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執筆者の写真平岡ジョイフルチャペル

5/5 マルコ福音書のイエス(第156回)~〈三人の女性学友たちと不思議な若者〉の幕〜

2024年5月05日 主日礼拝

聖書講話  「マルコ福音書のイエス(第156回)

      ~〈三人の女性学友たちと不思議な若者〉の幕〜」  

聖書箇所   マルコ福音書16章6〜8節  話者 三上 章



聖書協会共同訳

  [下線は改善の余地があると思われる部分]

6 若者は言った。「驚くことはない。十字架につけられたナザレのイエスを捜しているのだろうが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。7 さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる。』」8 彼女たちは、墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである。


 以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解である.


6 ὁ δὲ λέγει αὐταῖς· Μὴ ἐκθαμβεῖσθε· Ἰησοῦν ζητεῖτε τὸν Ναζαρηνὸν τὸν ἐσταυρωμένον· ἠγέρθη, οὐκ ἔστιν ὧδε· ἴδε ὁ τόπος ὅπου ἔθηκαν αὐτόν·

彼(若者)は彼女たち(三人の女性学友たち)に言う.「驚愕するのはお止めください.イエスを,あなた方は探しています.ナザレの人を←磔刑に処せられた.彼は起こされました.ここにいません.ほら!その場所は←彼らが彼を置いた/・・・」


6.1 伝承史的考察

 今日の箇所も史実の伝承とは言い難い.福音書記者マルコの周辺には,イエスは死んだのではなく生きているという噂が飛び交っていたとしても,おかしくはない.マルコはその噂を信じた.そしてそれを物語に仕立てることを試みた.9節以下は蛇足.写本上の付加.シナイ写本,ヴァチカン写本,アレクサンドリア写本には欠落している.

6.2 「彼(若者)は彼女たち(三人の女性学友たち)に言う」

6.2.1 「彼(若者)」

 「彼」とは墓の中にいたとされる若者である.あたかも天上において神の右に座しているイエス・キリストのようである.高い山の上で光り輝く姿に変身したイエスのようである.そのような神のごときイエス・キリストの生き写しである.

6.2.2 「彼女たち(三人の女性学友たち)」

 「彼女たち」とは,あの三人の女性学友たちである.すなわち,マグダラのマリア,ヤコブの母マリア,サロメ.イエスの女性学友たちは他にも大勢いたが,マルコは物語りの構成上,この三人だけを登場させている.

6.3 「驚愕するのはお止めください」

 驚愕している三人の女性学友を落ち着かせるために,その若者は配慮の言葉を語る.

6.4 「イエスを,あなた方は探しています.ナザレの人を←磔刑に処せられた」

6.4.1 「イエスを」

 文頭に置かれ,強調されている.若者の口を借りて,マルコは言う.イエスの遺体に執着してはいけない.

6.4.2 「あなた方は探しています」

 マルコは何を探すべきかを,一緒に考えてくださいと言っている.真に探すべきものは,他にある.

6.4.3 「ナザレの人を←磔刑に処せられた」

 それは「ナザレの人」イエスである.ナザレで生まれ育ち,ガリラヤ地方で社会的弱者たちと共に歩んだイエス.弱きを助け強きを挫いた結果,磔刑に処せられたイエス.探すべきはこのイエスである.

6.5 「彼は起こされました」

 「起こす」の受動相.「起こされる」が原義.ここではおそらく「死者たちの中から起こされる」という意味.死者対生者のような二分法的視点からイエスを見てはいけない.イエスという「人間」,イエスという「生き方」という次元に目を転じるように,マルコ聴衆を促す.

6.6 「ここにいません」

 イエスという生き方は,特定の時間と場所に固定されない.あらゆる時代のすべての場所に開かれている.思い出しましょう.大きな墓石は開かれていた!

6.7 「ほら!その場所は←彼らが彼を置いた/・・・」

6.7.1 「ほら!」(イデ)

 「イデ」は注意を喚起する間投詞.何かを見なさいというよりは,気づきを促す.

6.7.2 「その場所は←彼らが彼を置いた/・・・」

 「その場所」は主語であるが,述語がない.述語が付くほどのものでさえない.マルコ教会の時点で考えるなら,イエスの墓の場所に執着し,イエスの墓を崇拝する傾向がすでにあったのかもしれない.そういうストゥーパ(仏塔)崇拝的あり方にマルコは歯止めを掛けている.

 

7 ἀλλὰ ὑπάγετε εἴπατε τοῖς μαθηταῖς αὐτοῦ καὶ τῷ Πέτρῳ ὅτι Προάγει ὑμᾶς εἰς τὴν Γαλιλαίαν· ἐκεῖ αὐτὸν ὄψεσθε, καθὼς εἶπεν ὑμῖν.

さあ,あなたがたはお戻りなさい.言ってください←男性学友たちに←彼(イエス)の,そしてペトロに/ということを←彼(イエス)は先導します←あなた方(イエスの学友たちとペトロ)を←ガリラヤの中に.そこで彼をあなた方は見るでしょう/とおりに←彼が言った←あなた方に.

7.1 「さあ,あなたがたはお戻りなさい.言ってください←学友たちに←彼(イエス)の,そしてペトロに」

7.1.1 「さあ,あなたがたはお戻りなさい」

 「さあ」と訳した「アルラ」の原義は,「しかし」.否定である.何を否定しているかというと,墓というドグマに拘泥しているあり方を否定している.マルコは,ドグマ信仰のクリスチャンたちに,ドグマの殻を破れ出ることを勧めている.

7.1.2 「言ってください」

 女性学友たちは,若者から重要な伝言を託される.

7.1.3 「男性学友たちに←彼(イエス)の,そしてペトロに」

 男性学友たちは女性学友たちから学び知るという構図.代表格のペトロでさえ,女性学友たちから学び知る.

7.2 「ということを←彼(イエス)は先導します←あなた方(イエスの学友たちとペトロ)を←ガリラヤの中へ」

7.2.1 「ということを」(ホティ)

 以下はその伝言の内容である.

7.2.3 「彼(イエス)は先導します」

 「彼」はイエスである.「先導します」と訳した「プロアゲイ」は,「プロ」(先に)+「アゲイ(導く)」.「先に立って導く」,「先導する」という意味になる.たとえば,羊飼いが羊の群れを導くこと,王が国民を導くことに用いられる.

7.2.4 「あなたがたを」

 なるほど最初のクリスチャングループを導いたのは,イエスの学友たちやペトロであったと言えるかもしれない.しかし,本当は彼らの先頭にイエスが立って,彼らいわゆる指導者たちを導く.イエスの求心力が彼ら・彼女らを引き寄せる.



7.2.5 「ガリラヤの中へ」

 ガリラヤはイエスという人間の原点.ソクラテスがアテナイに徹して生きたように,イエスはガリラヤに徹して生きた.真に偉大な人間は,自分自身の大地をもっている.その大地にしっかりと立ち,まっすぐに生きるところから始める.

7.3 「そこで彼をあなた方は見るでしょう/とおりに←彼が言った←あなた方に」

7.3.1 「そこで彼をあなた方は見るでしょう」

 「見る」(オプセステ)は,「心の目で見る」.この文言に関して,田川建三氏は『新約聖書1』の訳注で,明快な見解を提示している.

 「とすると,この「彼に会えるだろう」は,「復活」したイエスの姿に,まさに幽霊にでも出くわすように,我々は会ったぞ,なんぞといったことではあるまい.マルコは,イエスはもはや死んでしまって,いない,ということをよく知っている.イエスは「復活」しました,などと論じてみたところで,本当のところはもはや直接イエスに会うのは不可能なのだ.だから,ガリラヤに行けばイエスに会えるだろうというのは,そこに行けば,かつてイエスが活動した思い出が,イエスの生きた姿の思い出が,イエスが語った言葉の数々が,まだ生き生きと残っている,その姿に会えるだろう,と言っているのである.そして,そのイエスの生きた姿があなた方を,このエルサレムにとどまるのではなく,そのガリラヤへと「先立ち導いて行ってくれる」のだよ,と.」

7.3.2 「とおりに←彼が言った←あなた方に」

 14章28節にイエスの言葉として,「私が(死者たちの中から)起こされた後,私はあなたがた(学友たち)をガリラヤの中へ先導する」と語られていた.


8 αὶ ἐξελθοῦσαι ἔφυγον ἀπὸ τοῦ μνημείου, εἶχεν γὰρ αὐτὰς τρόμος καὶ ἔκστασις· καὶ οὐδενὶ οὐδὲν εἶπαν, ἐφοβοῦντο γάρ.

そして彼女たちは外に出た後,逃げた←その墓から.なぜなら,捉えていた←彼女たちを←恐れと忘我が.そして誰にも何も言わなかった.なぜなら,彼女たちは恐れていた.

8.1「そして彼女たちは外に出た後,逃げた←その墓から」

8.1.1 「逃げた」

 これが,若者から伝言を託された女性学友たちの反応である.はい,承りました,とはならない.若者の言葉を聞くや否や,彼女たちは逃げ出した.

8.2 「なぜなら,捉えていた←彼女たちを←恐れと忘我が」

8.2.1 「恐れと忘我」 

 これが,彼女たちが逃げ出した理由である.「恐れ」と訳した「トロモス」は,「震え」を含む.たとえば,凍死しそうな寒さによる震えや地震の大震動に用いられる.「トロモス」は激しい恐れである.神の力の顕現に遭遇した時に,人間に引き起こされる反応である.同じことは,「乱心」と訳した「エクスタシス」についても言える.「置き場所を変えること」が原義.そこから「心の動揺」,「乱心」,「忘我」,「驚き」,「恍惚」といった意味が派生する.ここでは「忘我」が妥当である.

8.3 「そして誰にも何も言わなかった」

 女性学友たちは,その若者から託された伝言を男性学友たちに伝えなかった.

8.4 「なぜなら,彼女たちは恐れていた」

 神的現象の体験について女性学友たちは,多弁ではない.それどころではない.完全な沈黙を貫いた.そこに真の敬神を見る.

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