top of page
検索
執筆者の写真平岡ジョイフルチャペル

5/26 マタイ福音書のイエス(第2回) ~〈イエス・キリストの不可解な誕生〉の幕〜

2024年5月26日 主日礼拝

聖書講話  「マタイ福音書のイエス(第2回)

      ~〈イエス・キリストの不可解な誕生〉の幕〜」  

聖書箇所   マルコ福音書1章18〜21節  話者 三上 章



聖書協会共同訳

  [下線は改善の余地があると思われる部分]

18 イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが分かった。 19 ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表沙汰にするのを望まず、ひそかに離縁しようと決心した。20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデのヨセフ、恐れずマリアを妻に迎えなさい。マリアに宿った子は聖霊の働きによるのである。21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」


 以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解である.

[本日の聖書箇所の伝承史的考察]

 並行記事なし.マタイだけが入手した独自の伝承であるのか,それともマタイの創作であるのか.決定は難しいが,文脈・思想・語彙の基準から見て,私は前者に傾く.


18 Τοῦ δὲ Ἰησοῦ χριστοῦ ἡ γένεσις οὕτως ἦν. μνηστευθείσης τῆς μητρὸς αὐτοῦ Μαρίας τῷ Ἰωσήφ, πρὶν ἢ συνελθεῖν αὐτοὺς εὑρέθη ἐν γαστρὶ ἔχουσα ἐκ πνεύματος ἁγίου.

イエス・キリストの生成はこのようであった.婚約した後←彼(イエス・キリスト)の母マリアが←イオーセープと,彼らが一緒に入る前に,発見された←おなかの中に持っている彼女(マリア)が←聖なる風によって.


18.1 「イエス・キリストの生成はこのようであった」

18.1.1 「イエス・キリスト」

 単に歴史上のイエスではなく,死後,クリスチャンたちによって神のごとき存在に高められた「キリスト」としてのイエス.「キリスト」は世界の救済者.

18.1.2 「生成」(ゲネシス)

 「ゲネシス」の原義は「生成」.『創世記』もギリシャ語では「ゲネシス」.ここでは偉大な存在の生成という意味.福音書記者は,「イエス」ではなく「イエス・キリスト」の生成を語ろうとしている.これから語ることは,伝記でもなく歴史小説でもない.宗教伝説であることを露呈している.


18.2 「婚約した後←彼(イエス・キリスト)の母マリアが←イオーセープと」

18.2.1 「婚約した後」

 婚約した二人は,結婚式が終わるまで,交わりは許されなかった.

18.2.2 「彼(イエス・キリスト)の母マリアが」

 マリアがイオーセープの前に置かれている.イエス・キリストの母が強調されている.イエス・キリストの父とは言われない.マリア崇拝の萌芽が見てとれる.


18.3 「彼らが一緒に入る前に,発見された←おなかの中に持っている彼女(マリア)が←聖なる霊によって」

18.3.1 「彼らが一緒に入る前に,発見された」

 婚約者の二人は,婚礼後に,晴れて夫婦の部屋に入ることになる.しかし,婚礼の前に,大変な状態になっているマリアが「発見された」(ヘウレーテー).誰によって発見されたかは明記されていないが,文脈は,ヨセフによってであることを含意する.

18.3.2 「おなかの中に持っている彼女(マリア)が」

 言葉足らずの語句であるが,言わんとしていることはわかる.マリアの受胎が,どのようにしてヨセフに発見されたかを,マタイは語らない.一般論として,ヨセフが関与していないならば,他の男性ということになる.たとえば,オリゲネス著『ケルソス駁論』1.32の中で,ケルソスというギリシャ哲学の専門家が,マリアの相手は,パンテラ(Tiberius Iulius Abdes Pantera)というローマ兵士であるという言説を述べたことが,紹介されている.

18.3.3 「聖なる風によって」

 マタイはマリアの不倫を否定する.彼女の受胎は,「聖なる風」によると言う.「風」(プネウマ)の原義は,「息」「風」.通常の風ではなく「聖なる」風である,とマタイは言う.生物学的事実ではなく,宗教説話を語っている.

 受胎の超自然的方法に関して言えば,アイヌの伝承によると,はるか彼方の島メノコ・コタンの住民は全員女性で,東の風を受けて受胎するという(『国立アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブ』).

 処女受胎に関して言えば,ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』3.4によると,やがてプラトンの父となるアリストンが,やがてプラトンの母となるペリクティオネと強引にでも交わりたいという気持ちを抑えていたところ,夢にアポロンが現れた.そこで,アリストンはペリクティオネが子どもを生むまで,彼女に触れることをせず,処女のままで守ってやった,という.


19 Ἰωσὴφ δὲ ὁ ἀνὴρ αὐτῆς, δίκαιος ὢν καὶ μὴ θέλων αὐτὴν δειγματίσαι, ἐβουλήθη λάθρᾳ ἀπολῦσαι αὐτήν.

イオーセープ,彼女の男性は正しくあり,彼女をさらし者にすることを欲しなかったので,決断した←内密に彼女を離してやることを.


19.1 「イオーセープ,彼女の男性は正しくあり,彼女をさらし者にすることを欲しなかったので」

19.1.1 「彼女の男性」

 「男性」(アネール)は「夫」という意味を合わせ持つ.ヨセフはまだマリアと夫婦関係をもっていないが,やがて夫となるべき男性である.

19.1.2 「正しくあり」

 「正しい」とは,ユダヤ教の掟に照らして,正しいという意味である.ヨセフは,ユダヤ教の掟を遵守する信徒であった.マリアの受胎は姦淫の罪を犯したことになる.その量刑は,石打の刑に相当する.「さらし者にする」(デイグマッディゾー)とは,そういうことである.他方,掟の本質は慈愛である.ヨセフは,慈愛と正義の間で,さんざん迷った.考え抜いた.その結果,慈愛を優先した.


19.2 「決断した←内密に彼女を離してやることを」

19.2.1 「決断した」(ブーレウオー)

 熟考した結果の決断を示す.

19.2.2 「内密に彼女を離してやることを」

 婚約を解消すること.当時はそういう言い方をした.


20 ταῦτα δὲ αὐτοῦ ἐνθυμηθέντος ἰδοὺ ἄγγελος κυρίου κατ’ ὄναρ ἐφάνη αὐτῷ λέγων· Ἰωσὴφ υἱὸς Δαυίδ, μὴ φοβηθῇς παραλαβεῖν Μαρίαν τὴν γυναῖκά σου, τὸ γὰρ ἐν αὐτῇ γεννηθὲν ἐκ πνεύματός ἐστιν ἁγίου·

そういったことどもを彼が心にとどめた後,見よ!主の(一人の)使者が夢で彼に現れた.曰く.「イオーセープ,ダウイドの息子よ,恐れるな←マリアをあなたの女性としてもらうことを.なぜなら,彼女の中で生成したものは←聖なる風による.


20.1 「そういったことどもを彼が心にとどめた後」

 ヨセフは婚約解消を決断し,その決断を固めた.後はつらい実行あるのみ.

20.2 「見よ!主の(一人の)使者が夢で彼に現れた.曰く」

「主の(一人の)使者」も「夢で」も,先に紹介したプラトンの生成説話と似ている.こういう不思議な話をバカにしてはいけない.


20.3 「イオーセープ,ダウイドの息子よ,恐れるな←マリアをあなたの女性としてもらうことを」

20.3.1 「イオーセープ,ダウイドの息子」

 主の使者はヨセフをダビデ王の子孫であると呼ぶ.ヨセフはマリアの受胎に直接関与していないにせよ,これほど高貴な家系に連なる男性が間接関与している,とマタイは言いたい.

20.3.2 「恐れるな」

 主の使者はヨセフに,この困難な事態に勇気をもって対処しなさいと励ましている.

20.3.3 「マリアをあなたの女性としてもらうことを」

 「女性」(ギュネー)も「妻」という意味を合わせ持つ.ここでは「妻」のほうがよいかもしれない.「もらう」(パラランバノー)はそういう意味.当時の結婚観を反映している.


20.4 「なぜなら,彼女の中で生成したものは←聖なる風による」

 マタイは18節で述べたことを,ここで繰り返す.ここにマタイのこだわりがある.不可解な話であるが,マタイは本気である.


21  τέξεται δὲ υἱὸν καὶ καλέσεις τὸ ὄνομα αὐτοῦ Ἰησοῦν, αὐτὸς γὰρ σώσει τὸν λαὸν αὐτοῦ ἀπὸ τῶν ἁμαρτιῶν αὐτῶν.

彼女は生むでしょう←(一人の)息子を,そしてあなたは呼ぶことになるでしょう←彼の名をイエスースと.なぜなら,彼こそは救うでしょう←彼の民を←彼らの(諸々の)罪から.


21.1 「彼女は生むでしょう←(一人の)息子を,そしてあなたは彼の名をイエスースと呼ぶことになるでしょう」

21.1.1 「彼女は生むでしょう←(一人の)息子を」

 「息子」でなければいけない.これもマタイのこだわり.「娘」ではいけないのか?

21.1.2 「そしてあなたは呼ぶことになるでしょう←彼の名をイエスースと」

 「呼ぶことになるでしょう」は未来形.命令的予言とでも言おうか.「イエスース」は,セム系言語をギリシャ語に移したもの.セム語では「イエーシュア」(יֵשׁוּעַ‎ ).よくある名前.語源を分析すると,「イエー」はヤハウェ.「シュア」は「救ってください」という一つの推測が成り立つ.


21.2 「なぜなら,彼こそは救うでしょう←彼の民を←彼らの(諸々の)罪から」

21.2.1 「彼こそは救うでしょう」

 「彼こそは」(アウトス)は強調の代名詞.イエス・キリストの絶対性をマタイは強調する.「救うでしょう」(ソーゾー).「イエスース」の語源分析と共鳴する.語呂合わせと言うほうがよいかもしれない.「ソーゾー」は,何らかの危険から救うことを意味する.一般には,戦争,飢餓,災害,飢饉,病気,事故など,世界は危険で満ちている.しかし,マタイの「ソーゾー」はそういうことではなく,宗教的意味での危険からの救いである.

21.2.2 「彼の民を」

 「民」(ラオス)は,元来,イスラエル王国の国民を意味する.しかし,イエスの時代にはもはやイスラエル王国は存在しない.マタイは「ラオス」を自分たちクリスチャンの共同体に転用している.イエス・キリストは,マタイ共同体に所属するクリスチャンたちを救う,とマタイは言いたい.ユダヤ人選民意識が露呈している.

21.2.3 「彼らの(諸々の)罪から」

 「罪」(ハマルティア)はここでは複数形.「諸々の罪」は救いの対概念.「諸々の罪」からの救い.これがマタイの最大関心事である.ハマルティアは,本来,「誤り」という意味.「罪」という訳語でよいのか?そもそも「罪からの救い」と言う時,マタイは何を言おうとしているのか?この聖書講解が進むにつれて,明らかになることを期待したい.

閲覧数:26回0件のコメント

Kommentare


bottom of page