2023年9月3日 主日礼拝
聖書講話 「マルコ福音書のイエス (第133回)〜イスカリオテのユダの行動の真相」
聖書箇所 マルコ福音書 14章10〜11節 話者 三上 章
[聖書協会共同訳]
10 十二人の一人イスカリオテのユダは,イエスを引き渡そうとして,祭司長たちのところへ出かけて行った.
11 彼らはそれを聞いて喜び,金を与える約束をした.そこでユダは,どうすれば折よくイエスを引き渡せるかと狙っていた.
[下線は改善の余地があると私には思われる部分である]

以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解である.
10 Καὶ Ἰούδας Ἰσκαριὼθ ὁ εἷς τῶν δώδεκα ἀπῆλθεν πρὸς τοὺς ἀρχιερεῖς ἵνα αὐτὸν παραδοῖ αὐτοῖς.
そしてイゥーダス・イスカリオート,12人の一人は退去した/祭司長たちの方へ/彼(イエス)を彼らに手渡すために.
10.1 今日の箇所は伝承によるものではなく,福音書記者自身の創作になる部分であると思われる.マルコの考えを認識できる可能性がある.
10.2 「イゥーダス・イスカリオート,12人の一人は退去した/祭司長たちの方へ」
10.2.1 「イゥーダス・イスカリオート,12人の一人」
シモン・レプロスの家で開催された食事会における注目は,それまでイエスにナルドの香油を注いだ女性に当てられていた.その注目は,今日の箇所では,イゥーダス・イスカリオートに転じられる.イスカリオテのユダは,ギリシャ語ではこのように発音される.彼は誰か?架空の物語の中の架空の登場人物なのか?それとも実在した人物なのか?後者だと私は考える.イエスが実在したならば,イスカリオテのユダも実在した.そして彼はイエスの逮捕に密接に関わった.「12人の一人」という説明に注目!3章13〜19節に,イエスに選ばれた12人の名前が列挙されている.ユダは最末尾.12人は,イエスの最も親密な学友たちである.その中の一人が,イエスの逮捕に共謀する!
10.2.2 「退去した」
定動詞形「アペルコマイ」は,「アポ」(〜から離れて)+「エルコマイ」の合成動詞.食事会の席から退去したと同時に,イエスと学友たちの共同体から退会したという意味を含むかもしれない.離反とまでいえるかどうかは,わからない.
10.2.3 「祭司長たちの方へ」
ユダが退去した行き先である.彼は,イエスの逮捕と処刑の方法をやっきとなって探していた宗教貴族たちの方へ退去した.ユダはベタニアからエルサレムへの3.2kmの道のりを,そこにに居住する彼らの方に歩いていった.敵の陣地に単身で乗り込むありさまである.その行動の目的を,福音書記者マルコは次のように記している.
10.3 「彼(イエス)を彼らに手渡すために」
定動詞形「パラディドーミ」は,「パラ」(〜の側から)+「ディドーミ」(与える」の合成動詞.ユダの側からイエスを祭司長たちに与える,が原義.そこで「手渡す」と訳した.従来の「引き渡す」という訳は,拘束感と強制感が強い.ユダはイエスを強引に引き渡すわけではない.
10.3.1 大き疑問
なぜユダはイエスを,敵対する祭司長たちに手渡すのだろうか?マタイは,お金が欲しかったと憶測している.ルカは,ユダにサタンが入ったと憶測している.ヨハネは,ユダは貪欲な盗っ人であったと憶測している.これらはすべて心理的解釈である.古典文献の解明において,心理的解釈は決してやってはいけない.イエスを手渡すユダの動機については,マルコは何も書いていない.憶測は言わない.「彼(イエス)を彼らに手渡すために」というだけにとどめている.
11 οἱ δὲ ἀκούσαντες ἐχάρησαν καὶ ἐπηγγείλαντο αὐτῷ ἀργύριον δοῦναι. καὶ ἐζήτει πῶς αὐτὸν εὐκαίρως παραδοῖ.
彼ら(祭司長たち)は(ユダから)情報を得たので喜んだ.そして彼(ユダ)に約束した/銀を与えることを.そして彼(ユダ)は探していた/方法を←彼(イエス)をよい頃合いに手渡すことができる.
11.1 「彼ら(祭司長たち)は(ユダから)情報を得たので喜んだ」
11.1.1 「彼ら(祭司長たち)は(ユダから)情報を得た」
「情報を得た」の定動詞形は「アクーオー」.通常は「〜から聞く」という形をとるが,「〜から」はしばしば省略される.ここでは「ユダから」であることが明らかである.「祭司長たちはユダから聞いた」が直訳である.彼らは,のどから手が出るほど欲しかった情報を得た.しかも,イエスの側近のユダから.ただしユダから何を聞いたかは,何も書かれていない.
11.1.2 「喜んだ」
定動詞形は「カイロー」.「ご機嫌よう」という意味合いで,挨拶に用いられる.名詞形の「カラ」は,グラスゴー大学神学部教授であったウィリアム・バークレー教授をして「最も美しいギリシャ語」と言わしめた単語である.その動詞形カイローを,祭司長たちは悪いことに用いた.彼らは喜んだが,それはゆがんだ喜び,不純な喜び,血に飢え乾く喜びである.
11.2 「彼(ユダ)に約束した/銀を与えることを」
11.2.1 キリシタン訴人の報償金(嘱託銀)
キリシタン密告制度を連想させる.1618年(元和4年)頃,長崎奉行を務めた長谷川権六がキリシタン弾圧のため市中に銀の延棒30枚を掲げてキリシタンや宣教者の密告を奨励したといわれている.1626年(寛永3年)に銀100枚へと増加された.これは長谷川独自の政策であったが,島原の乱後の1633年(寛永10年)鎖国令制定の際に江戸幕府においても正式に採用されて全国に広がった.
11.2.2 「銀」
「アルギュリオン」と単数形.銀貨1枚とも解釈できるが,そうではないであろう.ここでは「懸賞金」という意味.しかも相当な金額である.ちなみに「世田谷一家殺人事件」の捜査特別報奨金は,2000万円の由.
11.2.3 「約束した/銀を与えることを」
他方,ユダが報償金を要求したかどうかは書かれていない.ユダの心理について,下手な憶測はしないほうがよい.
11.3 「彼(ユダ)は探していた/方法を←彼(イエス)をよい頃合いに引き渡すことができる」
11.3.1 「彼(ユダ)は探していた/」
定動詞形は「ゼーテオー」.哲学者が真理を探究することにも用いられる言葉.井上陽水の「夢の中へ」という歌の「探しものは何ですか」という一句を思い出す.深い人生哲学を湛えた歌である.ユダは何を探していたのか?何を探すべきであったのか?何を探すべきではなかったのか?
11.3.2 「方法を←彼(イエス)をよい頃合いに手渡すことができる」
ユダはイエスを「よい頃合いに」手渡す「方法」を探していた.「方法」は「ポース」.「どのような方法で〜するか」が原義.「よい頃合いに」は「エウカイロース」.「エウ」(よく)+「カイロース」(機会に).それゆえ「よい頃合いに」と訳した.哲学的探究とは無縁.いわば釣り人が魚を釣り上げる方法・よい頃合い.イエスはまさか魚ではあるまい.
女性によるナルドの香油注ぎの美からユダによるイエス手渡しの醜への転調.昼の明るさから夜の暗さへの反転.闇は深まっていく.
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