2024年9月22日 主日礼拝
聖書講話 「ある知者の洞察 (第37回)~足るを知る〜」
聖書箇所 コヘレトの言葉 5章17〜19節
[聖書協会共同訳]
[下線は改善の余地があると私には思われる部分]
17 見よ、私が幸せと見るのは、神から与えられた短い人生の日々、心地よく食べて飲み、また太陽の下でなされるすべての労苦に幸せを見いだすことである。それこそが人の受ける分である。18 神は、富や宝を与えたすべての人に、そこから食べ、その受ける分を手にし、その労苦を楽しむよう力を与える。これこそが神の賜物である。19 人は人生の日々をあまり思い返す必要はない。神がその心に喜びをもって応えてくれる。
以下は,ヘブライ語とギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解.両者とも,各用語の解明に基づく逐語訳に努めた.ヘブライ語本文(MT)を主とし,ギリシア語訳(LXX)は参考として,講解を進める.
17
הִנֵּ֞ה אֲשֶׁר־רָאִ֣יתִי אָ֗נִי טֹ֣וב אֲשֶׁר־יָפֶ֣ה לֶֽאֶכוֹל־וְ֠לִשְׁתּוֹת וְלִרְאֹ֨ות טוֹבָ֜ה בְּכָל־עֲמָלֹ֣ו ׀ שֶׁיַּעֲמֹ֣ל תַּֽחַת־הַשֶּׁ֗מֶשׁ מִסְפַּ֧ר יְמֵי־חַיָּ֛ו אֲשֶׁר־נָֽתַן־לֹ֥ו הָאֱלֹהִ֖ים כִּי־ה֥וּא חֶלְקֹֽו׃
見よ!この私が見たこと.善いこと,美しいこと/(すなわち)食べること,飲むこと,善いことを見ること←彼のあらゆる種類の労働において←彼(=人)が労する←太陽の下で/彼のいのちの日々の数(にわたり)←神が彼に与えた/なぜならそれが彼の取り分である.
Ἰδοὺ ὃ εἶδον ἐγὼ ἀγαθόν, ὅ ἐστιν καλόν, τοῦ φαγεῖν καὶ τοῦ πιεῖν καὶ τοῦ ἰδεῖν ἀγαθωσύνην ἐν παντὶ μόχθῳ αὐτοῦ, ᾧ ἐὰν μοχθῇ ὑπὸ τὸν ἥλιον ἀριθμὸν ἡμερῶν ζωῆς αὐτοῦ, ὧν ἔδωκεν αὐτῷ ὁ θεός· ὅτι αὐτὸ μερὶς αὐτοῦ.
見よ!この私が見た善いこと・美しいこと/(すなわち)飲むこと,食べること,善いことを見ること←彼のあらゆる種類の労働において←彼(=人)が労する←太陽の下で/彼のいのちの日々の数(にわたり)←神が彼に与えた/なぜならそれが彼の取り分である.
17.1 MTとLXXの比較
ほぼ一致している.LXXはぎこちないMTの文章をなめらかにしている.
17.2 「私が見た」
コヘレトは,仏教における観自在菩薩のようである.「観自在」と「菩薩」はそれぞれ,avalokiteśvaraとbodhisattvaの漢訳.意味としては,avalokiteśvaraは「国中をくまなく見守る主君」,bodhisattvaは「真理を懸命に求める人」と推察される.コヘレトは,あらゆるものをあらゆる角度から注意深く観た人である.この度は何を見たか?社会の人々である.社会の人々について,コヘレトは何を見たのか?
17.3 「善いこと,美しいこと」
「善いこと」は「美しいこと」である.翻って「美しいこと」は「善いこと」である.善と美は不二一体である.それが何であるのかを前に,コヘレトはそれがどこにあるかを示す.
17.4 「彼のあらゆる種類の労働において←彼(=人)が労する←太陽の下で」
17.4.1 「彼のあらゆる種類の労働」
コヘレトは労働に通暁している.農業,漁業,林業など労働のあらゆる分野に関心をもち,それぞれの重要性と価値を全体的に把握している.「太陽の下で」を野外においてという意味に取るなら,農業が意識されていることになる.
17.4.2 「彼(=人)が労する」
「勤労する」と言い換えることもできる.「就労する」,「勤務する」,「働く」でもよい.原語の「アーマール」は「汗水たらして働く」を含意する.
17.5 「彼のいのちの日々の数(にわたり)←神が彼に与えた」
コヘレトの見るところでは,人生は神が人に与えた命の日々の数である.それゆえ,人生はかけがいのない尊いものである.その人生において労働の占める位置は大きい.人生から労働が取り除かれるなら,人生はいびつなものになるであろう.
17.6 「彼の取り分」(ヘーレク)
労働の代価としての取り分,すなわち賃金.それは労働者が流した汗水の結晶であるる.それゆえ正当なものでなければならない.そうであればこそ,善・美と言える.ところが,現実はどうか?コヘレトの当時においても,搾取や不当な低賃金が横行していたであろうことは,想像に難くない.そういうことがあってはならないという強い正義感をもって,コヘレトは語っている.
18
גַּ֣ם כָּֽל־הָאָדָ֡ם אֲשֶׁ֣ר נָֽתַן־לֹ֣ו הָאֱלֹהִים֩ עֹ֨שֶׁר וּנְכָסִ֜ים וְהִשְׁלִיטֹ֨ו לֶאֱכֹ֤ל מִמֶּ֨נּוּ֙ וְלָשֵׂ֣את אֶת־חֶלְקֹ֔ו וְלִשְׂמֹ֖חַ בַּעֲמָלֹ֑ו זֹ֕ה מַתַּ֥ת אֱלֹהִ֖ים הִֽיא׃
またあらゆる人.神が彼に与えたもの.(すなわち)富と財産.そして彼(=神)は彼に許可した.それによって彼が食べることを,そして彼の取り分を受け取ることを.そして喜ぶことを←労働を.これは神の贈り物で
καί γε πᾶς ὁ ἄνθρωπος, ᾧ ἔδωκεν αὐτῷ ὁ θεὸς πλοῦτον καὶ ὑπάρχοντα καὶ ἐξουσίασεν αὐτὸν τοῦ φαγεῖν ἀπʼ αὐτοῦ καὶ τοῦ λαβεῖν τὸ μέρος αὐτοῦ καὶ τοῦ εὐφρανθῆναι ἐν μόχθῳ αὐτοῦ, τοῦτο δόμα θεοῦ ἐστιν.
またあらゆる人.神が彼に与えた富と財産.そして彼(=神)は彼に許可した.それによって彼が食べることを,そして彼の取り分を受け取ることを.そして喜ぶことを←彼の労働において.これが神の贈り物である.
18.1 MTとLXXの比較
ほぼ一致している.
18.2 「あらゆる人」
動詞がない.「取り分を受け取るべきである」を補うことができるかもしれない.
労働者階級の人もアンダークラスの人も,あらゆる階級の人が,善・美なるもの受け取るべきである.労働者にとって善・美なるものとは何か?
18.3 「神が彼に与えたもの.(すなわち)富と財産」
コヘレトは,特に富者を意識しているのかもしれない.富者が所有する財産は,神が与えたものである.自分のものではなく,神のもの.富に執着するのではなく,それを貧者に分配するくらいのさばさばした心が求められる.
18.4 「彼(=神)は彼に許可した」
労働とその賃金に関しては,神の許可という認識が重要である.神の許可にふさわしい労働体制と賃金体系が求められる.この点に留意せよ,とコヘレトは言いたい.神の許可は三点におよぶ.
18.5 「それによって彼が食べることを,そして彼の取り分を受け取ることを.そして喜ぶことを←労働を」
18.5.1 「食べること」
普通に食料を購入できること.それがコヘレトのいう善・美なることである.ぐるめ・食べ過ぎは控え,健康で楽しい食事,すなわち「足るを知る」食生活である.『老子』第33章に収められている「知足者富」である.
18.5.2 「取り分を受け取ること」
労働の対価を受け取ることができる労働者は,幸いである.また,そのように配慮する雇用者は幸いである.そのような仕組みを構築することが,経済や政治の指導者の使命である.
18.5.3 「喜ぶことを←労働を」
労働を喜ぶことができる労働者.それが理想であるが,現実はそうではない.非正規労働者が多すぎる.正規労働者になることは至難である.たとえばスーダンや南アフリカのような国では,雇用の機会すらほどんどない.2023年度におけるそれぞれの失業率は46%と33%である.
18.6 「これは神の贈り物である」
そう言える人や国は,幸いである.
19
כִּ֚י לֹ֣א הַרְבֵּ֔ה יִזְכֹּ֖ר אֶת־יְמֵ֣י חַיָּ֑יו כִּ֧י הָאֱלֹהִ֛ים מַעֲנֶ֖ה בְּשִׂמְחַ֥ת לִבֹּֽו׃
なぜなら彼はあまり思い煩わないであろう←彼のいのちの日々を.なぜなら神は
(人を)多忙にしている←彼の心の喜びにおいて.
ὅτι οὐ πολλὰ μνησθήσεται τὰς ἡμέρας τῆς ζωῆς αὐτοῦ· ὅτι ὁ θεὸς περισπᾷ αὐτὸν ἐν εὐφροσύνῃ καρδίας αὐτοῦ.
なぜなら彼はあまり多く思い煩わないであろう←彼のいのちの日々を.なぜなら神は(人を)多忙にしている←彼の心の喜びにおいて.
19.1 「彼はあまり思い悩まないであろう←彼のいのちの日々を」
「思い煩う」と訳した「ザーハール」の原義は,「言及する」.派生的意味として「記憶する」「思い出す」が辞典に提示されているが,文脈に合致しない.一応「思い煩わない」と解釈した.思い煩う人は,過去を引きずり,現在をかこち,未来に不安を覚える.
他方,コヘレトは,善・美なる生き方をしている人は,思い煩わない,くよくよしないと言っている.贅沢でなくてもいいから,最低限,日々の食事に事欠くことがない.衣服も住居も質素なもので満足する.それができている人は当たり前と思うかもしれないが,東京の山谷,横浜の寿町,大阪の西成区に行くと,そうではない現実がある.
19.2 「神は(人を)多忙にしている←彼の心の喜びにおいて」
コヘレトは,いつも喜んでいる人,満ち足りている人のことを言っていると,私は解釈する.その人は喜びと神への感謝に忙しく,不平をかこつ暇がない.宮沢賢治流に言えば,そういう人に私はなりたい.
コメント