2023年7月23日 主日礼拝
聖書講話 「マルコ福音書のイエス (第128回)〜果樹から時勢を読む男」
聖書箇所 マルコ福音書 13章28〜31節 話者 三上 章
[聖書協会共同訳]
28 「いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が出て来ると、夏の近いことが分かる。 29 それと同じように、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。 30 よく言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。 31 天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない。
[下線は改善の余地があると私には思われる部分である]
以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解である.
28 Ἀπὸ δὲ τῆς συκῆς μάθετε τὴν παραβολήν· ὅταν ἤδη ὁ κλάδος αὐτῆς ἁπαλὸς γένηται καὶ ἐκφύῃ τὰ φύλλα, γινώσκετε ὅτι ἐγγὺς τὸ θέρος ἐστίν·
そのイチジクから/あなたがたは学習してください/その譬喩を.時節にはいつでも←すでにその枝が柔らかくなり,葉(の数々)が生えてくる/,あなたがたは知ることになります/ことを←夏が近い.
28.1 「そのイチジクから/あなたがたは学習してください/その譬喩を」
28.1.1 先に,マルコのイエスは,世界の終わりについて語った.この言明に対して,彼の学友たちは,世界の終わりの兆候を尋ねた.今日の箇所は,彼らの質問に対するイエスの答えである.
28.1.2 「そのイチジク」
「その」とあるから,イエスは目の前にあるイチジクに学友たちの注意を引きつけている.古代パレスティナを含む地中海世界において,イチジクは,日本における桃や苺,リンゴやミカンのように,日常生活に密着した果物であった.
28.1.3 「あなたがたは学習してください/その譬喩を」
イエスとその学友たちは,学習を重視した.「あなたがたは学習してください」と訳した「マテテ」は,私が「学友」と訳す「マテーテース」と同族の用語.「譬喩」は「パラボレー」.ソクラテスがその哲学的問答において,理解の助けのために日常卑近な譬喩を用いたのと同様に,イエスも学友たちとの問答において,しばしば譬喩を用いた.以下がその譬喩の内容.
28.2 「時節にはいつでも←すでにその枝が柔らかくなり,葉(の数々)が生えてくる」
28.2.1 「時節にはいつでも」
「時節」と訳した「ホタン」は「〜の時はいつでも」.英語では“whenever”. 春夏秋冬の時節を何によって見分けるか?道元は花鳥風月によって見分けた.同様に,イエスと学友たちは,果樹,特にイチジクの生育状況によって見分けた.
28.2.2 「すでにその枝が柔らかくなり,葉(の数々)が生えてくる」
イチジクの果樹も,そのように観察してもらうと,イチジク冥利に尽きるであろう.イチジクの木は常緑樹ではない,緑の葉の生長は,夏の到来の兆候である.
28.3 「あなたがたは知ることになります/ことを←夏が近い」
28.3.1 「あなたがたは知ることになります」と訳した「ギノースケテ」を,現在直説法能動相2人称複数として,私は解釈する.古典ギリシャ語の現在時称は,継続,進行,繰り返しの意味合いをもつ.そのほうが,「〜の時はいつでも」との折り合いがよい.イチジクの枝が柔らかくなり,葉の数々が生えてくる時節には,あなたがたは来る年ごとに知ることになります.
28.3.2 「夏が近い」
イチジクの果実が成熟する時期が年に2回ある.前年に伸びた枝に翌年の夏,7月頃,実がなるものを夏果という.その年に伸びた枝に秋,8~10月頃,実がなるものを秋果という.ここでは前者,夏果を指すと思われる.夏は収穫の喜びの時節である.マルコ共同体にとって,世界の終わりは収穫の時節である.破滅ではなく創造,消滅ではなく生成,悲しみではなく喜び.明るい未来が彼らを待っている.幻想にすぎないかもしれないが,悲観主義よりはまし.
29 οὕτως καὶ ὑμεῖς, ὅταν ἴδητε ταῦτα γινόμενα, γινώσκετε ὅτι ἐγγύς ἐστιν ἐπὶ θύραις.
そのように,他でもなくあなたがたも/時節にはいつでも←見る/それらが生じてくるのを/,あなたがたは知ることになります/ことを←(Xが)玄関(の数々)に近い.
29.1 「そのように,他でもなくあなたがたも/時節にはいつでも←見る/それらが生じてくるのを」
29.1.1 これがマルコが言いたいこと.
29.1.2 「他でもなくあなたがたも」
マルコは,不特定多数の人たちにではなく,マルコ共同体に向かって話している.
29.1.3 「時節にはいつでも←見る/それらが生じてくるのを」
「それら」とは何か?文脈の整合性を仮定するなら,イチジクの実が成熟し,収穫されるにあたり,イチジクの木の枝が柔らかくなり,葉が生えてくる現象生じることに対応することどもでなければならない.その場合,先に24〜27節で語られた,本物のクリストスの到来に先行する,未曾有の天変地異の出来事ということになる.未曾有の天変地異の出来事は生じる.マルコ共同体はそれをはっきりと見る.目撃する.
29.2 「あなたがたは知ることになります/ということを←(Xが)玄関(の数々)に近い」
29.2.1 「あなたがたは知ることになります」
目撃の時節には,マルコ共同体は知りたかったことを知ることになる.
29.2.2 「(Xが)玄関(の数々)に近い」
Xとは何か?または誰か?クリストスであろう.「玄関(の数々)」とは,マルコ共同体の集会が開催される家の教会の玄関であろう.マルコ共同体の家の教会は,各所に複数存在した.
30 Ἀμὴν λέγω ὑμῖν ὅτι οὐ μὴ παρέλθῃ ἡ γενεὰ αὕτη μέχρις οὗ ταῦτα πάντα γένηται.
アメーン,私はあなたがたに言います/決して過ぎゆくことはできません←この時代は/それらすべてのことが生じるまでは.
30.1 「アメーン,私はあなたがたに言います」
福音書記者マルコは,イエスの口を借りて,その所信をマルコ共同体に言明した.この言明の意味を探るにあたり,考えるべきことがある.マルコはそれを現実に起こることとして語ったのか?それとも譬喩として語ったのか?
30.2 「決して過ぎゆくことはできません←この時代は/それらすべてのことが生じるまでは」
30.2.1 「決して過ぎゆくことはできません←この時代は」
「過ぎゆく」と訳した「パレルコマイ」の原義は,「〜のそばを行く」,「通り過ぎる」.時間の観点からは,「経過する」.続く「この時代」に鑑みて,「過ぎゆく」と訳した.「この時代」はいつまでも続くのではなく,やがて終わり,過去へと後退して行くと,マルコは考えた.
ところで,「この世代」(ヘー・ゲネア・アウテー)とは何か?戦乱に明け暮れる時代.その中にマルコ共同体も巻き込まれていた.戦乱に伴う飢餓.飢餓に伴う病気.病気に伴う死.それらのまっただ中でマルコ共同体は,呻吟していた.そういう状況の中で,彼らはクリストスの再来を切望していた.彼らの中には熱心で血の気の多い人たちもいた.いくら待ってもクリストスは再来しない.しびれを切らした彼らは,武力行使に訴えた.戦争はクリストス再来の兆候であると妄想し,それなら自分たちから戦争を起こそう.クリストスの再来を引き寄せようとする無思慮な発想である.
それを実行した一人がイングランドのオリバー・クロムウェルである.武力でアイルランドを併合し,スコットランドに侵攻した.しかも,イングランド国王チャールズ1世を処刑した.1649年の出来事である.クロムウェルの所業を擁護する人は,これをピューリタン革命と呼ぶ.国王を擁護する人は,これを「大反乱」と呼ぶ.歴史教科書は,これを「英国内乱」という.いずれにせよ,宗教的熱狂のなせるわざである.
30.2.2 「それらすべてのことが生じるまでは」
クロムウェルは「それらすべてのこと」を自分勝手に作り出してしまった.マルコ共同体の中の武力勢力も,大なり小なり同じようなことを行った.彼らには熱狂があったが,忍耐がなかった.
31 ὁ οὐρανὸς καὶ ἡ γῆ παρελεύσονται, οἱ δὲ λόγοι μου οὐ μὴ παρελεύσονται.
その天とその地は過ぎゆくでしょう.しかし,私の言明は決して過ぎゆくことはないでしょう.
31.1 「その天とその地は過ぎゆくでしょう」
そうはならなかったし,そうなっていない.続く言葉を強調するための比喩的表現として理解すべきであろう.
31.2 「しかし,私の言明は決して過ぎゆくことはないでしょう」
マルコのイエスは,拙速な行動に打って出ることをいましめる.いわば広く長い心で忍耐する.頑固に待つ.
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