詩編を味わう第6回 「ほめたたえの歌」から「感謝の歌:報告的ほめたたえ」
日髙嘉彦
「感謝の歌:報告的ほめたたえ」とは、個人または民族が、危機から救われた出来事を神に報告し、それを感謝する歌のことです。教会用語でいうところの「証し」に近いものです。この歌の特徴は、「あなたが~された(完了形do動詞)」という文があることです。そしてヤハウェが「わたし」にしてくださった場合には「個人のほめたたえ」、ヤハウェが「わたしたち」にしてくださった場合は「民族・共同体のほめたたえ」の歌になります。
個人の感謝の歌の一例を詩30:2-4(逐語的私訳)から見ましょう。
2 わたしはあなたをあがめます
ヤハウェよ なぜなら あなたはわたしを引き上げた
そして喜ばせなかった わたしの敵を わたしのゆえに
3 ヤハウェ、わたしの神よ、わたしはあなたに呼ばわりました
そしてあなたはわたしを癒した
4 ヤハウェよ、あなたは引き上げた 陰府から わたしの魂を
あなたはわたしを生かした 穴に下る者たちから
この詩には「わたし」がでてくるので、個人の感謝の歌です。神をあがめる理由、それは「あなたがわたしを引き上げた」、「あなたはわたしの敵をわたしのゆえに喜ばせなかった」等々、二人称の完了形動詞が繰り返され、神がわたしにしてくださった事実を報告します。
以前「嘆きの歌」のところでお話しましたが、ほとんどの詩は、具体的な出来事、状況についてはよくわかりません。この詩でも「引き上げた」「喜ばせなかった」「癒した」「生かした」という動詞、あるいは「陰府」「(墓)穴」という名詞は詩的用語で、いろいろ推測はできても、最後まで具体的なことは分かりません。それは数世紀にわたって詩が口承で伝えられてきた結果、「錬磨され、個人的、個性的なものが完全に止揚されて、典型的なものになった」(C.ヴェスターマン)わけです。いずれにせよ、詩人はこれらの言葉の背後にある具体的な危機、危険からヤハウェが救って下さったという事実を神の前に報告し、そして感謝を捧げています。みるところ大成功したとか、うまくいったことで感謝しているのではなく、大きな危機に見まわれたが九死に一生を得た、大事には至らずに済んだことを感謝しています。そして、それ以上に詩人が感謝していることは、節ごとに繰り返し呼びかけられる「ヤハウェ」が、「あなた」となり孤独な詩人の同伴者としてなってくださった事実が、この感謝・ほめたたえの中心です。
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