2024年9月8日 主日礼拝
聖書講話 「マタイ福音書のイエス (第12回)
~〈浸礼者ヨハネの風貌と活動〉の意味~」
聖書箇所 マタイ福音書 3章4〜6節 話者 三上 章
[聖書協会共同訳]
※下線は修正の余地があると思われる部分
4 ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、ばったと野蜜を食べ物としていた。5 すると、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、6 罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼(バプテスマ)を受けた。
以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解です.
4 αὐτὸς δὲ ὁ Ἰωάννης εἶχεν τὸ ἔνδυμα αὐτοῦ ἀπὸ τριχῶν καμήλου καὶ ζώνην
δερματίνην περὶ τὴν ὀσφὺν αὐτοῦ, ἡ δὲ τροφὴ ἦν αὐτοῦ ⸃ ἀκρίδες καὶ μέλι ἄγριον.
他でもなくイーアンネースは持っていた/彼の衣服を←ラクダ毛から作られた/そして革帯を←彼の腰の周りの.彼の食事はイナゴと野生蜂蜜であった.
4.1 「他でもなくイオーアンネースは持っていた/彼の衣服を←ラクダ毛から作られた/そして革帯を←彼の腰の周りの」
4.1.1 「他でもなく」
このように訳した「アウトス」は,主語のヨハネを強調する強意代名詞.特にヨハネの風貌を強調している.
4.1.2 「イオーアンネース」
ヘブライ語の「イオーハナーン」(יוֹחָנָן, Yôḥānān ) のギリシア語への音写.一説によると「ヤハウェの恵み」を含蓄する.
4.1.3 「持っていた」
文字通りにとるなら,「所有していた」.しかし,それでは様にならないから,やはり「着ていた」と解釈するのが妥当であろう.
4.1.4 「彼の衣服を←ラクダ毛から作られた」
「衣服」と訳した「エンデューマ」は,衣服全般を示す.ここでは「ラクダ毛から作られた」と説明されている.素朴なものだったと推察される.現代でもベドウィンが着用しているそうである.マタイは預言者エリア風のオーラを,ヨハネに重ね合わせたかったものと思われる.
4.1.5 「革帯を←彼の腰の周りの」
ベルトのようなものと推察される.革製ではあるが,どの動物の革であるかは不明.帯状なのか紐状なのかも不明.
4.2 「彼の食事はイナゴと野生蜂蜜であった」
4.2.1 「食事」(トロペー)
「トロペー」は「養生」を含意する.食事は栄養の調和のとれたものが望ましい.
4.2.2 「いなご」(アクリス)
「アクリス」は,「バッタ」あるいは「コオロギ」も意味しうる.両方ともバッタ科である.キリギリスもバッタ科.現代でも,コオロギやキリギリスは,アラビア,アフリカ,シリア,アジアなどで食されている.食べ方としては,なま,焼く,煮る.日本では,言わずと知れたイナゴの佃煮.全体の26%以上がたんぱく質であることに加え, ビタミンA,ビタミンE,葉酸などのミネラル分も豊富.
4.2.3 「野生蜂蜜」(メリ・アグリオン)
「メリ」は「蜂蜜」.「アグリオン」はそれを説明する形容詞で,「野生の」という意味.飼育された蜂ではなく,野生の蜂による蜂蜜と推察される.これまた栄養価の高いごちそうである.旧約聖書外典の『ヨセフとアセナテ』(Jos. Asen. 16.8)によると,蜂蜜は天国の食べ物であった.神の使者曰く.「歓喜のパラダイスの蜂たちが,この蜂蜜を作った.そして神の使者たちがそれを食べるであろう.そしてそれを食べる人は決して死なないであろう」
5 τότε ἐξεπορεύετο πρὸς αὐτὸν Ἱεροσόλυμα καὶ πᾶσα ἡ Ἰουδαία καὶ πᾶσα ἡ περίχωρος τοῦ Ἰορδάνου,
その時,出て行った←彼の方へ/ヒイエロソリュマが,そして全イウーダイア(属州)が,そして全周辺(地方)が←イオルダネース川の.
5.1 「その時,出て行った←彼の方へ」
5.1.1 「その時」(トテ)
唐突である.具体的に何時であるかは不明.
5.1.2 「出て行った←彼の方へ」
「出て行った」は定動詞「エクポレウモマイ」の未完了過去.「続々と出て行った」を含意する.「エクポレウモマイ」は「エク」(こちらから)+「ポレウモマイ」(あちらへ行く)の合成動詞.自分の居住地から「彼の方へ」,すなわち人けのない場所にいるヨハネの方へ出て行く.いわば出家の覚悟で,修道士になる覚悟で出て行く.
5.2 「ヒイエロソリュマが,そして全イウーダイア(属州)が,そして全周辺(地方)が←イオルダネース(川)の」
大勢であったにせよ,エルサレム,全ユダヤ地方,さらに全周辺(地方)の全住民が出て行ったとは,とても考えられない.「全」と訳した「パーサ」は「それぞれの」を意味することもできるが,「それぞれの全イウーダイア(属州)」では意味が通らない.ここは誇張ととるしかない.伝承というものは,だんだんと誇張・拡大されていく傾向をもつ.あらゆる地方から来て欲しい,来るべきであるという,伝承なり福音書記者マタイの気持ちの表れであろう.エルサレムが筆頭に置かれているのは,エルサレムこそ,特にヘロデ神殿にあぐらをかいている宗教貴族たちこそ,浸礼者ヨハネのところへ出て行くべきだ,と言いたいマタイの意図の現れと思われる.
6 καὶ ἐβαπτίζοντο ἐν τῷ Ἰορδάνῃ ποταμῷ ὑπ’ αὐτοῦ ἐξομολογούμενοι τὰς ἁμαρτίας αὐτῶν.
そして彼らは浸礼を受けた/イオルダネース(川)の中で/彼によって,認めるために←彼らの失敗を.
6.1 「彼らは浸礼を受けた/イオルダネース川の中で/彼によって」
6.1.1 「彼らは浸礼を受けた」
「浸礼を受けた」は,定動詞「バプティゾー」(沈める)の受動相.「沈められた」が直訳.未完了過去時制なので「続々と沈められた」という意味合い.この行為はヨハネ教団への入会儀礼であったという推定の下に,「浸礼を受けた」と訳した.
6.1.2 「イオルダネース(川)の中で」
「ヨルダン川」は,ギリシア語で「ホ・イオルダネース」という.「川」は補足.パレスティナを代表する川である.
6.1.3 「彼によって」
ヨハネによって浸礼を受けた大勢の人が,彼の教団に入会した.ヨハネはさぞかし疲れたであろう.ところで,それほど多くの人のための衣食住は,どのようにして賄われたのかが気になる.仮に大部分の人は在世信徒として自分の居住地に戻ったとしても,相当数の人が出家信徒として,人けのない場所にあるヨハネ教団に留まったと考えるのは,不合理な話ではない.
たとえば,アッシジのフランチェスコ(1182-1226).1210年にわずか12人で始まった彼の「小さき兄弟団(Ordo Fratrum Minorum)」は,1219年には3000人あるいは5000人に拡大したという史料もある.[参照] キアーラ・フルゴーニ 著,三森のぞみ 訳『アッシジのフランチェスコ ひとりの人間の生涯』(白水社、2004年).
ヨハネ教団の衣食住の話に戻ると,衣服に関しては,その修道士たちはヨハネに倣って,ラクダ毛の衣服を作った仮定しよう.はたしてそれほど大勢の,たとえば500人あるいは1000人分に供するラクダがいたのだろうか?食事に関しては,イナゴのほうは充分にいたかもしれない.しかし,それらはどのような仕方で食されたのであろうか?なま?焼く?煮る?乾燥する?私はなまだと思う.なまのイナゴにどれだけの修道士が耐えることができたであろうか?野生蜂蜜はそんなにあるものではないであろう.住居に関しては,かなり貧相なものであったであろうことは,想像に難くない.したがって,中途離脱の人たちも少なくなかったのではないだろうか?
6.2 「認めるために←彼らの失敗を」
6.2.1 「認めるために」
定動詞「エクソモロゲオマイ」は,「エク」(自分のほうから,自発的に)と「オモロゲオマイ」(認める,告白する」)の合成動詞.自分から自発的に認めるということ.それの現在分詞.その用法・意味は,おそらく目的.それゆえ「認めるため」と訳した.ヨハネ教団に入会した修道士の目的は,認めることである.認めるとは何か?口で言い表すことはもちろんであるが,行動に表すことである.まずは浸礼.その後に認めたにふさわしい行動が続く.修道あるいは修行である.すぐには完了しない.長い時間をかけて普段の努力を続けなければならない.何を認め何を行動するのか?
6.2.2 「彼らの失敗を」
「過ち」は「ハマルティア」の複数形.原義は「失敗」.自分がおかした数々の失敗を後悔する人々が,浸礼者ヨハネのところに出て行き,浸礼を受けた.そこから失敗の償いと改めの修道・修業の人生と生活が始まる.
Comments