イエスが飲んだかどうかは不明である.

36.2 「いわく.「あなた方は手出しするな.私たちは見ることにしよう/来るかどうかを←エリアが←降ろすために←彼を」」

36.2.1 「いわく」

 その一人の兵士は残りの兵士たちに言った.

36.2.2 「あなた方は手出しをするな」(アペテ)

 「アペテ」は「放置しておく」「手出しをするな」「成り行きを観察しよう」という意味.

36.2.3 「私たちは見ることにしよう」

 この兵士の目的は,観察である.

36.2.4 「来るかどうかを←エリアが←降ろすために←彼を」

 まじめな観察かと言うと,そうでもないとマルコは皮肉りたい.むしろ滑稽な茶番.しかし,この兵士の言葉は当たらずとも遠からずというところか.ユダヤ教徒たちの一部は,熱心にエリア再来を待望していた.そしてエリアは浸礼者ヨハネとしてすでに再来した.しかし,そのヨハネは斬首された.マルコはエリア再来信仰が頓挫したことを知っている.


37 ὁ δὲ Ἰησοῦς ἀφεὶς φωνὴν μεγάλην ἐξέπνευσεν.

イエスは放った後←大声を,息絶えた.


37.1 おそらく伝承の最古層を反映している.最初はこのように単純なものであった.それをマルコは敷延した.

37.2 「イエスは放った後←大声を」

 34節の「叫んだ←イエスは←大声で」と重複している.マルコによる編集の結果である.用語が違う.34節では「大声で叫んだ」.この節では「大声を放った」.イエスは安らかな死を遂げなかった.やはり酸化ワインを飲まなかったようである.

37.3 「息絶えた」

 定動詞形の「エクプネオー」は「息を吐く」.古代人は「息」イコール「命」と考えた.「息を吐く」ということは「命を放出する」「死ぬ」ということ.なお日本語では「息を引き取る」と表現する.ただし臨終の時,人は息を吸うのか息を吐くのかについては,知り合いの医者によると,わからないそうである.


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