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12/14 マタイ福音書のイエス (第60回)~クリスチャンの〈出家理念〉

  • 執筆者の写真: 平岡ジョイフルチャペル
    平岡ジョイフルチャペル
  • 2 日前
  • 読了時間: 6分

2025年12月14日 主日礼拝

聖書講話     「マタイ福音書のイエス (第60回)

       ~クリスチャンの〈出家理念〉〜

聖書箇所    マタイ福音書 8章18〜22節   話者 三上  章


      [聖書協会共同訳]  

        ※下線は修正の余地があると思われる部分

18 イエスは、群衆が自分の周りにいるのを見て、弟子たちに向こう岸に行くように命じられた。19 その時、一人の律法学者が進み出て、「先生、あなたがお出でになる所なら、どこへでも従って参ります」と言った。20 イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」21 ほかに弟子の一人がイエスに、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。22 イエスは言われた。「私に従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」

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 以下は原文の解明に基づく三上の語順訳と講解である.


18 Ἰδὼν δὲ ὁ Ἰησοῦς πολλοὺς ὄχλους ⸃ περὶ αὐτὸν ἐκέλευσεν ἀπελθεῖν εἰς τὸ πέραν.

イエスは,多くの群衆たちを自分のまわりに見た時,命じた←対岸に立ち去るように.


18.1 「イエスは,多くの群衆たちを自分のまわりに見た時」

 文脈を回顧すると,イエスはその伝道の拠点カペナウムで,病気に苦しむ多くの人たちを治癒した.

18.1.1 「見た時」

 「見たので」と訳すこともできる.

18.1.2 「多くの群衆たち」

 一つの集団だけではなく,あちらこちらからやって来た複数の集団.彼らは治癒を求めて,イエスを取り巻いていた.ゴータマ仏陀の洞察によると,人間の生の本質は「四苦」である.誕生・老化・病気・死亡.わたしたちが人生において,特に直面するのは,病苦である.イエスも生身の人間であるから,夜通し活動するわけにはいかない.それに,治癒を待ちわびている人たちは,他の町や村に大勢いる.それが,「ので」という分詞の意味かもしれない.


18.2 「命じた←対岸に立ち去るように」

 「命じた」とある.マタイのイエスは誰に命じたのか?「学友たち」と解釈するのが順当であろう.「対岸に立ち去る」とは,ガリラヤ湖対岸に渡ることである.かつてわたしが住んでいたことのある東京都足立区梅島は,浅草や上野のある台東区から荒川と隅田川という二つの川によって隔てられている.イエスが足立区におられたとしたら,川向こうの台東区に渡ろうと決意したことをを想像すればよいかもしれない.

 

19 καὶ προσελθὼν εἷς γραμματεὺς εἶπεν αὐτῷ · Διδάσκαλε, ἀκολουθήσω σοι ὅπου ἐὰν ἀπέρχῃ.

そして一人の書記が近づいた上で,彼に言った.「先生,わたしはあなたの後に従うつもりです←どこにあなたが立ち去ろうとも」


19.1 「そして,近づいた上で←一人の書記が,彼に言った」

19.1.1 「近づいた上で」

 単なる接近ではない.イエスの学友集団に加入する覚悟をもった接近である.

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19.1.2 「一人の書記」

 「書記」(グランマテウス)とは,エルサレム神殿の中にあるユダヤ教支配体制の最高機関であるサンヘドリンの書記官である.長老たちや大祭司たちのもとで働く要職である.このような地位の人をも惹きつけるほどの求心力を,イエスはもっていた.アッシジのフランチェスコを想像する.彼が一人で始めた教会堂再建の活動に枢機卿や貴族たちも共鳴し,共に働いた.このグランマテウスは,イエスの学友集団に加入するために,エルサレムのサンヘドリンを去り,ガリラヤのイエスのもとにやって来た.

19.1.3 「彼に言った」

 このグランマテウスは,イエスに自分の決意を表明する.

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19.2 「先生,わたしはあなたの後に従うつもりです←どこにあなたが立ち去ろうとも」

19.2.1 「先生」

 彼はイエスを「先生」(ディダスカロス)と呼ぶ.

19.2.2 わたしはあなたの後に従うつもりです」

 「後に従う」(アコルーテオー)は,初期キリスト教では,もっぱら,クリスチャンとして主イエス・キリストに従うことを意味する.マタイ教会の通念が反映している.「つもりです」は,意思を表す未来時制.立派な意思表明である.しかし,彼は人間の意志というものがいかに脆弱であるかを,知らないであろう.

19.2.3 「どこにあなたが立ち去ろうとも」

 このグランマテウスは,「どこ」(ホプー)がどこであるか知らないで言っている.マタイは知っている.そこはエルサレムで,イエスの逮捕・裁判・処刑の場所であることを.


20 καὶ λέγει αὐτῷ ὁ Ἰησοῦς · Αἱ ἀλώπεκες φωλεοὺς ἔχουσιν καὶ τὰ πετεινὰ τοῦ οὐρανοῦ κατασκηνώσεις, ὁ δὲ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου οὐκ ἔχει ποῦ τὴν κεφαλὴν κλίνῃ.

そして彼にイエスは言う.「狐たちは巣穴(pl.)」をもっています.そして空の鳥たちは巣(pl.)をもっています.しかし,人間の息子は頭を横たえる場所をもっていません」.


20.1 「そして彼にイエスは言う.「狐たちは巣穴(pl.)」をもっています」

 狐たちが住む場所になじんでいる人の言葉である.

20.2 「そして空の鳥たちは巣(pl.)をもっています」

 これも鳥たちの巣を観察する環境にあった人の言葉である.

20.3 「しかし,人間の息子は頭を横たえる場所をもっていません」

20.3.1 「人間の息子」

 自分をこういうふうに呼ぶ人は,まずいないであろう.マタイ教会における主イエス・キリストとしての「人間の息子」という用法を反映している.

20.3.2 「頭を横たえる場所をもっていません」

 イエスと学友たちは,ときには,野宿を余儀なくされた.これも修業の一環である.

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華厳宗の学僧である明恵上人(1173-1232)は,紀州白上(しらがみ)の峰で修行生活を始めた.後に10数名の学友が加わった.その期間は数年にわたる.


21 ἕτερος δὲ τῶν μαθητῶν εἶπεν αὐτῷ · Κύριε, ἐπίτρεψόν μοι πρῶτον ἀπελθεῖν καὶ θάψαι τὸν πατέρα μου.

学友たちのもう一人が彼に言った.「主よ,どうかまず始めに,戻してください←去っていき,わたしの父を葬送するために」


21.1 「学友たちのもう一人が彼に言った」

 イエスの学友は皆が皆,そのグランマテウスのように剛の者ではなかった.

21.2 「主よ,どうかまず始めに,戻してください←去っていき,わたしの父を葬送するために」

21.2.1 「主よ」

 グランマテウスの呼びかけは「先生」であったが,もう一人の学友のそれは「主よ」

(キュリエ).マタイ教会における,主イエス・キリストへの信仰を反映する語である.

21.2.2 「どうかまず始めに,戻してください」

 条件付きの同行表明である.「戻してください」,つまり後戻りは,マタイ福音書記者のイエスが嫌いな言葉である.

21.2.3 「去っていき,わたしの父を葬送するために」

 父親が臨終間際だったかもしれない.もしそうであるなら,常識に適った発言である.

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22 ὁ δὲ Ἰησοῦς λέγει αὐτῷ · Ἀκολούθει μοι, καὶ ἄφες τοὺς νεκροὺς θάψαι τοὺς ἑαυτῶν νεκρούς.

イエスは彼に言う.「わたしの後に従い続けてください.そして任せてください/←死者たちが彼ら自身の死者たちを葬送するように」


22.1 「イエスは彼に言う.「わたしの後に従い続けてください」

 イエスは後戻りの願いをしりぞける.ここのアコルーテオーは,現在時称であり,継続,進み続けることを含意している.ジャンプ台から飛び立ったスキージャンパーは,後戻りがきかない.しかし,イエスの学友はジャンパーではない.厳しすぎるのではないだろうか?


22.2 「そして任せてください/←死者たちが彼ら自身の死者たちを葬送するように」

22.2.1 「そして任せてください」

 葬送は家族・親族に任せなさいと言っているように思われる.

22.2.2 「死者たちが彼ら自身の死者たちを葬送するように」

 難解な言葉である.死んだ人に何ができるか?ここは比喩的な意味に解釈するしかない.「死者たち」(「ネクロス」のpl.) とは,死んでいるような人たち,真の意味で生きていない人たち.マタイ教会のクリスチャンたちの観点からは,マタイ教会に加入していない非クリスチャンたちということになろうか?偏った見方である.他方,マタイ教会では推奨される見方である.こういう一途なクリスチャンたちによってマタイ教会は前進し,拡張し続けたのであろう.

 しかし極端な出家主義にほだされてはいけない.良識の歯止めを効かせる必要がある.ヒューマニズムに裏づけられてこそ,熱心な信仰は真に生きたものとなる.





 
 
 

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