7/19 ある知者の洞察(第49回)~神・宇宙・自己の神秘〜
- 平岡ジョイフルチャペル

- 7月20日
- 読了時間: 5分
2026年7月19日 主日礼拝
聖書講話 「ある知者の洞察(第49回)~神・宇宙・自己の神秘〜」
聖書箇所 コヘレトの言葉 7章24〜25節 話者 三上 章
[聖書協会共同訳]
[下線は改善の余地があると私には思われる部分]
コヘレトの言葉 7章 24節 存在するものは遠く/深く、さらに深い。/誰がそれを見いだせるのか。25節 心を転じて/私は知恵と道理を知り、見いだし/突き止めようとした。/そして、悪は愚行、愚かさは無知であると知った。
以下は,ヘブライ語(MT)とギリシャ語訳原文(LXX)の解明に基づく三上の私訳と講解.両者とも,各用語の解明に基づく逐語訳に努めた.MTを主とし,LXXと比較しながら講話を進める.
רָחֹ֖וק מַה־שֶּׁהָיָ֑ה וְעָמֹ֥ק ׀ עָמֹ֖ק מִ֥י יִמְצָאֶֽנּוּ׃24
遠いことか!←何であれ存在したものは.そして,深かく深いことか!誰がそれを発見するだろうか?
καὶ αὐτὴ ἐμακρύνθη ἀπʼ ἐμοῦ μακρὰν ὑπὲρ ὃ ἦν, καὶ βαθὺ βάθος, τίς εὑρήσει αὐτό;
そして,それ(知恵)は遠かった←この私から⇦遠く/⇦存在していたものを超えて.そして,深い深さ!誰がそれを発見するだろうか?
24.1 MTとLXXとの比較
LXXはMTに説明を加えたような翻訳.
24.2 「遠いことか!←何であれ存在したものは」
24.2.1 「遠いことか!」
文頭に置かれ,感嘆の気持ちを含むと思われるので,このように訳した.ものすごく遠い.手がとどかない,皆目見当がつかない,見えない,わからない,とコヘレトは言っている.
24.2.2 「何であれ存在したもの」
LXXは「それ」(知恵)と訳している.コヘレトの探求する知恵は,ありとあらゆる存在のことである.西洋哲学では存在論という.その研究対象は,神・宇宙・自己である.神の存在,宇宙の存在,自己の存在は神秘であるが,人間は,自然本来,それらを知ることを切望している.
アリストテレスが『形而上学』の冒頭で述べているとおりである.

(1) 自己
ソクラテスは,「自己(プシュケー)ができるだけすぐれたものになること」に留意しなさいと,その生涯を通じて言い続けた.そのようになるためには,何をどうしたらよいだろうか?ゴミが捨てられていたら,見過ごすか,それとも拾うか?スマホでゲームばかりを見続けるか,それとも読書をするか?

(2)宇宙
ギリシア語で「コスモス」と言い,ラテン語で「ムンドゥス」という.漢字の宇宙は,「宇」が上下四方の空間,「宙」が過去・現在・未来の時間を表し,「空間と時間を含む全世界=世界のすべて」という意味になると言われている.宇宙論研究者たちが,懸命に宇宙の解明に努めている.その結果,宇宙は複数存在することがわかってきた.これを「マルティバース」という.しかし,宇宙の始まりについても,宇宙の果てについても,解明はまだまだこれからである.
アマテラス粒子(Amaterasu particle)

(3)
西洋哲学が扱う「神」は,キリスト教の神やイスラム教の神,釈迦牟尼仏といった諸宗教の神々ではなく,それらの水準をはるかに超えた絶対者のことである.プラトンはこれを「善のイデア」と呼んだ.アリストテレスは「ヌース」(知性)または「不動の動者」と呼んだ.プロティノスは「一者」(ト・ヘン)と呼んだ.


太陽に対して,「あなたは神です」というなら,太陽は答えるでしょう.「あなたの神は小さすぎます.ペテルギウス星をご覧なさい.私の1,000倍あります.宇宙には太陽の1兆倍の星もありますよ.でも,その星だって「神」の大きさに比べたなら,無に等しいです」


太陽より大きい星の数は無数である.
24.3 「そして,深かく深いことか!誰がそれを発見するだろうか?」
ラテン語では,「深い」は「アルトゥス」.「アルトゥス」は「高い」も意味する.
「深く深い」は同じ形容詞を二つ並べることによって,最上級の「最も深い」を意味するヘブライ語の用法.「最も高い」とも読める.
天の高さは,現代科学では「宇宙までの距離」として厳密な上限はない.地表から約100kmのカーマンライン付近を「宇宙の入り口」とみなす.その上は宇宙空間であり,事実上「天の高さ」に上限はない.

コヘレトは,自己・宇宙・神について,人一倍探究したが,それらの真実を発見することができなかった.それを,LXXは,真実の知恵は存在していたものをはるかに超越し,人間の手の届かないところにあったと,意訳する.しかし,だからといって,コヘレトは探求をやめることはしない.ひたすら継続する.
סַבֹּ֨ותִֽי אֲנִ֤י וְלִבִּי֙ לָדַ֣עַת וְלָת֔וּר וּבַקֵּ֥שׁ חָכְמָ֖ה וְחֶשְׁבֹּ֑ון וְלָדַ֨עַת֙ רֶ֣שַׁע כֶּ֔סֶל וְהַסִּכְל֖וּת הוֹלֵלֹֽות׃25
経めぐった←他でもなく私と私の心は←知るために,そして探求するために.そして,(私と私の心は)求めた←知恵を,そして説明を.そして,知るために←邪悪さを・愚かさを.そして,その愚行・狂気を.
ἐκύκλωσα ἐγώ, καὶ ἡ καρδία μου τοῦ γνῶναι καὶ τοῦ κατασκέψασθαι καὶ ζητῆσαι σοφίαν καὶ ψῆφον καὶ τοῦ γνῶναι ἀσεβοῦς ἀφροσύνην καὶ σκληρίαν καὶ περιφοράν.
経めぐった←他でもなく私と私の心は←知るために,そして探求するために.そして,探すために←知恵と説明を,そして,知るために←不敬虔な人たちが/←愚かさと頑なさと狂気を.
25.1 MTとLXXとの比較
LXXは解釈を加えて訳している.そうしなければ,MTは難解すぎると考えたのであろう.
25.2 「経めぐった←他でもなく私と私の心は」
25.2.1 「経めぐった」(サボーティ/エキュクローサ)
ヘブライ語・ギリシア語ともに,「くるりと向きを変える」,「回れ右をする」,「あちらこちらと経めぐる」という意味合いがある.コヘレトは,真理を求めて,こちらの賢者のところに,あちらの賢者のところに,さらに向こうの賢者のところへと,渡り歩いたのであろう.ソクラテスの,賢者たちとの問答の人生や,ソクラテス死後の,プラトンのイタリアへの探求旅行を思い出す.私など比較にさえならないが,一応,四つの神学校と,一つの一般大学,二つの一般大学院を経めぐったが,今となっては,ずいぶん無駄足を踏んだなという感が強い.
25.2.2 「他でもなく私と私の心は」
強調である.内省の強さを示す.「私」に「私の心(レーブ)」が付加されているのは,心・精神・理性の営みに焦点を当てている.
25.3 「知るために,そして探求するために」
コヘレトはひときわ探求心の強い人であった.こういう人がユダヤ教聖書に収められていることは,ユダヤ教の栄誉である.



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