11/30 マタイ福音書のイエス (第59回)~〈苦〉を取り除く人
- 平岡ジョイフルチャペル

- 11 分前
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2025年11月30日 主日音楽礼拝
聖書講話 「マタイ福音書のイエス (第59回)
~〈苦〉を取り除く人〜
聖書箇所 マタイ福音書 8章14〜17節 話者 三上 章
[聖書協会共同訳]
※下線は修正の余地があると思われる部分
14 それから、イエスはペトロの家に行き、そのしゅうとめが熱を出して寝込んでいるのを覧になった。15 イエスが手に触れられると、熱は、しゅうとめは起き上がってイエスに仕えた。16 夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で霊どもを追い出し、病人を皆癒やされた。17 こうして、預言者イザヤを通して言われたことが実現した。/「彼は私たちの弱さを負い/病を担った。」

以下は原文の解明に基づく三上の私訳と講解である.
14 Καὶ ἐλθὼν ὁ Ἰησοῦς εἰς τὴν οἰκίαν Πέτρου εἶδεν τὴν πενθερὰν αὐτοῦ βεβλημένην καὶ πυρέσσουσαν ·
そしてイエスはペトロの家に入ったのち,見た←彼(ペトロ)のしゅうとめが投げられており,そして熱を出しているのを.
14.1 「そしてイエスはペトロの家に入ったのち」
おさらいをすると,イエスはカパルナウムで,脳卒中で苦しんでいた百人隊長の僕を治癒した.そののち,イエスは学友のペトロの家に入った.そこがイエスの宗教活動の拠点であったと思われる.豪邸であったかもしれない.マタイ共同体の家の教会をも連想させる.
14.2 「見た←彼(ペトロ)のしゅうとめが投げられており,そして熱を出しているのを」
ゆっくりする暇もなく,イエスの目に飛び込んできたのは,高熱に苦しむペトロのしゅうとめの姿であった.「投げられていた」の定動詞「バッロー」の原義は,「放り投げる」である.乱暴に聞こえる言い方であるが,高熱にやられてぐったりした様子を彷彿とさせる.高熱は昔も今も苦しい.熱中症で42度を超すと死に至るという. だから体温計には43度Cがない.ペトロのしゅうとめは死の瀬戸際にあったかもしれない.

15 καὶ ἥψατο τῆς χειρὸς αὐτῆς, καὶ ἀφῆκεν αὐτὴν ὁ πυρετός, καὶ ἠγέρθη καὶ διηκόνει αὐτῷ.
そして彼は彼女の手に触れた.そして離れた←彼女を←その熱は.そして彼女は起きた.そして彼(イエス)を接待し始めた.
15.1 「そして彼は彼女の手に触れた」
イエスはペトロのしゅうとめに手を当てた.医師が脈を測るかのようである.
15.2 「そして離れた←彼女を←その熱は」
瞬時に熱が引いた.
15.3 「そして彼女は起きた」
そして彼女は起き上がった.先ほどまでぐったりしていた人である.不思議な現象である.わたしも似たような体験をしたことがある.

15.4 「そして彼(イエス)を接待し始めた」
治癒は完璧である.「接待している」と訳した「ディアコネオー」は,家事を担当する奴隷が主人に仕えることを意味する.イエスへの感謝と尊敬が表れている.未完了過去時称の始発の用法なので「接待し始めた」と訳した.空腹のイエスに食事をもてなし始めた姿が生き生きと描写されている.これもマタイの家の教会の状況を反映していると思われる.

16 Ὀψίας δὲ γενομένης προσήνεγκαν αὐτῷ δαιμονιζομένους πολλούς · καὶ ἐξέβαλεν τὰ πνεύματα λόγῳ, καὶ πάντας τοὺς κακῶς ἔχοντας ἐθεράπευσεν ·
夕になったあと,彼ら(不特定の人たち)は彼(イエス)に連れてきた←ダイモニオンどもに取り憑かれた人たちを←多くの.そして彼(イエス)は追い出した←プネウマどもを←言葉で.そして具合の悪い人たちを全員,治癒した.
16.1 「夕になったあと,彼ら(不特定の人たち)は彼(イエス)に連れてきた←ダイモニオンどもに取り憑かれた人たちを←多くの」
16.1.1 「夕になったあと,彼ら(不特定の人たち)は彼(イエス)に連れてきた」
一般人は昼間は労働しているので,病気の家族を夜にならないと連れて来ることができない.イエスは夜間診療をいとわなかった.しかも無料で往診した.
16.1.2 「ダイモニオンどもに取り憑かれた人たちを←多くの」
「ダイモニオンどもに取り憑かれた人たち」は,「ダイモニゾマイ」の受動相である.「ダイモンたちに取り憑かれる」が原義である.精神疾患をもつ人たちは,当時,そういうふうに呼ばれた.
16.2 「そして彼(イエス)は追い出した←プネウマどもを←言葉で」
16.2.1 「追い出した」
勢いのある表現である.
16.2.2 「プネウマども」
「ダイモニア」の言い換えである.「プネウマ」の原義は,「突風」,「影響」,「息,「空気」.こんにちでは,ウィルスと言う.ラテン語の「ウィールス」に由来し,「ドロドロしたもの」,「毒」という意味である.
16,2.3 「言葉で」
マタイが聞いた伝承によると,イエスはペトロのしゅうとめに手を当てた.医療的行為である.マタイはそれを好まない.イエスは言葉で治癒したと主張する.マタイのイエスは言葉の人である.マタイは説教がお好きなようである.
それはそうとして,こと医療に関しては,言葉も役に立つが,基本は行為である.さまざまな科学的療法が役に立つ.
16.3 「そして具合の悪い人たちを全員,治癒した」
昔も今も人々は病気の治癒を求めている.苦の除去を切望している.まず日ごろの,食事・運動・休養・喫煙・飲酒などの生活習慣に留意する必要がある.自分でどうしようもない病気は,医療機関の助けを借りることになる.それができる国に住んでいることは,幸いなことである.医療に携わる人たちは,救い主イエス・キリストのいわば手足である.イエスの時代の人々は,虫歯にどのように対処したのだろうか?痛みの軽減のために,酸っぱくなったワインを塗るくらいしかなかったのかもしれない.日本医師会によると,今,札幌には約1500人の歯科医師がいる.決して少なくはない.

17 ὅπως πληρωθῇ τὸ ῥηθὲν διὰ Ἠσαΐου τοῦ προφήτου λέγοντος · Αὐτὸς τὰς ἀσθενείας ἡμῶν ἔλαβεν καὶ τὰς νόσους ἐβάστασεν.
(それは)成就するためである←預言者イザヤによって語られたことが.すなわち,「彼自身がわれわれの弱さを受け取った.そして諸々の病気を担った」
17.1 蛇足である.文脈に合わない.マタイの神学である.イエスを宗教的救済者であると言いたい.「弱さを受け取った」や「諸々の病気を担った」は,贖罪神学の刑罰代受説を匂わせる.しかし,ここは贖罪の話ではなく病気の治癒の話である.病苦の除去は,基本的には,神学ではなく医学である.



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