6/7 マタイ福音書のイエス (第80回)~勇気ある弁明〜
- 平岡ジョイフルチャペル

- 6月7日
- 読了時間: 6分
2026年6月7日 主日礼拝
聖書講話 「マタイ福音書のイエス (第80回)~勇気ある弁明〜」
聖書箇所 マタイ福音書 10章19〜21節 話者 三上 章
[聖書協会共同訳]
※下線は修正の余地があると思われる部分
19 引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。言うべきことは、その時に示される。20 というのは、語るのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる父の霊だからである。21 兄弟は兄弟を、父は子を死に渡し、子は親に反抗して死なせるだろう。
19 ὅταν δὲ παραδῶσιν ὑμᾶς, μὴ μεριμνήσητε πῶς ἢ τί λαλήσητε · δοθήσεται γὰρ ὑμῖν ἐν ἐκείνῃ τῇ ὥρᾳ τί λαλήσητε ·
時にはいつでも←彼らがあなたがたを引き渡す/,あなたがたは心配しないでください←どのように,あるいは何を語るであろうかを.なぜなら,与えられるでしょう←あなたがたに/←彼の時には/←何をあなたがたが語るであろうかを.

19.1 「時にはいつでも←彼らがあなたがたを引き渡すであろう/,」
19.1.1 「時にはいつでも」(ホタン)
イエスは12使徒に語っている.マタイ教会のクリスチャンの場合は,自分たちに語られていると受け止めたであろう.彼らの身の処し方について,イエスは語っている.イエスから派遣された人たちは,時に応じて行動を変える日和見であってはいけない.いつでも変わらず堅忍不抜でなければならない.
19.1.2 「彼らがあなたがたを引き渡す」
イエスの運動を担う人たちは,当時のユダヤ教共同体の中にあっては革新派にあたる.たとえ前例がなくても,変えるべきところは思い切って変えていく.伝統に固守するユダヤ教徒たちにとっては,彼らの法律に対する違反者である.彼らの中の秘密警察のような者たちがいて,革新派の人たちをを逮捕し,裁判に引き渡すという事案がたびたび起こった.その結果,収監はおろか,死刑にされるかもしれない.革新派の人たちにとっては,脅威であり恐怖でもあった.
19.2 「あなたがたは心配しないでください←どのように,あるいは何を語るであろうかを」
19.2.1 「あなたがたは心配しないでください」
これが,裁判で尋問されるかもしれない運動家たちに,イエスが与えた心からの忠言である.勇敢な運動家であっても,心は揺れ動く.
19.2.2 「どのように,あるいは何を語るであろうかを」
「どのように」(ポース)とは,語り口である.文章の組み立て,修辞である.どのように弁明したならば,告発者たちの心証を良くすることができるかという思案である.
「何を」(ティ)とは,弁明の内容である.「どのように」よりも大事である.内容によっては死刑になるかもしれない.それなら,妥協的内容にしたほうがよいのか.いやいや,イエスの運動家たるもの,強気の発言をするべきか,などと思案していると,夜もおちおち眠ることができない.そういった学友たちの思案や心配を充分に配慮したうえで,イエスは「あなたがたは心配しないでください」と言う.
安請け合いではない.
19.3 「なぜなら,与えられるでしょう←あなたがたに/←彼の時には/←何をあなたがたが語るであろうかを」
19.3.1 「なぜなら」(ガル)
イエスは根拠を示す.
19.3.2 「与えられるでしょう←あなたがたに」
ということは,語るべき弁明を,運動家たちは自分で準備する必要がない.それどころか,準備するべきではないと言っている.
19.3.3 「彼の時には」
自分には裁判の時が来ないであろうと悠長に構えている情況ではなかった.運動家たちには,逮捕と裁判がひっ迫していた.
19.3.4 「何をあなたがたが語るであろうかを」
語るべき弁明のことである.
20 οὐ γὰρ ὑμεῖς ἐστε οἱ λαλοῦντες ἀλλὰ τὸ πνεῦμα τοῦ πατρὸς ὑμῶν τὸ λαλοῦν ἐν ὑμῖν.
なぜなら,あなたがた自身ではありません←語るであろうあなたがたは,そうではなくあなたがたの父の息吹です/←語るであろうものは←あなたがたの内で.
20.1 「なぜなら,あなたがた自身ではありません←/←語るであろうものは←あなたがたの内で」
20.1.1 「なぜなら」(ガル)
イエスは運動家たちを励ますさらなる根拠を示す.
20.1.2 「あなたがた自身ではありません←語るであろうあなたがたは」
謎のような言葉である.腹話術の人形のようなものを言っているのではあるまい.
20.2 「そうではなくあなたがたの父の息吹です←/←語るであろうものは←あなたがたの内で」
20.2.1 「そうではなくあなたがたの父の息吹です」
なるほどと言いたいところであるが,「あなたがたの父の息吹(ト・プネウマ トゥー・パトロス ヒューモーン)とは何だろうか?「息吹」と訳した「プネウマ」は,日本語訳聖書では「霊」と訳される場合が多いが,原義は「息」「風」であるので,「息吹」とも訳した.「息吹」とは,「息が吹き出ること、そこから転じて生命の勢いや活動の気配・生気そのものを表す言葉」と,AIは答えてくれた.おりこうさんである.文脈上注目すべきは,誰の息吹かでということである.「あなががたの父の息吹」である.「あなたがたの父」とは,運動家にとっては,慈しみ深い父なる神さまである.その慈しみにあふれた,かつ力にあふれた息吹である.
20.2.2 「語るであろうものは←あなたがたの内で」
その息吹は意味不明の呼気ではなく,語るであろう何かである.「あなたがたの内で」の「内で」は,運動家の内に存在しており,それが勇気ある言葉として,運動家の口からあふれ出るということであろう.

たとえば,プラトン著作集のソクラテス.ソクラテスは主人公として語るのであるが,実は背後にはプラトンが隠れており,プラトンの息吹が作品中のソクラテスの言葉として表出する.
キリスト教における説教も,そうではないだろうか?聖書の言葉に尾ひれはひれをつけたおしゃべりは,聖書を背後に押しのけ説教者自身がしゃしゃり出るだけに過ぎない.真の説教とは,聖書をして自分自身を語らせることである.説教者は隠されなければならない.
21 παραδώσει δὲ ἀδελφὸς ἀδελφὸν εἰς θάνατον καὶ πατὴρ τέκνον, καὶ ἐπαναστήσονται τέκνα ἐπὶ γονεῖς καὶ θανατώσουσιν αὐτούς.
引き渡すでしょう←ある兄弟はある兄弟を/死へと,そしてある父はある子を(死へと).そして逆らって立ち上がるでしょう←子たちは←親たちに.そして処刑へと至らせるでしょう.
21.1 「引き渡すでしょう←ある兄弟はある兄弟を/死へと,そしてある父はある子を(死へと)」
21.1.1 「引き渡すでしょう←ある兄弟はある兄弟を/死へと」
肉親である兄弟がその兄弟を告発し,死刑へと追いやるという恐ろしい光景である.主にマタイ教会のクリスチャンたちが直面した情況を,反映していると思われる.厳格なユダヤ教と革新的なユダヤ教との対立は,家族にまで及び,そこに対立と憎しみと亀裂をもたらした.
21.1.2 「そしてある父はある子を(死へと)」
宗教上の対立は,父子の絆をもずたずたにする.
21.2 「そして逆らって立ち上がるでしょう←子たちは←親たちに」
モーセの律法は,子は親を敬うべきことをおしえているのに,クリスチャンになった親に対して,反旗を翻す厳格なユダヤ教絶対主義の子もいたのであろう.
21.3 「そして処刑へと至らせるでしょう」
宗教の正義のためという大義名分で,親を死刑に追いやるとは,まさに本末転倒である.親を尊敬し,子を愛し,兄弟姉妹同志が仲良くする,それが真の宗教というものであろう.



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