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執筆者の写真平岡ジョイフルチャペル

6/11「マルコ福音書のイエス (第124回)〜堅忍不抜の勧め」

2023年6月11日 主日礼拝

聖書講話  「マルコ福音書のイエス (第124回)〜堅忍不抜の勧め」

聖書箇所   マルコ福音書 13章11〜13節  話者 三上 章


[聖書協会共同訳]

11 連れて行かれ、引き渡されたとき、何を言おうかと心配してはならない。その時には、あなたがたに示されることを話せばよい。話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。

12 兄弟は兄弟を、父は子を死に渡し、子は親に反抗して死なせるだろう。

13 また、私の名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」

 [下線は改善の余地があると私には思われる部分である]

 以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解である.


11 καὶ ὅταν ἄγωσιν ὑμᾶς παραδιδόντες, μὴ προμεριμνᾶτε τί λαλήσητε, ἀλλʼ ὃ ἐὰν δοθῇ ὑμῖν ἐν ἐκείνῃ τῇ ὥρᾳ τοῦτο λαλεῖτε· οὐ γάρ ἐστε ὑμεῖς οἱ λαλοῦντες ἀλλὰ τὸ πνεῦμα τὸ ἅγιον.

そして彼らがあなたがたを連行していく←(裁判に)引き渡すために/時はいつでも,先に思い煩うことを止めてください/あなたがたが何を話すべきかを.そうではなく/(それが)あなたがたに与えられるならば←その時に,そのことを語ってください.なぜなら/あなたがた自身ではありません/語るであろう人たちは/そうではなく/その聖なる霊が(語るべき言葉を与えるでしょう).


11.1 「そして彼らがあなたがたを連行していく←(裁判に)引き渡すために/時はいつでも,先に思い煩うことを止めてください/あなたがたが何を話すべきかを」

11.1.1 励ましの言葉

 マルコ教会の先輩クリスチャンは,イエスに付託して,マルコ教会のクリスチャン仲間に励ましの言葉を語る.それまで伝統的なユダヤ教徒であった彼らは,クリスチャンになったために,ユダヤ教当局からの激しい取り締まりを受けていた.

11.1.2 「彼らがあなたがたを連行していく」

 ユダヤ教宗教警察が,クリスチャンを発見した時,あるいは密告情報を得た時,クリスチャンを逮捕し,連行した.ユダヤ教当局にとって,クリスチャンはクリスチャンであるという理由だけで犯罪者であった.

11.1.3 「(裁判に)引き渡すために/時はいつでも」

 宗教警察は,クリスチャンを犯罪容疑者として裁判に引き渡した.「時はいつでも」は,そういう出来事がしばしばあった,当時の状況を生々しく反映している.


11.2 「先に思い煩うことを止めてください/あなたがたが何を話すべきかを」

 強い信念をもつ人は,あれこれ画策しない.粛々と本番に臨む.


11.3 「そうではなく/(それが)あなたがたに与えられるならば←その時に,そのことを語ってください」

11.3.1 「(それが)あなたがたに与えられるならば」

 「(それが)」=「そのこと」であるが,裁判で話す言葉を意味する.被告が語る弁明の言葉である.世の常としては,泣き落としの手法が用いられる.「(それが)」=「そのこと」は,断じてその種類のものではない.その言葉は「あなたがたに与えられる」ものであると,マルコのイエスは,マルコ教会のクリスチャンに言う.「与えられるならば」(エアン ドテー)は,予想的未来という用法.与えられる蓋然性が高いことを含意する」.与えられることになるのだから,安心してくださいと確言している.

11.3.2 「その時に」

 裁判において有罪か無罪か,量刑は死刑か否かという時に.生死の分かれ目になるその時に,ということ.命乞いをする時なのか,それとも自分の信念を貫徹する時なのか.クリスチャンであることを撤回する時なのか,クリスチャンであることを言い張るときなのか.これまでの人生の道行きの真実如何が露呈する時である.

11.3.3 「そのことを語ってください」

 その言葉は,饒舌多弁ではないであろう.福音書記者マルコは,イエスが,裁判の生死を分けた答弁の中で取った行動を知っている.


11.4 「なぜなら/あなたがた自身ではありません/語るであろう人たちは/そうではなく/その聖なる霊が(語るべき言葉を与えるでしょう)」

11.4.1 「なぜなら/あなたがた自身ではありません/語るであろう人たちは」

 マルコのイエスは,もしかしたら保身に後退するかもしれないクリスチャンたちを,自己保全から引き離し,もっとも強い存在に目を向けるように励ます.


11.4.2 「そうではなく/その聖なる霊が(語るべき言葉を与えるでしょう)」

 八方塞がりの窮地において,クリスチャンは孤独ではない.「聖なる霊」が共にいる.ト・プネウマ・ト・ハギオンが共にいる.「その霊←その聖なる」が直訳.「聖なる」と訳した「ハギオン」は,本来,「神々に奉献された」という意味.そこから「聖なる」という意味が派生した.「聖なる霊」ということは,汚れた霊ではないということ.不正ではなく正義であるということ.悪ではなく前であるということ.

11.4.3 映画『白バラの祈り』のゾフィー

 ドイツ語の原題は「最後の日々」.

⑤ ミュンヘン大学の女子学生ゾフィーは,大学内でヒトラーに反対するビラをまいた.その行為が,国家に対する犯罪として告発された.

⑥ 彼女を取り調べた警察官は,自分の子どもと同じ年頃のゾフィーを憐れむ.犯罪行為を認めるなら,死刑だけは免れるようにしてやると持ちかける.しかし,頑固なまでにゾフィーは自分の不正を認めない.業を煮やした警察官は,何があなたをそこまで頑固にするのか,と質問する."Gewissen" (良心) ,それがゾフィーの答えであった.

 国家警察による取り調べを受けた後,ナチスの裁判に引き渡され,死刑の宣告を受けた.

 死刑は即日に執行された.ゾフィーと仲間の学生たちはギロチン台の露と消えた.

 彼らが体現したゲヴィッセンは,同一各地の街路名として記憶されている.


12 καὶ παραδώσει ἀδελφὸς ἀδελφὸν εἰς θάνατον καὶ πατὴρ τέκνον, καὶ ἐπαναστήσονται τέκνα ἐπὶ γονεῖς καὶ θανατώσουσιν αὐτούς·

そして引き渡すでしょう/兄弟が兄弟を/死へと,そして父は子どもを.そして対立するでしょう/子どもたちは親たちに/そして彼ら(子どもたち)は彼ら(親たち)を死刑にするでしょう.


12.1 「そして引き渡すでしょう/兄弟が兄弟を/死へと,そして父は子どもを」

 信仰のゆえの兄弟同士の不和,そして父子の不和.それにとどまらず,愛する人たちによって裁判に引き渡される.その結果,死刑にされてしまう.そういう悲惨な状況が,マルコ教会のクリスチャンたちを圧迫していたことが,推察できる.

12.2 「そして対立するでしょう/子どもたちは親たちに/そして彼ら(子どもたち)は彼ら(親たち)を死刑にするでしょう」

 当時のユダヤ教社会においては,クリスチャンになった親たちが,ユダヤ教に固執する子どもたちから,迫害を受け,死刑に至らしめられる場合もあった.


13 καὶ ἔσεσθε μισούμενοι ὑπὸ πάντων διὰ τὸ ὄνομά μου. ὁ δὲ ὑπομείνας εἰς τέλος οὗτος σωθήσεται.

そしてあなたがたは憎まれるでしょう←あらゆる人たちによって/私の名前のゆえに.しかし堅忍不抜の人←最後まで/その人は救われるでしょう.


13.1 「そしてあなたがたは憎まれるでしょう←あらゆる人たちによって」

 家族からの反対だけにとどまらない.クリスチャンたちは,ユダヤ教社会の中の「あらゆる人たちによった」害虫やペストのように憎まれた.たえず監視と密告の危険にさらされていた.

13.2 「私の名前のゆえに」

 熱心なクリスチャンであっても,人間であるからたじろぐこともある.マルコのイエスはそれを考慮して,「ファイト!」的な活力を与える.その活力とは「私の名前」.キリストのこと.本名はイエス.イエスの死後,人間イエスは,クリスチャンたちによって神格化され,キリストと呼ばれ,崇拝されるようになった.「クリスチャン」という名称は,「キリスト」から派生した用語.「キリストに属する人」「キリストの組の者」あるいは「キリストに取り憑かれた人」という意味合いをもつ.弱々しく横たわっていたクリスチャンは,キリストという名前を聞くと,元気よく起き上がった.


13.3 「しかし堅忍不抜の人←最後まで/その人は救われるでしょう」

13.3.1 「堅忍不抜の人」(ホ・ヒュポメイナス)

 「ホ・ヒュポメイナス」は,「ホ」という男性単数主格の冠詞.特定の個人であることを強調する.「他でもなくあなたは」,「あなたこそは」という呼びかけである.「ヒュポメイナス」は,「ヒュポメノー」という動詞の分詞形.「ヒュポメノー」は軍隊用語としては,「自分の持ち場にとどまる」ことを意味する.敵と対峙するとき,断固として立ち向かう.一歩たりとも後退しない.敵の攻撃を待ち構える.

ソクラテスは,戦争において堅忍不抜の勇士であった.命がけで戦友を救った.

裁判においても堅忍不抜の哲学者であった.

13.3.2 「最後まで」

 最後まで諦めない.最後まで戦う.信念を持続し,貫徹すること.

13.3.3 「その人は救われるでしょう」

 「救われる」とはどういうことか?結局,ソクラテスは死んだ.イエスも死んだ.死刑宣告を受けたクリスチャンたちも死んだ.それでも救われたと言えるのか?言える!これが福音書記者マルコの主張である.信念を貫き通したこと.哲学を貫き通したこと.それが救われるということであり,救いである.勝利であるとも言える.

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