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9/14 マタイ福音書のイエス (第51回)~〈求めよ,さらば与えられん〉を検討する

  • 執筆者の写真: 平岡ジョイフルチャペル
    平岡ジョイフルチャペル
  • 2025年9月14日
  • 読了時間: 7分

2025年9月14日 主日礼拝

聖書講話     「マタイ福音書のイエス (第51回)

       ~〈求めよ,さらば与えられん〉を検討する〜

聖書箇所    マタイ福音書 7章6〜11節   話者 三上  章


      [聖書協会共同訳]  

        ※下線は修正の余地があると思われる部分

6 聖なるものをに与えてはならない。また、豚の前に真珠を投げてはならない。豚はそれを足で踏みつけ、犬は向き直って、あなたがたを引き裂くであろう。」 7 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。叩きなさい。そうすれば、開かれる。 8 誰でも、求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者には開かれる。 9 あなたがたの誰が、パンを欲しがる自分の子どもに、石を与えるだろうか。 10 魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。 11 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる。

 以下は原文の解明に基づく三上の私訳と講解です.


6 Μὴ δῶτε τὸ ἅγιον τοῖς κυσίν, μηδὲ βάλητε τοὺς μαργαρίτας ὑμῶν ἔμπροσθεν τῶν χοίρων, μήποτε καταπατήσουσιν αὐτοὺς ἐν τοῖς ποσὶν αὐτῶν καὶ στραφέντες ῥήξωσιν ὑμᾶς.

あなたがたは与えてはいけません←聖なるものを←犬たちに.また投げてはいけません←あなたがたの真珠の数々を←豚たちの前に.それは彼らが踏みつけることのないためです←それらを←彼らの足で,そして振り向いてあなたがたを引き裂くことのないためです.

6.1 「あなたがたは与えてはいけません←聖なるものを←犬たちに」

6.1.1 論理的つながりなし

 これまで語られてきた「王国とその正義を求めよ」や「断罪するな」の話と論理的つながりがない.マタイは自分が聞いた伝承を羅列し,心の中に鬱積していたものを発奮している.

6.1.2 「あなたがた」

 マタイ教会のクリスチャンたち.彼らにマタイはイエスに付託して語っている.

6.1.3 「与えてはいけません」

 相手に対する敵対・拒絶・交際断絶を命じている.

6.1.4 「聖なるもの」

 マタイ教会が保持する教説.それを彼らは「聖なるもの」と自任していた.

6.1.5 「犬たち」

 マタイ教会を弾圧していたユダヤ教徒たち.紀元70年のローマによる神殿破壊の後は,ユダヤ教支配体制は各地のシナゴーグに取って代わられた.いくら激しく弾圧されたとしても,相手を犬呼ばわりするのは,クリスチャンとしていかがなものか?

6.2 「また投げてはいけません←あなたがたの真珠の数々を←豚たちの前に」

6.2.1 「あなたがたの真珠の数々」

 前出の「聖なるもの」の言い換え.真珠の首飾りを連想させる.これも手前味噌.

6.2.2 「豚たち」

 相手を豚呼ばわり.これまたクリスチャンにふさわしくない言葉.

6.3 「それは彼らが踏みつけることのないためです←それらを←彼らの足で,そして振り向いてあなたがたを引き裂くことのないためです」

 激しい弾圧を連想させる.太平洋戦争中,マルクスの『共産党宣言』をもっていた人たちは,そういう目に遭った.文化大革命の最中,聖書をもっていた人たちも然り.


7 Αἰτεῖτε, καὶ δοθήσεται ὑμῖν · ζητεῖτε, καὶ εὑρήσετε · κρούετε, καὶ ἀνοιγήσεται ὑμῖν.

あなたがたは求め続けてください.そうすれば与えられるでしょう←あなたがたに.あなたがたは探し続けてください.そうすれば見つけるでしょう.あなたがたは叩き続けてください.そうすれば,開かれるでしょう←あなたがたに.

7.1 「あなたがたは求め続けてください.そうすれば与えられるでしょう←あなたがたに」

7.1.1 「あなたがたは求め続けてください」

 現在時称.継続を含意するので,このように訳した.なお,以下の「探す」も「叩く」も現在時称である.ところで,目的語がない.何を求め続けるべきか?飢餓に苦しむ人たちにとっては,食料.病気に苦しむ人にとっては,治癒.憂いに沈む人にとっては,元気ということになろう.励ましの言葉のつもりだろうが,言葉だけで済ましてはいけない.おにぎり一個でも,風薬でもいいから,何かよいものをあげるべきである.

7.1.2 「そうすれば与えられるでしょう←あなたがたに」

 一方において,これを信じる人たちもいる.他方において,安請け合いに過ぎない

7.2 「あなたがたは探し続けてください.そうすれば見つけるでしょう」

7.2.1 「あなたがたは探し続けてください」

 ここも目的語がない.何を探し続けるべきか?物価高に苦しむ多くの日本人にとっては,有効な経済政策であろう.探し続けなさいというけれど,そんな悠長なことを言ってはいられない.

 一方において,政治指導者たちは高級料理店で政治談義をしている.他方において,大学生は貧困のため一食抜くことを余儀なくされている.政治家たちは,今すぐ対策を打ち出さなければならない.

7.2.2 「そうすれば見つけるでしょう」

 そらぞらしく聞こえるのは,私だけだろうか?

7.3 「あなたがたは叩き続けてください.そうすれば,開かれるでしょう←あなたがたに」

 同じことの繰り返し.これで三回目.


8 πᾶς γὰρ ὁ αἰτῶν λαμβάνει καὶ ὁ ζητῶν εὑρίσκει καὶ τῷ κρούοντι ἀνοιγήσεται.

なぜなら,求め続ける人はだれでも受け取るでしょう.そして探し続ける人は見つけるでしょう.そして叩き続ける人に開かれるでしょう.

8.1 「なぜなら,求め続ける人はだれでも受け取るでしょう」

 マタイは「続ける」べきことを強調している.一般論としては,多くのことがらにおいて,継続は重要である.私のヘブライ語講座に出席していた東京の老牧師は,若い時から何百回もヘブライ語聖書の音読を継続してきた.それを間近に見た息子さんは,メソポタミア文明の言語の研究者になった.

8.2 「そして探し続ける人は見つけるでしょう」

8.3 「そして叩き続ける人に開かれるでしょう」

 かならず見つける,かならず開かれるとはかぎらない.継続そのものが褒美であると受け取るしかない.


9 ἢ τίς ἐστιν ἐξ ὑμῶν ἄνθρωπος, ὃν αἰτήσει ὁ υἱὸς αὐτοῦ ἄρτον — μὴ λίθον ἐπιδώσει αὐτῷ;

あるいはあなたがたのどの人間がいますか?←彼の息子がパンを求める(のに)── はたして(その人間は)石を彼(息子)にあげるでしょうか?

9.1 「あるいはあなたがたのどの人間がいますか?←彼の息子がパンを求める(のに)」

9.1.1 以下は譬えによる説明

 言わずもがなの感を免れない.

9.1.2 「人間」(アントローポス)

 「アントローポス」は「神」(テオス)の対義語.後述の「諸天の父」のための伏線.

父親を指す.息子の関連語.ここの父親はよい父親であるから,息子にパンをあげる.

9.2 「 はたして(その人間は)石を彼(息子)にあげるでしょうか?」

9.2.1 「石」

 悪い父親もいる.私もそうではなかったかと,反省することしきり.


10 ἢ καὶ ἰχθὺν αἰτήσει ⸃— μὴ ὄφιν ἐπιδώσει αὐτῷ;

あるいはまた魚を彼(息子)は求めるでしょう──はたして(その人間は)蛇を彼(息子)にあげるでしょうか?

10.1 「あるいはまた魚を彼(息子)は求めるでしょう」

10.2 「はたして(その人間は)蛇を彼(息子)にあげるでしょうか?」

 前節の畳み掛け.今度は,魚と蛇.遅まきながら,子どもたちには魚をあげるように努めている.


11 εἰ οὖν ὑμεῖς πονηροὶ ὄντες οἴδατε δόματα ἀγαθὰ διδόναι τοῖς τέκνοις ὑμῶν, πόσῳ μᾶλλον ὁ πατὴρ ὑμῶν ὁ ἐν τοῖς οὐρανοῖς δώσει ἀγαθὰ τοῖς αἰτοῦσιν αὐτόν.

したがって,ほかでもなくあなたがたは悪い人たちであっても,知っているならば←よい贈り物の数々をあなたがたの子どもたちに与えることを,どれほどさらに,あなたがたの父は←諸天の中にいる,与えることでしょう←よい物の数々を/彼(諸天の中の父)に求める人たちに.

11.1 「したがって,ほかでもなくあなたがたは悪い人たちであっても,知っているならば←よい贈り物の数々をあなたがたの子どもたちに与えることを」

11.1.1 「したがって」(ウーン)

 「ウーン」は論理的帰結を示す小辞.マタイが提示する結論である.

11.1.2 「ほかでもなくあなたがたは悪い人たちであっても,知っているならば←よい贈り物の数々をあなたがたの子どもたちに与えることを」

 悪い父親は息子に石や蛇をあげると行った矢先に,「よい贈り物の数々」を与える,とマタイは言う.彼はこういう不整合を気にかけない.先に「息子」といわれたが,ここでは「子どもたち」に拡張されている.マタイ教会のクリスチャンたちを暗示する.

11.2 「どれほどもっと,あなたがたの父は←諸天の中にいる,与えることでしょう←よい物の数々を/彼(諸天の中の父)に求める人たちに」

11.2.1 「どれほどさらに・・・与えることでしょう」(ポソー・マーロン)

 「ポソー」は「どれほど」,「マーロン」は「もっと」.諸天の父の愛情と気前の良さを強調する副詞的表現.

11.2.2 「あなたがたの父は←諸天の中にいる」

 「諸天」とは,神々が住まう諸天,ひいては諸天の神々を指す.諸天にはよい神々も存在すれば悪い神々も存在する.マタイ教会は,諸天の神々の中で最高最善の神を信仰していた.その神を彼らは「私たちの父」と呼ぶ.その本質と様態は不明であるが,なにしろ彼らは「私たちの父」なる神を信じていた.観音菩薩信仰と類似している.

 結論.マタイとその教会は,「「私たちの父」なる神が存在し,良きに計らってくれることを固く信じていた.

 
 
 

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