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執筆者の写真平岡ジョイフルチャペル

9/29 マタイ福音書のイエス (第13回)   ~浸礼者ヨハネによる〈神の怒り〉の告知~

2024年9月29日 主日礼拝

聖書講話  「マタイ福音書のイエス (第13回)

                  ~浸礼者ヨハネによる〈神の怒り〉の告知~」  

聖書箇所   マタイ福音書 3章7〜9節  話者 三上 章


[聖書協会共同訳]  

      ※下線は修正の余地があると思われる部分

7 ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼(バプテスマ)を受けに来たのを見て、こう言った。「毒蛇の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか。8 それなら悔い改めにふさわしい実を結べ。9 『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。



 以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解です.


7 Ἰδὼν δὲ πολλοὺς τῶν Φαρισαίων καὶ Σαδδουκαίων ἐρχομένους ἐπὶ τὸ βάπτισμα αὐτοῦ εἶπεν αὐτοῖς · Γεννήματα ἐχιδνῶν, τίς ὑπέδειξεν ὑμῖν φυγεῖν ἀπὸ τῆς μελλούσης ὀργῆς;

彼(=浸礼者ヨハネ)は見た時/大勢を←パリサイオスたちおよびサッドゥーカイオスたちの中の←やって来るのを/バプティスマを目指して←彼の(=彼が行う),彼らに言った.「毒蛇たちの子たちよ!誰があなたたちに示したのか?/逃れる方法を←来たらんとしている怒りから.


7.1 「彼(=浸礼者ヨハネ)は見た時/大勢を←パリサイオスたち・サッドゥーカイオスたちの中の←やって来るのを/バプティスマのために←彼の(=彼が行う),彼らに言った」

7.1.1 「彼(=浸礼者ヨハネ)は見た時/大勢を←パリサイオスたち・サドーカイオスたちの中の←やって来るのを」

 「彼」とは浸礼者ヨハネ.ヨハネは大勢が彼の所に続々とやって来るのを見た.その大勢は「パリサイオスたちおよびサッドゥーカイオスたち」と特定されている.生前のイエスの時点としては,「パリサイオスたち」とはパリサイ党員.概してユダヤ教の掟を学習することに熱心であり,それを遵守した党派.中には「サッドゥーカイオスたち」寄りの人たちも,その数は多くないが,いたと推測される.ここでは両者は,一つの冠詞の下にひと括りにされている.「サッドゥーカイオスたち」とはサドカイ党員.エルサレムのヘロデ神殿を拠点とする,言わば与党の人たち.世襲の神殿貴族.前者は,ユダヤ教の掟に関して,自由主義的なイエスに対立し,後者は,ユダヤ教の政治に関して,民主主義的なイエスに対立していた.その彼らが,しかも大勢がヨハネの所に続々やって来る.偵察や攻撃のためではない.次の語句が示すように,賛同による参加のためである.ただし歴史のイエスの時点では,考えにくい.むしろマタイ教会の時点での出来事を想定したほうが,理解しやすいかもしれない.かつてユダヤ教指導者たちはイエスに反対していたが,今やマタイ共同体に属する家の教会の数々ににユダヤ人たちが賛同し参加している.その場合,「大勢」というのは誇張,あるいはこうあってほしいという願望かもしれない.

7.1.2 「バプティスマを目指して←彼の(=彼が行う)」

 「目指して」と訳した「エピ」は本来「〜の上に」という意味であるが,他にも多くの意味で使用される.ここでは目標を目指す「エピ」と解釈し,「目指して」と訳した.この人たちが人里離れたヨハネ教団に赴いてきた目的は,ヨハネが授けるバプティスマを受けることであった.その場合,バプティスマはどのように理解されていたのだろうか?歴史上のヨハネ教団の時点では,教団への入会式ということになる.大勢のパリサイ党員・サドカイ党員が離党し,ヨハネ党に入党しようとしている.他方,マタイ共同体の時点としては,クリスチャンたちが運営する家の教会への入会式ということになる.クリスチャンたちに反対していたユダヤ教徒たちが,家の教会に入会する光景が想像される.

 いずれにせよ,バプティスマは入会の儀式である.現代においても,儀式・儀礼として入学式,卒業式,入社式,入団式があり,人生の節目として重要である.誕生会や冠婚葬祭の儀礼も,加えることができるかもしれない.バプティスマの本質は,入会の決意をした人がその決意を公表することにある.その意味では,救世軍の「入団式」や無教会主義集会の「入会式」もありである.儀式・儀礼の本質であるところの入会の決意,それが一番重要である.

7.1.3 「彼らに言った」

 ヨハネは,バプティスマを希望するこの人たちに,その儀式の意味を強調する.


7.2 「毒蛇たちの子たちよ!誰があなたたちに示したのか?←来たらんとしている怒りから逃れる方法を

7.2.1 「毒蛇たちの子たちよ!」

 ヨハネが入団希望者に開口一番投げかけた言葉が,これである.これをどのような態度で受けとめるかが,決定的に重要である.自分は毒蛇である現実を謙虚に認めることができる人,その人は幸いである.毒蛇とは,頭部に毒腺と毒牙を備えたヘビの総称.自分自身の内に毒をもち,その毒で他者を害する人間.それは毒蛇と変わらない.

 毒のある言葉というが,悪印象を与える「4毒」があるという.1)「いや」「そうじゃなくて」「~って言うか」2)「だからダメなんだよ」「バカじゃないか」「何にもできないなぁ」 3)「私のせいじゃない」「そういう意味じゃない」「悪いのは私じゃない」 4)「もう時間が無いから」「それは他の人に聞いて」「それは私じゃない」

7.2.2 「誰があなたたちに示したのか?」

 否定の答えを要求する疑問文.いや,誰も示さなかった.

7.2.3 「逃れる方法を←来たらんとしている怒りから」

 「逃れる方法」の逐語訳は「逃れること」であるが,ここでは「逃れる方法」という意味.どんなにあがいても,「来たらんとしている怒りから」逃れることができないと,ヨハネは言っている.この「来たらんとしている怒り」という文言の意味は何であるか?ヨハネの意味は,毒蛇のような人間に怒りの神がまさに下そうとしている刑罰,それも重罰ということであろう.古代におけるこのような黙示的宗教観は,現代の人たちの理解に苦しむところである.しかし,現代においても,実は自分は悪い人間であると気がついている人は,少なくないであろう.その人は日々不安と悩みにさいなまされ,来るべき日々に対して恐れと絶望を抱いている.それが「来たらんとしている怒り」であると言えば,言えないこともない.


8 ποιήσατε οὖν καρπὸν ἄξιον τῆς μετανοίας

だからあなたがたは結びなさい/果実を←回心(メタノイア)にふさわしい.


「回心」と訳した「メタノイア」の原義は,「メタ」(後)と「ノイア」(考え)から構成され,「後からの考え」.「心の変化」「後悔」などという意味で使用される.しかし,ヨハネのいう「メタノイア」は心だけを改めるのではなく,行動,生活,生き方をも改めることを含む.毒蛇であることを止めて,果樹になることを願望する.そして私がブドウの木であるならば,私はブドウの実を結ばなければならない.


9 καὶ μὴ δόξητε λέγειν ἐν ἑαυτοῖς · Πατέρα ἔχομεν τὸν Ἀβραάμ, λέγω γὰρ ὑμῖν ὅτι δύναται ὁ θεὸς ἐκ τῶν λίθων τούτων ἐγεῖραι τέκνα τῷ Ἀβραάμ.

そしてあなたたちは妄想してはいけない←自分たち自身の中で言おうと.「父としてアブラハムを私たちはもっている」.なぜなら私はあなたたちに言います.「可能です←神には/これらの石から←起こすことが←子たちを←アブラハムのために.


9.1 「あなたたちは思ってはいけない←自分たち自身の中で言おうと」

9.1.1 「妄想してはいけない」

 「妄想する」と訳した「ドケオー」は,単に「思う」ではなく,根拠のない思いなし,不確かな意見を意味する.

9.1.2 「自分たち自身の中で言おう」

 その妄想とは何か?言明されていない内心,慢心,過信,妄信」である.その内容は何か?


9.2 「父としてアブラハムを私たちはもっている」

9.2.1 「父としてアブラハムを」

 「父」は父祖という意味.ユダヤ教はアブラハムを父祖として崇める宗教である.日本の国家神道で言えば,さしづめ祭神としての天照大神ということになる.この祭神への崇敬がヤマト民族という虚妄に結びつく.アブラハムへの崇敬は,ユダヤ教から切り離すことができない.イエスの時代のユダヤ人たちは,一般に,アブラハムという架空の存在に執着していた.


9.3 「私はあなたたちに言います」

 ヨハネはユダヤ教イデオロギーべったりの人たちの誤りを正す.

9.4「可能です←神には」

 ヨハネは,集まった人々の目をアブラハムから神へ向け変える.悪い自分に別れを告げ,神に向かって歩むこと,これががメタノイアの本質である.


9.5 「これらの石から←起こすことが←子たちを←アブラハムのために」

 ヨハネは言う.アブラハムというような架空の父祖を拠り所とし,それに執着する人は「石」(リトン)である.石は実を結ぶことができない.ヨハネは言う.あなたがたは良い行いの実を結ぶことができるために,神によって良い果樹に変えられることを求めなさい.その変化は人間にはできないが,神にはできる.

 「起こす」と訳した「エゲイロー」という言葉にご注目あれ.眠っている人を起こす,目覚めさせるという意味で,しばしば使用される.惰眠を貪っている石のような人を,神は起こし,アブラハムの子であることの真の意味に覚醒させる.そのように解釈することもできる.


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