1/11 マタイ福音書のイエス (第64回)~〈罪を赦す〉力〜
- 平岡ジョイフルチャペル

- 1月11日
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2026年1月11日 主日礼拝
聖書講話 「マタイ福音書のイエス (第64回)
~〈罪を赦す〉力〜
聖書箇所 マタイ福音書 9章4〜8節 話者 三上 章
[聖書協会共同訳]
※下線は修正の余地があると思われる部分
4 イエスは、彼らの思いを知って言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。5 『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。6 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、体の麻痺した人に、「起きて床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われた。7 すると、その人は起きて家に帰った。8 群衆はこれを見て恐ろしくなり、これほどの権威を人にお与えになった神を崇めた。
以下は原文の解明に基づく三上の語順訳と講解です.

4 καὶ εἰδὼς ὁ Ἰησοῦς τὰς ἐνθυμήσεις αὐτῶν εἶπεν · Ἱνατί ἐνθυμεῖσθε πονηρὰ ἐν ταῖς καρδίαις ὑμῶν;
そしてイエスは察知して←彼らの懸念を,言った.「何のためにあなたがたは懸念しているのですか←悪いことどもを←あなたがたの心の中で.
4.1 「そしてイエスは察知して←彼らの懸念を,言った」
4.1.1 「察知して」(エイドース)
「エイドース」の定動詞形「ホラオー」の原義は,「見る」「観察する」「察知する」.イエスは鋭い察知力をもっていた.
4.1.2 「懸念」(エンテューメーシス)
「エンテューメーシス」の原義は,「考慮」「反省」「観念」さらに「懸念」.ここでは懸念と訳した.ユダヤ教神学に縛られた書記たちは,2節の「子よ.赦されています←あなたの罪の数々は」というイエスの宣言に懸念を抱いた.単なる懸念ではなく憤慨であろう.
4.2 「何のためにあなたがたは懸念しているのですか←悪いことどもを←あなたがたの心の中で.
4.2.1 「何のために」(ヒナティ)
「ヒナティ」は理由よりも目的を意味する.イエスは書記たちの企みを察知している.
4.2.2 「悪いことども」
書記たちを含む宗教指導者たちは,イエスに「悪いことども」を行った.イエスを尾行し,イエスの言動を監視し,ついにイエスを逮捕し,不法裁判にかけ,磔刑に処した.
4.2.3 「あなたがたの心の中で」
書記たちの「悪いことども」の源は,これである.悪いことどもを思いはかる宗教指導者たちの神学は,神学と言えるだろうか?イエスから質問を投げかけられた書記たちは,たじたじになった.
5 τί γάρ ἐστιν εὐκοπώτερον, εἰπεῖν · Ἀφίενταί σου αἱ ἁμαρτίαι, ἢ εἰπεῖν · Ἔγειρε καὶ περιπάτει;
なぜなら何がより容易ですか?//と言うこと←「赦されている←あなたの罪の数々は」/それとも,と言うこと←「起きなさい,そして歩きまわりなさい」
5.1 「なぜなら何がより容易ですか?」
5.1.1 「なぜなら」(ガル)
「ガル」は,理由や説明を示す小辞.イエスの質問に沈黙させられた書記たちに,イエスのほうから質問の答えを提示する.
5.1.2 「何がより容易ですか?」
答えるのが容易そうな質問ではある?腐ったリンゴとみずみずしいリンゴとどちらがよいですか?,のような質問である.
5.2 「と言うこと←「赦されている←あなたの罪の数々は」
これは,当時の宗教儀式のなかで,祭司たちが唱えた罪の赦しの儀式文言であろう.現代のキリスト教においても,ローマ・カトリック教会や英国教会の高教会派で,「アブソリューション」(罪の赦しの宣言)として唱えられている.誤解を恐れずに言うなら,幼児でも言える文言である.オウムだって言える.
5.3 「それとも,と言うこと←「起きなさい,そして歩きまわりなさい」
これは難しい.寝たきりの人にこういう宣言をすることができる人は,はたしているだろうか?それができるのは熱狂主義的宗教家か神さまくらいであろう.
6 ἵνα δὲ εἰδῆτε ὅτι ἐξουσίαν ἔχει ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου ἐπὶ τῆς γῆς ἀφιέναι ἁμαρτίας — τότε λέγει τῷ παραλυτικῷ · Ἐγερθεὶς ἆρόν σου τὴν κλίνην καὶ ὕπαγε εἰς τὸν οἶκόν σου.
あなたがたが知るために/←力をもっている←人間の息子は←地上で⇦罪の数々を赦す,そのときイエスは言う⇦その脳卒中の男性に.「起き上がり,あなたのクリネーを持ち上げ運んでください.そしてあなたの家にお行きなさい」
6.1 「あなたがたが知るために」
マタイのイエスは,書記たちにしかと知ってほしい.マタイは自分自身のイエス理解を人々に発信する.
6.2 「力をもっている←人間の息子は←地上で⇦罪の数々を赦す」
6.2.1 「力(エクスーシア)をもっている」
「エクスーシア」の原義は,「能力」「力」「権力」「権威」.マタイの理解するところでは,イエスは力をそなえた存在である.しかもその力たるや,人間並みではないものすごい力である.イエスの力の前では,宗教指導者たちの力や権威は無である.
6.2.2 「人間の息子は←地上で」
「人間の息子」は,初期キリスト教会がイエス・キリストを崇めるために用いた専門用語である.神というのに等しい.天上の神であるイエスの力は,地上においても,今ここで発揮される,とマタイは言いたい.
6.2.3 「罪の数々を赦す」
ここではイエスのエクスーシアは,罪の数々を赦すことにおいて発揮される.イエスはほんとうに罪の数々を赦す.宗教指導者たちの罪の赦しの宣言は,口先だけである.罪の意識という問題を考えてみよう.それに答える資格をもつ人は,専門の医学と臨床経験を経た医者や臨床心理士である.素人はこの問題にカウンセラーと称して,口出しすることは危険である.イエスは罪意識を治療する医者である.しかも,最高の医者である.

6.3 「そのときイエスは言う⇦その脳卒中の男性に」
イエスにしか言うことができない文言である.
6.4 「起き上がり,あなたのクリネーを持ち上げ運んでください.そしてあなたの家にお行きなさい」
6.4.1 「起き上がり」
寝たきりだった男性に,イエスは力強い言葉をかける.
6.4.2 「あなたのクリネーを持ち上げ運んでください」
「クリネー」は寝台であるからかなり重いはずである.「持ち上げ運んでください」(アイロー)は,そういう意味である.

7 καὶ ἐγερθεὶς ἀπῆλθεν εἰς τὸν οἶκον αὐτοῦ.
そして彼(脳卒中の男性)は起き上がり,戻った←彼の家に.
7.1 「そして彼(脳卒中の男性)は起き上がり」
何げなく書いてあるが,ものすごいことがこの男性に起こった.
7.2 「戻った←彼の家に」
彼の家族にとってもものすごいことであった.寝たきりの男性が,寝台を担いで帰宅した!

8 ἰδόντες δὲ οἱ ὄχλοι ἐφοβήθησαν καὶ ἐδόξασαν τὸν θεὸν τὸν δόντα ἐξουσίαν τοιαύτην τοῖς ἀνθρώποις.
群衆の数々は見て,恐れた.そして讃(たた)えた←その神を←これほど大きな力を人間たちに提示した.
8.1 「群衆の数々は見て,恐れた.そして称賛した」
8.1.1 「恐れた」(ポベオー)
「ポベオー」は,神への畏敬をあらわす.
8.1.2 「讃えた」(ドクサゾー)
「ドクサゾー」は,神を称賛する,絶賛する,讃える.
8.2 「その神を←これほど大きな力を人間たちに提示した」
8.2.1 「その神を」
マタイにとってイエスは神である.
8.2.2 「これほど大きな力を人間たちに提示した」
「これほど大きな力」をイエスだからこそ,病気に苦しむ本人や家族に発揮することができた.他方,口先だけの神学者は,病気治療に関しては無知であり,無力である.しかし例外がある.
8.3 アルベルト・シュヴァイツァー (1875-1965. 当時ドイツ帝国領だったカイザースベルク生まれ)
8.3.1 聖書学者
アルベルト・シュヴァイツァー(1875-1965)は聖書学者であった.彼が生きた時代におけるイエス研究は,「イエスのメシア意識」に集中していた.シュヴァイツァーはその著作『イエスの生涯─イエスの受難と秘密─(岩波文庫))』(岩波書店,1957年第1刷発行)の最終章において,次のように述べている.「ただ一つのことだけがはっきりしている.それは洗礼のときに,イエスの存在の秘密,すなわち神がメシアと定めた人物はイエスであることが,イエスに啓示されたということである.この啓示によってイエスは完成したのである」(177-178頁). 「イエスのメシア意識」という文言によってシュヴァイツァーが意味することは,イエスの使命感である.苦しむ人たちを見過ごしにすることができないヒューマニズムである.
8.3.2 医者
30歳になったとき,シュトラスブール大学神学部講師であった彼は,同大学の医学部の学生となった.特例の入学許可である.38歳のときに医学博士の学位を取得した.博士論文の題目は「イエス・キリストの精神錯乱」であった.当時流行していた,狂気のイエス像という学会の風潮を,神学・哲学・医学の方法論によって徹底的に批判し,ヒューマニストとしてのイエス像の立証に努めた.その後,シュヴァイツァーは,イエスのメシア意識の継承者として,アフリカのランバネレに旅立ち,医療活動に献身した.
シュヴァイツァー 1875−1965




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