2024年5月19日 主日礼拝
聖書講話 「ある知者の洞察(第33回)〜〈ままならない苦しみ〉という真理」
聖書箇所 コヘレトの言葉 6章7〜9節

[聖書協会共同訳]
[下線は改善の余地があると私には思われる部分]
7 人の労苦はすべて口のためである。/だが、それだけでは魂は満たされない。
8 愚かな者にまさる益が知恵ある者にあるのか。/人生の歩み方を知る苦しむ人に/何の益があるか。9 目に見えるほうが、欲望が行き過ぎるよりもよい。/これもまた空であり、風を追うようなことである。
以下は,ヘブライ語とギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解.
ヘブライ語聖書はMTと略す.七十訳ギリシャ語聖書はLXXと略す.
7 כָּל־עֲמַ֥ל הָאָדָ֖ם לְפִ֑יהוּ וְגַם־הַנֶּ֖פֶשׁ לֹ֥א תִמָּלֵֽא׃
全労苦は←人間の/彼の食道のため.しかし,その欲求は満たされないであろう.
Πᾶς μόχθος τοῦ ἀνθρώπου εἰς στόμα αὐτοῦ, καί γε ἡ ψυχὴ οὐ πληρωθήσεται.
全労苦は←人間の/彼の口のため.とにかく,その魂は満たされないであろう.
7.1 MTとLXXとの比較.
MT「しかし」(ガム)は,LXXでは「とにかく」(ゲ).大差はない.他はぴったり同じである.MT「食道」はLXXでは「口」.ここでは「食道」が適切.
7.2 「全労苦は←人間の/彼の食道のため」
7.2.1 「労苦」(アマル)
「アマル」は「つらい仕事」.概して仕事はつらい.
7.2.2「食道」(ピー)
「ピー」の原義は「口」.労働は食べるため.かなり真実をついている.いくらうまいことを言っても,労働は豊かな生活のためである.衣食住の豊かさ.よい家柄.美しい肉体を求めて,人は労働する.
7.3 「その魂は満たされないであろう」
7.3.1 「魂」(ネフェシュ)
「ネフェシュ」の原義は「魂」「人」「欲求」.LXXはこれを直訳している.ここでは「欲求」が適切.
7.3.2 「満たされないであろう」
豪勢な生活の経験がないから,よくわからない.しかし,セレブの人の不幸を噂に聞くにつけても,豊かさは幸福の保証とはならないのではないかと思われる.
8 כִּ֛י מַה־יּוֹתֵ֥ר לֶחָכָ֖ם מִֽן־הַכְּסִ֑יל מַה־לֶּעָנִ֣י יוֹדֵ֔עַ לַהֲלֹ֖ךְ נֶ֥גֶד הַחַיִּֽים׃
なぜなら,いかなる有利が(あるのか?)←賢者にとって/よりも←愚者.何が貧者のモノか?/彼は知っているとしても←歩くことについて←前を←生ける者たちの.
ὅτι τίς περισσεία τῷ σοφῷ ὑπὲρ τὸν ἄφρονα; διότι ὁ πένης οἶδεν πορευθῆναι κατέναντι τῆς ζωῆς.
なぜなら,いかなる有利が(あるのか?)←賢者にとって/よりも←愚者.なぜなら.貧者は知っている←歩くことを←に対抗して←いのち.
8.1 MTとLXXとの比較.
MT「貧者が知っているのか」は,LXXでは「貧者は知っているのか」.前者は疑問文.「知っていない」ことになる.後者は肯定文.前者を採用する.
8.2 「なぜなら,いかなる有利が(あるのか?)←賢者にとって/よりも←愚者」
8.2.1 この部分は,MTとLXXとは一致している.
8.2.2 「なぜなら」
働けど働けど,欲求は満たされないことの理由を,コヘレトは示す.
8.2.3 「いかなる有利が(あるのか?)」
「有利」と訳した「イオーテール」は,「余剰」「過剰」「豊かな富」が原義.「有利」「優ること」という意味もある.ここではそれが適切.コヘレトは,ここでは「AさんとBさんのどちらが有利か,優るかと問うている.
8.2.4 「←賢者にとって/よりも←愚者」
AさんとBさんというのは,「「賢者」(ハーハーム)」と「愚者」(ケシル).建て前では,「賢者」は「愚者」に優ると言われる.本音はどうか?賢者は知恵によって欲望を抑制することができるかもしれない.しかし,それは往々にしてやせ我慢である.他方,愚者は欲望に流されがちである.しかし,それは好き放題にできるということである.高級な料理を前にして,食べ放題がいいのか?それとも腹八分でいいのか?
8.3 「何が貧者のモノか?」
8.3.1 MTの読みを採用.LXXはこれを欠如している.
8.3.2 「貧者」(アーニイ)
「アーニイ」は「苦しむ者」と訳すこともできる.先行する「愚者」の言い換えではないかと思われるが,よくわからない.コヘレトの見るところでは,たとえある人が富者であっても,愚者であるならば,貧者である.自己の欲望を抑制することもできない愚者が,人もうらやむ金銭,名誉,快楽を手にしたと仮定するならば,それらのものは本当にその人の得になるだろうか?この解釈があっているかどうか,自信がない.
8.4 「彼は知っているとしても←歩くことについて←前を←生ける者たちの」
その人は世間通かもしれない.世渡りがうまいかもしれない.しかし,それが命取りになる場合もある.世間通が人間通とはかぎらない.
9 טֹ֛וב מַרְאֵ֥ה עֵינַ֖יִם מֵֽהֲלָךְ־נָ֑פֶשׁ גַּם־זֶ֥ה הֶ֖בֶל וּרְע֥וּת רֽוּחַ׃
よい/見ることは←目が/よりも←歩くこと←欲求が.しかし,これも蒸気そして追うこと←風を.
ἀγαθὸν ὅραμα ὀφθαλμῶν ὑπὲρ πορευόμενον ψυχῇ. καί γε τοῦτο ματαιότης καὶ προαίρεσις πνεύματος.
よい/見ることは←目が/よりも←歩くこと←魂が.とにかく,これも空しさそして追うこと←風を.
9.1 MTとLXXとの比較.
MT「欲求」はLXXでは「たましい」.「欲求」のほうが適切.MT「蒸気」はLXXでは「空しさ」.意味を的確に捉えた訳ではあるが,「蒸気」のほうが直喩として効果がある.
9.2 「よい」(トーブ)
コヘレトの言う「よい」である.重みがある.軽率な判断ではない.
9.3 「見ることは←目が」
賢者の目が見ることである.愚者の目が見ることではない.賢者であればあるほど,あらゆるものをあらゆる角度から,はっきりと観る.この解釈が少しでも当たっていると仮定するなら,仏教の観自在菩薩(Avalokiteśvara)に通底する.観音菩薩とも言うが,観自在菩薩すべての事物を自由自在に見ることができる.菩薩 (ボーディサットヴァ)
とは,「懸命に努力する人」という意味であるが,コヘレトは真理を求めて懸命に努力し続けた賢者である.
9.4 「歩くこと←欲求が」
欲求は自分を抑制することを知らない.一人歩きを許すなら,道を踏み外す.
9.5 「しかし,これも蒸気そして追うこと←風を」
コヘレトは愚者の道だけが「蒸気」であり「風を追うこと」と言っているのではない.賢者の道にも同じことが適用すると言っている.コヘレトは自分の見解を明示するが,それに固執しない.自分を絶対化しない.
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