6/8 マタイ福音書のイエス (第41回)~〈主の祈り〉を吟味する
- 平岡ジョイフルチャペル
- 1 時間前
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2025年6月8日 主日礼拝
聖書講話 「マタイ福音書のイエス (第41回)
~〈主の祈り〉を吟味する〜
聖書箇所 マタイ福音書 6章9〜13節 話者 三上 章
[聖書協会共同訳]
※下線は修正の余地があると思われる部分
9 だから、こう祈りなさい。/『天におられる私たちの父よ/御名が聖とされますように。10 御国が来ますように。/御心が行われますように/天におけるように地の上にも。11 私たちに日ごとの糧を今日お与えください。12 私たちの負い目をお赦しください/私たちも自分に負い目のある人を/赦しましたように。13 私たちを試みに遭わせず/悪からお救いください。』

以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解です.
9 Οὕτως οὖν προσεύχεσθε ὑμεῖς · Πάτερ ἡμῶν ὁ ἐν τοῖς οὐρανοῖς · ἁγιασθήτω τὸ ὄνομά σου,
だからこのように祈り続けなさい←他でもなくあなたがたは.「私たちの父よ, ←諸の天の中の.聖なるものとされますように←あなたの名前が」
9.1 「ですから,このように祈り続けなさい←他でもなくあなたがたは」
9.1.1 「ですから」(ウーン)
「ウーン」は,先にイエスが学友たちに教示した,見せかけの祈りに対する警告を受けている.
9.1.2 「このように」
マタイのイエスは,学友たちに要望されないのに,祈りの模範を提示する.
9.1.3 「祈り続けなさい」
この動詞(プロセウコマイ)は現在時称.継続・繰り返し・習慣の意味を含む.
9.1.4 「他でもなくあなたがたは」(ヒューメイス)
「ヒューメイス」は人称代名詞の主格であるから,強調.マタイ教会のクリスチャンたちは,この祈りを,自分たちのための祈りの模範として受け取ったであろう.
9.2 「私たちの父よ, ←諸の天の中の」
9.2.1 「私たちの父よ」
「父よ」(パテル)という神への呼びかけは,宗教史において通常の習慣であった.古くはアッシリアやバビロニアにまで遡る.古代インドの宗教では,万物の創始者は「父なる天」(ディアウス・ピター)と呼ばれた(リグヴェーダ I, 71,5). 古代ギリシアの最高神ゼウスは「人間たちと神々の父」と呼ばれた(オデュッセイア 1, 28; イリアス 1, 544).
こういう伝統を踏まえて,マタイのイエスは,神への呼びかけについて,この最高の尊称を用いることを学友たちに教示する.この「父」は,マタイ教会のクリスチャンたちにとっては,自分たちを贔屓し,目をかけてくれる神である.
9.2.2 「諸の天の中の」
「天」は神々の住む場所.延いては神そのもの.「諸の天の中の私たちの父」は,「私たちの父」は,諸の神々の中の最高神であるという表明.
9.2.3 「私たちの」
「私たちの父よ」の「私たち」に改めて注目.マタイ教会の排他的傾向が垣間見られる.他の宗教や他の宗派の神ではなく,マタイ教会の神でなければ神ではない.
9.3 「聖なるものとされますように←あなたの名前が」
9.3.1 「聖なるものとされますように」
「聖なるものとする」(ハギアゾー)の受動相.「ハギアゾー」は「ハギオンとする」が原義.「ハギオン」は「ハギオス」という形容詞の中性名詞形.「ハギオス」は,根底に神への畏怖を宿している.古代世界では,怒る神々に対して宥めの供え物を捧げた.牛や羊の犠牲獣である.それも選りすぐりのもの.並や上ではなく,特上でなければならない.
9.3.2 「あなたの名前が」
「あなた」は,文脈上「父」を指す.「名前」は婉曲的表現.たとえば,最高に偉大な存在者に「ヤハウェ」という名前があるとしても,それを実名で呼ぶことははばかられた.では何と呼べばいいのか?「名前」(オノマ)というしかない.マタイ教会のクリスチャンたちが崇める神は,並や上の神ではなく,特上の,あるいは遙かその上の神である.ここにも彼らの排他的傾向と優越意識が垣間見られる.
10 ἐλθέτω ἡ βασιλεία σου, γενηθήτω τὸ θέλημά σου, ὡς ἐν οὐρανῷ καὶ ἐπὶ γῆς ·
来ますように←あなたの王国が.実現しますように←あなたの願いが/天におけるように地上においても.
10.1 「来ますように←あなたの王国が」
10.1.1 「来ますように」
早く来い来いお正月.早く来い来い給料日.早く来い来い夏休み.人間は到来を待望する動物である.マタイ教会のクリスチャンたちも待望した.何の到来を待望したか?
10.1.2 「あなたの王国が」
父なる神の王国の到来である.その「父」とは,マタイ教会のクリスチャンたちを贔屓し,目をかけてくれる神.こういう神が王として統治する世界とは,どのような世界であろうか?マタイ教会に所属する人たちには,あめ玉を与えるが,それ以外の人たちには与えない世界であろう.「世界中がキリスト教になれば,世界に平和が訪れます」とは,ある福音派クリスチャンの弁.能天気もほどほどにせよと言いたい.他の宗派・他の宗教・不可知論・無神論は地獄行きなのか?
10.2 「実現しますに←あなたの願いが」
人間の願いではなく神の願いが実現しますように,という意味であるなら,許容できなくもない.しかし,私の見るところでは,先行する神の「王国」の言い換えにすぎない.もしそうなら,煮ても焼いても食えない.神の願いの実現とは美しそうな言葉ではあるが,実は自分の願いを言っているだけである.そもそも,無知なる人間が全知の神の願いを,どのようにして知ることができるのか?

10.3 「天におけるように地上においても」
10.3.1 「天におけるように」
ここの「天」(ウーラノス)は単数.マタイ教会の神が住む天.古代世界では,複数の諸の天は,ドーム型をした天蓋の重層構造として想念されていた.それら諸の天の最上の位置を占める天,そこには最高の神が住み,その神によって平和と正義の世界が確立されているという神話である.
10.3.2 「地上においても」
そのマタイ型神の王国が,地上においても遅からず実現されることを,マタイ教会は待望していたように思われる.
11 τὸν ἄρτον ἡμῶν τὸν ἐπιούσιον δὸς ἡμῖν σήμερον ·
私たちのパンを←その日のための/与えてください←私たちに←今日.
11.1 「私たちのパンを←その日のための」

11.1.1 「私たちのパンを」
「パン」(アルトス)は,食事でもある.最初期のキリスト教では,教会は家の集会であった.教会主宰者の家に,おそらく毎月1回,夕方に皆が集まり,一緒に食事をした.

11.1.2 エウカリスティア
食事の中心はパンと水で希釈したブドウ酒.「エウカリスティア」(感謝)と呼ばれた「私たちの」は,その情景を連想させる.

11.1.3 「その日のための」(エピウーシオス)
集会の日にパンがなくては集会が成り立たない.パンとワインの食事は集会の付け足しではなく,中心であった.
11.2 「与えてください←私たちに←今日」
「今日」(セーメロン)という集会の日は,夕方に開催された.中でも食事の部分「エウカリスティア」(感謝)は,一番楽しい時であった.親しい会食である.おかずには魚が用いられたものと推測される.
11.2.1 フラクティオー・パーニス

12 καὶ ἄφες ἡμῖν τὰ ὀφειλήματα ἡμῶν, ὡς καὶ ἡμεῖς ἀφήκαμεν τοῖς ὀφειλέταις ἡμῶν ·
そして免除してください←私たちに←私たちの滞納を/ぶんだけ/他でもなく私たちも免除しました←私たちに滞納がある人たちに.

12.1 「そして免除してください←私たちに←私たちの滞納を」
12.1.1 「免除してください」
定動詞の「アピエーミ」は,ここでは貸借に関わる用語である.
12.1.2 「私たちに」
マタイ教会クリスチャンたちは,自分を借り方と認識しなければならない.
12.1.3 「私たちの滞納を」
「私たちの」と再度繰り返し,強調している.他でもなく自分自身の滞納.「父」に対する滞納という現状を軽く見てはならない.私たちは,「父」に対して多くのものを長期間滞納している.「父」に返済しなければならないものを,あなたは滞納してはいませんか,と福音書記者マタイは問いかける.
12.2 「ぶんだけ」(ホース)
マタイのイエスは,学友たちの目を人間同志の貸借関係の方向に転じる.「ホース」は,フェアトレード,公正取引の観点を示す.
12.3 「他でもなく私たちも免除しました←私たちに滞納がある人たちに」
ある人々が,あなたに返さなければならない債務があるとしましょう.あなたはどれくらい免除しましたか,という話である.もしあなたが100円の滞納を免除してあげたなら,ちょうどそのぶんだけ,父に債務免除を願いなさいということ.割り増しして1000円を父に要求してはいけない.あなたが他者に免除した債務など無に等しいと弁えなさいということ.
13 καὶ μὴ εἰσενέγκῃς ἡμᾶς εἰς πειρασμόν, ἀλλὰ ῥῦσαι ἡμᾶς ἀπὸ τοῦ πονηροῦ.
そして連れ込まないでください←私たちを←誘惑の中へ.そうではなく救ってください←私たちを←悪から.
13.1 12節の内容の言い換えである.
13.2 「そして連れ込まないでください←私たちを←誘惑の中へ」
13.2.1 「連れ込まないでください←私たちを」
「父」に向かって「連れ込む」(エイスペロー)という言葉を使うとは,人聞きが悪い.マタイ教会のクリスチャンたちは,「父」を信頼して,どっしり構えるべきである.
13.2.2 「誘惑の中へ」
何の「誘惑」(ペイラスモス)か?人に1円上げたことを理由に,神さまから100円をむしり取ろうとする誘惑である.そういう強欲をマタイは戒める.
13.3 「そうではなく救ってください←私たちを←悪い者から」
13.3.1 「救ってください←私たちを」
マタイ教会のクリスチャンたちは,救われる必要がある.何からの救いか?

13,3.2 「悪い者」からの救いである.ギリシア語は,「悪い」(ポネーロス)を意味する形容詞の名詞的用法である.中性名詞と解釈するなら,「悪」という意味になる.男性名詞と解釈するなら,「悪い男」,つまり「悪魔」という意味になる.「誘惑」には定冠詞が付いていないのに対して,「ポネーロス」には定冠詞が付いていることから見て,悪魔という解釈を採用したい.自分の無きに等しい善行を盾にとって,「父」への債務遂行を怠る虫のよい話.それは悪魔の手に陥ることである.悪魔の力は人間の手に負えないから,神の救出を祈り求める必要がある.
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