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6/15 マタイ福音書のイエス (第42回)~人の赦しと神の赦し〜

  • 執筆者の写真: 平岡ジョイフルチャペル
    平岡ジョイフルチャペル
  • 6月15日
  • 読了時間: 6分

2025年6月15日 主日礼拝

聖書講話     「マタイ福音書のイエス (第42回)

       ~人の赦しと神の赦し〜

聖書箇所    マタイ福音書 6章14〜15節   話者 三上  章


      [聖書協会共同訳]  

        ※下線は修正の余地があると思われる部分

14 もし,過ち赦すなら,あなたがたの天の父もあなたがたをお赦しになる

15 しかし,もしを赦さないなら,あなたがたの父もあなたがたの過ちお赦しにならない


 以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解です.


14 ἐὰν γὰρ ἀφῆτε τοῖς ἀνθρώποις τὰ παραπτώματα αὐτῶν, ἀφήσει καὶ ὑμῖν ὁ πατὴρ ὑμῶν ὁ οὐράνιος ·

なぜなら,あなたがたが赦免するならば/人間たちに/彼らの諸の誤りを,赦免するでしょう/あなたがたにも/あなたがたの父は←天の.


14.1 編集上の付加

 今日の箇所は,マタイ福音書を作った人たちが,「主の祈り」の後に付け加えた編集上の文言であると思われる.

14.2 「なぜなら,あなたがたが赦免するならば/人間たちに/彼らの諸の誤りを」

14.2.1 「あなたがたが赦免するならば/人間たちに」

 「赦免する」と訳した「アピエーミ」は,古典ギリシア語では,法律用語として多用される.法的縛りから「解放する」,「免除する」,「赦免する」など.たとえば,役職,結婚,義務,債務,処罰などの縛りから「解放する」.それゆえ「赦免する」と訳した.いずれにせよ,温情を内包する用語である.ただし,「罪の赦し」というような宗教的・神学的意味は文献上確認できない.「あなたがた」も「人間たち」も,マタイ教会のクリスチャンたちのことであろう.

両者共に人間である.欠陥だらけの人間である.「過ちは人の常,許すは神の業」(To err is human, to forgive divine). 18世紀イギリスの詩人アレキサンダー・ポープの言葉.「赦免」がなければ,人間社会は非常に住みにくいものとなる.

14.2.2 「彼らの諸の誤りを」

 「誤り」(パラプトーマ)の原義は,「そばに倒れること」,「たまたま何かに躓くこと」,「踏み外すこと」,「計算違いをすること」.そこから「誤り」という意味が派生する.

 「諸の誤り」とは何か?ユダヤ教と密着していたマタイ共同体の観点からは,ユダヤ教の根幹である「十戒」に違反する行為,それが「誤り」ということになるであろう.それは多数あるから「諸の誤り」と言われる.

14.2.3 十戒の内容

 出エジプト記 20章3〜17節に出てくる.簡略化すると,以下のようになる.

 第1戒「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」

 第2戒「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。」

 第3戒「あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。」

 第4戒「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」

 第5戒「あなたの父と母を敬え。」

 第6戒「殺してはならない。」

 第7戒「姦淫してはならない。」

 第8戒「盗んではならない。」

 第9戒「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。」

 第10戒「あなたの隣人の家を欲しがってはならない。」

 以上の掟とそれらに付随する多くの掟があり,マタイ共同体のクリスチャンたちも,それらによって規制されていた.それらの掟を破る行為が,ここでいう「誤り」(パラプトーマ)であろう.

14.2.4 「誤り」に対する処分

 だれかが「誤り」をおかした場合,その人はどうなるのか?マタイ共同体はユダヤ教と密着した教会であるから,「誤り」をおかした人は,ユダヤ教の掟に従って,厳しい処分を受けたことが想像される.一番重い処分は,共同体から除名・追放であったと推測される.とはいえ,マタイ教会は一枚岩ではない.いわば情状酌量を旨とする分子もいた.今日の聖書箇所は,そのような「赦免する」人たちの存在を推測させる.


14.3 「赦免するでしょう/あなたがたにも/あなたがたの父は←天の」

14.3.1 天の父が賜る赦免

 赦免する人たちには,天の父が赦免を賜るとマタイのイエスは言う.天の父が賜る赦免とは何か?他者を赦免するということ自体が,天の父が賜る赦免にほかならない.他者を赦免することによって,自分自身を縛っていた怒りや憎悪から解放される.代わりに平安と温情が心に湧いてくる.これこそ,天の父が賜る赦免ではないだろうか?


15 ἐὰν δὲ μὴ ἀφῆτε τοῖς ἀνθρώποις, οὐδὲ ὁ πατὴρ ὑμῶν ἀφήσει τὰ παραπτώματα ὑμῶν.

しかし,あなたがたが赦免しないならば/人間たちに,あなたがたの父も赦免しないでしょう/あなたがたの諸の誤りを.


15.1 14節を裏返しにした表現である.同じことを言っている.

15.2 「取引」(ディール)か?

 誰かが赦免するならば,父もその人を赦免すると,マタイは本気で言っているのか?もしそうだとするならば,天の父は「取引」(ディール)を好む神ということになる.私はそのような神観には賛成できない.「ディール」(DEAL)はポーカー用語としても使われる.ポーカーとは,トランプを用いるカジノの一種.その場合,「ディール」には二つの意味がある.1)「トランプのカードを配る」,2)「相手と取引をする、取り扱う」トーナメントなどで相手と合意の元で早期に終わらせること.


15.3 わが友松浦太一さんの赦免体験

 もうすでに天に召された松浦太一さんという,私の友人がおります.彼は豪傑タイプの人でした.会社役員をしていた彼は,仕事がらみである葬式に出席しました.そこには目つきの悪い人たちがたくさんいて,彼は「どこの組の者だ?」と聞かれました.彼は堂々と「キリストの組の者だ」と答えました.「そうですか...」といって,彼らは恐れ入りました.

 1945年(昭和20年),松浦さんはフィリピンで士官として兵役に服していました.多くの兵士は,負傷・病気・飢餓で苦しんでいました.敗戦を見て取った参謀や上官たちは,我先にと日本に逃げ帰りました.松浦さんは,部隊長に呼ばれ,部隊長代行の任務を命じられました.千名もの部下には,死ぬまで戦えと命じ,自分は日本に逃げ帰ろうというわけです.

 松浦さん:「あなたはひきょうだ.部下を見捨てるのですか!」

部隊長は,「上官の命令に逆らうのか」と言うなり,軍刀を抜いて斬りかかってきました.学生剣道チャンピョンの松浦さんは,簡単に軍刀をもぎ取りました.部隊長は今度は,鞘でうちかかってきましたが,これももぎ取りました.部隊長は叫びました.「であえ,であえ」.何人かの部下がかけつけました.松浦さんは,右手に軍刀,左手に鞘の格好です.部隊長は,「松浦がおれを殺そうとしている!」といいました.

 松浦さんは,即刻逮捕され,上官殺害未遂のかどで死刑宣告を受けました.ところが,おりしも8月15日が来て,松浦さんはあやうく助かりました.監獄の中で,松浦さんは,迫り来る死の恐怖と必死に戦っていました.「いかにして潔く死ぬことができるか」ということばかり考えていたそうです.

 思いがけなく命拾いした彼は,嘘をついた部隊長を憎みました.部隊長はとっくに日本に逃げていました.日本に戻った松浦さんは,「見つけたらただじゃおかないぞ」という気持ちで毎日を過ごしていました.戦後20数年経ったある日,原宿の駅で,松浦さんは偶然にも元部隊長を見かけました.相手も松浦さんに気がつきました.相手は逃げました.松浦さんは,憎悪の念に燃えて彼を追いかけました.すぐに追いつきました.「すまん.あのときはしかたがなかった」とひたすら言い訳をする男を前にして,松浦さんの復讐心は急速に消えていきました.

 その頃,彼は教会に通い,毎日聖書を読むようになっていました.彼の魂の中に変化が起こっていました.神の恵みが,松浦さんの魂の中に愛と喜びと安らぎを注ぎ,その結果罪は征服されたのでした.その後まもなく松浦さんは,イエス・キリストへの信仰を公に表明し,洗礼を受けました.

 
 
 

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