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12/21 マタイ福音書のイエス (第61回) ~毎日がクリスマス〜

  • 執筆者の写真: 平岡ジョイフルチャペル
    平岡ジョイフルチャペル
  • 6 時間前
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2025年12月21日 主日礼拝

聖書講話     「マタイ福音書のイエス (第61回)

       ~毎日がクリスマス〜

聖書箇所    マタイ福音書 8章23〜27節   話者 三上  章


      [聖書協会共同訳]  

        ※下線は修正の余地があると思われる部分

23 イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。24 すると、湖に激しい嵐が起こり、舟は波に吞まれそうになった。ところが、イエスは眠っておられた。25 弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてくださいこのままでは死んでしまいます」と言った。26 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がってと湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。27 人々は驚いて、「一体、この方はどういう人なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。


 以下は原文の解明に基づく三上の語順訳と講解です.


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23 Καὶ ἐμβάντι αὐτῷ εἰς πλοῖον ἠκολούθησαν αὐτῷ οἱ μαθηταὶ αὐτοῦ.

そして彼が船に乗り込んだ時,彼の後に従った←彼の学友たちが.


23.1 前回のおさらい

 イエスはガリラヤ湖畔の町カペルナウムを伝道の拠点と定め,病気に苦しむ多くの人たちを治癒した.病気の治癒は,いつの時代でも最大のクリスマスプレゼントである.イエスの温かいまなざしは,対岸の地方にも向けられた.しかし,そこの人たちはカペルナウムの人たちのように,イエスと学友たちを歓迎してくれるとはかぎらない.イエスの決心に従うために,学友たちにも大きな決心が求められた.


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23.2 「そして彼が船に乗り込んだ時」

 かくして,イエスは船に乗り込んだ.「船」と訳したプロイオンは小舟とはかぎらない.軍艦,貨物船,さらに漁船にも用いられる.ここでは,イエスの学友たちの中に網元たちもいたであろうから,大きめの漁船が考えられる.家畜小屋で生まれたと伝承される幼子は,今や船を用いて巡回伝道をする大人に成長した.

23.3 「彼の後に従った←彼の学友たちが」

 イエスは孤軍奮闘するのではない.同じ志をもつ学友たちが同伴した.

24 καὶ ἰδοὺ σεισμὸς μέγας ἐγένετο ἐν τῇ θαλάσσῃ, ὥστε τὸ πλοῖον καλύπτεσθαι ὑπὸ τῶν κυμάτων, αὐτὸς δὲ ἐκάθευδεν.

そして,見よ!大地震が起こった←その海の中で.その結果,その船は覆われている←波によって.しかし,彼(イエス)自身は眠っていた.


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24.1 「そして,見よ!大地震が起こった←その海の中で.その結果,その舟は覆われている←波によって」

24.1 「そして,見よ!大地震が起こった←その海の中で」

 津波である.大地震による津波であるから,さぞかし巨大な遡上高(波の到達した高さ)だったことであろう.因に,世界最大級の規模と言われている津波は,1958年の遡上高は何と524メートル.


24.2 「その結果,その船は覆われている←波によって」

 船は沈没の危機.「覆われている」は現在時制.臨場感を与える.


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24.3 「しかし,彼(イエス)自身は眠っていた」

 昼夜を問わず人々のために働いていたイエスのことであるから,航海は安眠のときであった.「眠っていた」は未完了過去時制であるから,イエスは途中で目を覚ますこともなく熟睡していた.波に飲まれつつある船の中での快眠.ありえない.

 

25 καὶ προσελθόντες ἤγειραν αὐτὸν λέγοντες · Κύριε, σῶσον, ἀπολλύμεθα.

そして,彼らは(イエスのほうへ)来たうえで,イエスを起こした.いわく.「主よ,救ってください.わたしたちは滅びつつあります」


25.1 「そして,彼らは(イエスのほうへ)来たうえで,イエスを起こした.いわく」

 イエスは船の中のどの場所で寝ていたのだろうか?フェリーの揺れが最も少ないのは,船の中央部分と言われている.マルコ福音書の並行記事は,イエスは船の前方に寝ていたと伝承している(4:38).揺れが大きい位置である.そのほうがイエスらしい.

25.2 「主よ,救ってください.わたしたちは滅びつつあります」

 自然の脅威の圧力の下で,なすすべもないイエスの学友たち.その中には,どこにでも従っていきますと言明した,あのの書記も含まれているはずである.今や彼らにできることは,イエスに頼むことしかなかった.マタイ教会クリスチャンたちの,救い主イエス・キリストへの信仰をも反映している.かつて日本人は,「南無阿弥陀仏」と唱えたものである.「無限の光と命を持つ阿弥陀仏に帰依します」という意味.この信仰は今でも生きている.


26 καὶ λέγει αὐτοῖς · Τί δειλοί ἐστε, ὀλιγόπιστοι; τότε ἐγερθεὶς ἐπετίμησεν τοῖς ἀνέμοις καὶ τῇ θαλάσσῃ, καὶ ἐγένετο γαλήνη μεγάλη.

そして,彼は彼らに言う.「なぜあなたたちは恐れているのですか?信頼の少ない皆さん!それから,彼は起き上がったあと,叱責した←風たちとその海を.そして大凪が生じた.


26.1 「そして,彼は彼らに言う.「なぜあなたたちは恐れているのですか?信頼の少ない皆さん!」

26.1.1 「そして,彼は彼らに言う」

 イエスは即座に応答する.「あとでね」とは言わない.

26.1.2 「信頼の少ない皆さん!」

 叱責ではなく励ましである.この伝承を聞いたマタイ教会のクリスチャンたちは,もっと主イエス・キリストを信頼しなければならない,と痛感したであろう.


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26.2 「それから,彼は起き上がったあと,叱責した←風たちとその海を」

26.2.1 「それから,彼は起き上がったあと」

 「起き上がった」と訳した「エゲルテイス」は,イエスの復活にも用いられる語である.起き上がったイエスは,マタイ教会クリスチャンたちにとって復活したイエス,自分たちに同伴するイエスである.

26.2.2 「叱責した←風たちとその海を」

 「叱責した」は変な行動である.しかし,古代ギリシア・ローマの人たちにとって,「風たち」(アネモイ)は暴風を起こす神々であった.主要なアネモイは4柱いる.ボレアースは冷たい冬の空気を運ぶ北風.ノトスは晩夏と豊かな秋を運ぶ南風であり.ゼピュロスは春と初夏のそよ風を運ぶ西風.東風のエウロスその海は海の中に大地震を起こす神であった.海の神はネプテューヌス.古代ギリシアのポセイドーンにあたる.古代日本では,須佐之男命が嵐の神.


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26.3 「そして大凪が生じた」

 「ガレーネー メガレー」という.24節の「セイスモス メガス」(大地震)と対比されている.主イエス・キリストは,混乱した心を平穏な心に変えてくれる.これは世々のクリスチャンたちの実体験である.


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27 οἱ δὲ ἄνθρωποι ἐθαύμασαν λέγοντες · Ποταπός ἐστιν οὗτος ὅτι καὶ οἱ ἄνεμοι καὶ ἡ θάλασσα αὐτῷ ὑπακούουσιν;

人間たちは驚愕した.いわく.「どのような種類の人ですか←この人は?なぜなら風たちもその海も彼に聞き従っています」


27.1 「人間たちは驚愕した.いわく」

27.1.1 「人間たち」

 「ホイ・アントローポイ」も変な表現である.イエスの学友たちをこう呼ぶのか?これもまた,マタイ教会のクリスチャンたちの見方の反映であろう.神である救い主イエス・キリストを前にして,彼らは自分たちが人間にすぎない,人間の分際であることを承認しなければならない,とマタイは言いたい.

27.1.2 「驚愕した」

 定動詞の「タウマゾー」は,人間並み以上のものに直面した時の驚き,畏怖,礼賛の感情を表す.


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27.2 「どのような種類の人ですか←この人は?なぜなら風たちもその海も彼に聞き従っています」

27.2.1 「どのような種類の人ですか←この人は?」

 イエスは人間の種類に入らない.むしろ神の種類である.これもマタイ教会の観点である.

27.2.2 「なぜなら風たちもその海も彼に聞き従っています」

 「聞き従っています」も現在時制.臨場感を表す.地震や嵐の神々はイエスに聞き従っている.イエスが神の種類であることの証明である.

 全世界の王として誕生したと伝承されるイエスは,今や成人し,その王としての威光の片鱗を輝かせた.福音書記者マタイは,そのように言いたい.


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27.2.3 アイラ・デイヴィッド・サンキー

 19世紀後半にアメリカや各国でキリスト教を大いに広めたドワイト・ムーディーには,アイラ・サンキー(Ira David Sanky)という良き協力者がいた.サンキーはすぐれた説教者であるとともに,有名な讃美歌歌手でもあった.1875年のクリスマスイブに,サンキーがデラウエア川を汽船で上っていたときのこと.甲板には大勢の乗客が集まっていた.サンキーは歌を歌うように求められた.彼は目を星空に向けて静かに祈った.すると,クリスマスの讃美歌を歌うつもりだった意に反して,「救い主よ,羊飼のようにわれらを導きたまえ」を歌うように,神に促された.あたりは静まり,歌詞とメロディーが彼の魂から湧き出て,甲板と静かな川に伝わっていった.一同は,深い感動に満たされた.

 歌が終わると,一人の男性がサンキーに近づき,「あなたは軍隊にいたことがありますか?」と尋ねた.

 サンキー 「はい,1860年の春,入隊しました」

 男性 「1862年の明るい月夜にあなたは見張りの務めをしていたおぼえがありますか」

 サンキー 「はい,あります」

 男性 「私は南部連邦軍にいたのですが,あなたが持ち場に立っているのを見ました.私は,『あいつはけっしてここから生きて帰れまい』と,独り言を言い,銃を構え,あなたにねらいを定めました.月の光がこうこうとあなたを照らしていました.その時一瞬早く,あなたが天を仰いで,歌い始めました.私は独り言を言いました.『あの男に最後まで歌わせてやろう.後で射殺できるのだ』 あなたがあの時歌った讃美歌は,今あなたが歌った讃美歌でした.私は歌詞を正確に覚えています.

   われらはあなたのもの,あなたはわれらを助けられる.

   われらの道の守り手となってください.

 あなたが歌い終わったとき,私は再び狙いを定めることができませんでした.その時から,私は道を求めてさまよい歩いてきました.今あなたがあの時の讃美歌を歌っているのを見て,あなたであることがわかりました.どうしたら私は救われるでしょうか?」

 サンキーは,かつて戦争の時,彼を殺そうとしたその人を抱きしめた.その男性は,その夜,よい羊飼である主イエス・キリストの救いを体験した.





 
 
 

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