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6/22 マタイ福音書のイエス (第43回)~〈断食の意義〉を考察する〜

  • 執筆者の写真: 平岡ジョイフルチャペル
    平岡ジョイフルチャペル
  • 6月22日
  • 読了時間: 7分

2025年6月22日 主日礼拝

聖書講話     「マタイ福音書のイエス (第43回)

       ~〈断食の意義〉を考察する〜

聖書箇所    マタイ福音書 6章16-18節   話者 三上  章


      [聖書協会共同訳]  

        ※下線は修正の余地があると思われる部分

16 「断食するときには、偽善者のように暗い顔つきをしてはならない。彼らは、断食しているのが人に見えるようにと、顔を隠すしぐさをする。よく言っておく。彼らはその報いをすでに受けている。17 あなたは、断食するとき、頭に油を塗り、顔を洗いなさい。18 あなたの断食を人に見られることなく、隠れた所におられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」

 

 以下は原文の解明に基づく三上の私訳と講解です.

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16 Ὅταν δὲ νηστεύητε, μὴ γίνεσθε ὡς οἱ ὑποκριταὶ σκυθρωποί, ἀφανίζουσιν γὰρ τὰ πρόσωπα αὐτῶν ὅπως φανῶσιν τοῖς ἀνθρώποις νηστεύοντες · ἀμὴν λέγω ὑμῖν, ἀπέχουσιν τὸν μισθὸν αὐτῶν.

あなたがたが断食をする時にはいつでも,悲しい顔つきの役者たちのようになることをお止めなさい.なぜなら,彼らは隠しているからです←彼らの顔を/ために←/彼らが見せつける←人間たちに/断食している者たちとして.アメーン,私はあなたがたに言います.彼らは遠ざけています←彼らの報酬を.

16.1 「あなたがたが断食をする時にはいつでも,悲しい顔つきの役者たちのようになることをお止めなさい」

16.1.1 「あなたがたが断食をする時にはいつでも」

 まず「あなたがた」に注目.福音書記者マタイは,イエスに付託して,マタイ共同体のクリスチャンたちに語りかける.「いつでも」(ホタン)は,断食が共同体の習慣であり,掟であったことを示唆する.ユダヤ教に密着していたマタイ共同体は,ユダヤ教の三つの必須事項である祈り・布施・断食の遵守が求められていた.特に断食は立派な行為としてもてはやされていたであろうことは,想像に難くない.手前みそだが,私も少しは宗教的断食をした経験がある.

16.1.2 「悲しい顔つきの役者たちのようになることをお止めなさい」

 「お止めなさい」(メー・ギネステ)は,「メー」という否定辞と「〜になる」という意味の「ギノマイ」という動詞の現在時制.今現在「なっている」いる人たちに向かって,もうそういうことはお止めなさい,と言っている.この場合の「〜ようになる」は,役者が,たとえば「織田信長になる」の「〜になる」と同様に,普段のありのままの自分とは異なるよう人物になるということ.「悲しい顔つきの役者たちになる」とは,そういうこと.たとえ迫真の演技であろうとも,モノマネであることに変わりがない.こういう私の見解に対しては,もちろん異論もあるだろう.私の見解は,プラトン著『国家』の「ミメーシス」(モノマネ論に負うところが大きい.

16.1.3 「断食」豆知識

 1) ギリシア語の原義

 「ネースティス」.「食べていない人,空腹の人」が原義.

動詞形は「ネーステウオー」.「空腹である」「食べ物がない」という意味.「ネーステイア」という名詞も使用される.「食べていないこと」「食べ物がないこと」「飢えること」という意味.

 2) 宗教的行為断食の起源

 古代世界では宗教的理由による断食は広く行われた.宗教史の観点からは,本来,悪霊どもへの恐れに由来する.食べることによって人間を支配する力を獲得する悪霊どもに対して,人間は食べないことによって反撃した.もう一つは,神的な存在との交わりによって,恍惚的・呪術的力を得るための準備という意味があった.

 3) さまざまな断食

 死者への哀悼としての断食.祭司が聖所に入る準備としての,清めの断食.密議宗教の入会志願者の入会儀式としての断食.断食の回数に関しては,三日間飲食を断つ,十日間肉とワインを断つなど.

 4) 倫理とは無関係

 古代世界では,断食は倫理と関係がない.断食は禁欲主義とも関係がない.あくまでも宗教儀式であり,霊たちと神々との関係構築のために行われた.

 5) 旧約聖書とユダヤ教

 諸宗教の断食儀式と大同小異.たとえば,モーセを十戒を受け取る前に,40日40夜断食の儀式を行った.ダニエルも,神から幻を受け取る前に,断食の儀式を行った.やがて,断食は,神から褒美を受け取るための善行とされるに至った.

 6) イエスの断食

 イエスもモーセと同様に40日40夜断食を行った.しかし,違いがある.モーセは神からの啓示を受け取るために断食を行った.他方,イエスはすでに天から下った神の霊を受けていた.その後に,断食を行った.それは彼の人格の威厳と威力を証明する行為であった.神から何かをもらうためではない.ただし,福音書伝承によると,そういう話であったというだけで,歴史のイエスが積極的に宗教的断食を行ったことを示す証拠はない.しかし,イエスは断食をしないことを反対派から非難されていないから,当時のユダヤ教の断食の習慣に対しては,穏健な態度をとっていたであろうを思われる.イエスが断食を行う時には,元気はつらつに喜びをもってそれを行ったであろう,と私は思う.「悲しい顔つきの役者たちになること」は,イエスに似つかわしくない.


16.2 「なぜなら,彼らは隠しているからです←彼らの顔を/ために←/彼らが見せつける←人間たちに/断食している者たちとして」

16.2.1 「なぜなら,彼らは隠しているからです←彼らの顔を」

 「彼ら」とは,「悲しい顔つきの役者」クリスチャンたち.役者の仮面で隠されている彼らの真実の顔,それはしたり顔であろう.敬虔な自分に陶酔しているドヤ顔である.どうだ恐れ入ったかという他者への高ぶり.

16.2.2 「/ために←/彼らが見せつける←人間たちに/断食している者たちとして」

 「ために」(ホポース)は目的を示す.利得を得る手段としての断食.「見せかける」と訳し「パイノー」は,「明るみに出す」「現す」が原義.ここは文脈の観点から,自己顕示・自己満足・自慢・拍手喝采の要求であるから,「見せつける」.「人間たちに」見せつける.神に見てもらうのではない.もちろん,神に見てもらうための断食も,いかがわしい.


16.3 「アメーン,私はあなたがたに言います.彼らは遠ざけています←彼らの報酬を」

 人間たちから報酬を求める似非クリスチャンたちは,神からの報酬を遠ざけているとマタイは言う.そもそも,神からの報酬うんぬんの時点で,間違っている.宗教的行為は報酬を得るための手段ではない.


17 σὺ δὲ νηστεύων ἄλειψαί σου τὴν κεφαλὴν καὶ τὸ πρόσωπόν σου νίψαι,

あなたが断食をしている時は,油で塗りなさい←他でもなくあなたの頭を.そしてあなたの顔を洗いなさい.

17.1 「あなたが断食をしている時は,油で塗りなさい←他でもなくあなたの頭を」

17.1.1 「あなたが断食をしている時は」

 マタイのイエスは,宗教的断食を推奨している.

17.1.2 「油で塗りなさい←他でもなくあなたの頭を」

 ただし,マタイは細かい.頭はよい香りを放たなければならない.断食中は食事の時間がない分,暇であるから,身だしなみくらい整えてもよいであろう.

17.2 「そしてあなたの顔を洗いなさい」

 顔についても然り.


18 ὅπως μὴ φανῇς τοῖς ἀνθρώποις νηστεύων ἀλλὰ τῷ πατρί σου τῷ ἐν τῷ κρυφαίῳ · καὶ ὁ πατήρ σου ὁ βλέπων ἐν τῷ κρυφαίῳ ἀποδώσει σοι.

ために←/あなたが見せつけない←人間たちに/断食している者として.そうではなく(見せつける)←あなたの父に←隠れた場所の中の.そして,あなたの父/見ているお方は←隠れた場所の中で/あなたに支払うでしょう.


18.1 「ために←/あなたが見せつけない←人間たちに/断食している者として」

 16節の文言の繰り返し.ここでは「あなたがた」ではなく「あなた」.マタイは,外側に向かっていた目を内側に向け変える.内省を求める.私の断食のあり方はこれでいいのか?

18.2 「そうではなく(見せつける)←あなたの父に←隠れた場所の中の」

 父に見てもらうという発想は,水準が低い.父が見ていようといまいと,断食をするならする.断食をしないならしないでよい.一食抜くだけでも,死ぬような思いをする人もいるのだから.「隠れた場所」とは,人間からは見えない場所.父がまします諸天の中の最高天ということになるであろう.お天道様が見ている.


18.3 「そして,あなたの父/見ているお方は←隠れた場所の中で/あなたに支払うでしょう」


18.3.1 「あなたの父/見ているお方」

 父はあなたを見ているとマタイは言う.たとえ見ていなくても,私はやる.このほうが私にはピンとくる.

18.3.2 「あなたに支払うでしょう」

 ギリシア語の「アポディドーミ」は,そういう意味.何をどれだけ支払うのかは,明示されていない.そもそも父には支払をするいわれがないし,人間も父から支払いを受けとるいわれもない.

 
 
 

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