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  • 執筆者の写真平岡ジョイフルチャペル

6/16 第11回 『詩編』を味わう ~囲い込みと繰り返し~ 日髙嘉彦




 第11回 『詩編』を味わう ~囲い込みと繰り返し~

 日髙嘉彦

「詩編を味わう」の第11回目になります。ここ何回かは詩編を「詩」として味わう方法というテーマでお話ししています。今回は「囲い込み」、そして「繰り返し」という二つの特徴についてお話しします。

現代人にとって「読む」とは黙読することになっています。目で文字を追い、必要な情報を拾っていくことが読むと理解されています。すると136編で各節ごとにある「慈しみはとこしえに」というフレーズの繰り返しは「以下同文」となって、一気に読み飛ばされてしまいます。しかしこれでは詩編を味わうことは出来ません。ある人が「詩は聴覚メディアである」という人がいましたが、古代ヘブライ人にとって詩は声に出すものでした。ヘブライ語で「読む」(カラー)という動詞は、「声を出す」と言う意味です。音読しなければ「読んだ」とは言わないのです。一つ一つの繰り返しも声に出して読み進めるとリズム生まれ、そのリズムが人々の心を高揚させ、そして神への賛美の声が高らかに響き渡ります。ちょうどサッカーや野球の試合で、応援団が同じフレーズを繰り返し叫ぶことで、会場全体が盛り上がるのに似ています。繰り返しによって、イスラエルの歴史に始めから終わりまで変わることなく伴って下さる神の慈しみへの信頼が強まっていきます。

 

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