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  • 執筆者の写真平岡ジョイフルチャペル

4/7 マルコ福音書のイエス (第153回)~〈女性学友たちの貢献〉の幕〜

更新日:4月8日

2024年4月7日 主日礼拝

聖書講話   「マルコ福音書のイエス (第153回)~〈女性学友たちの貢献〉の幕〜」聖書箇所    マルコ福音書 15章40〜41節   話者 三上 章



    聖書協会共同訳

      [下線は改善の余地があると思われる部分]

40 また、たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。41 このたちは、イエスがガリラヤにおられたとき、その後に従い、仕えていた人々である。このほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来たたちが大勢いた。

 

 以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解である.


40 Ἦσαν δὲ καὶ γυναῖκες ἀπὸ μακρόθεν θεωροῦσαι, ἐν αἷς καὶ Μαρία ἡ Μαγδαληνὴ καὶ Μαρία ἡ Ἰακώβου τοῦ μικροῦ καὶ Ἰωσῆτος μήτηρ καὶ Σαλώμη,

いた←女性たちも←遠くから見つめていた,彼女たちの中に(いた)/マリア←マグダラの,そしてマリア←小イアコーボスとイオーセースの母の,そしてサローメーが.


40.1 伝承の歴史の考察

 ブルトマン(Rudolf Bultmann) によると,40〜41節は,マルコ福音書とは関係なく流布していた伝承である.それが,福音書記者マルコによってここ受難物語の中に取り込まれた.他方,ヴィンセント・テーラー(Vincent Taylor)によると,この箇所は,イエスの受難に関するペトロの記憶に遡る.その伝承に,マルコがローマで出会い,受難物語に付け加えた.他にも様々の推測があるが,確かなことはわからない.

40.2 「いた←女性たちも←遠くから見ていた」

40.2.1 「いた←女性たちも」

 イエスの磔刑の場面に,「女性たち」もいた.「いた」という言葉が文頭に置かれている.たしかにいたという含みがある.この後に「空の墓」の幕が出現するが,そのための伏線とも見て取れる.一般の女性たちなのか?それともイエスに関わりのある女性たちなのか?後者であるならば,イエスの学友たちということになる.

40.2.2 「遠くから見つめていた」

 「遠くから」というのは,それを余儀なくされたということか.本当は近寄りたかった.「見つめていた」と訳した「テアオマイ」は,「凝視する」「じっと見つめる」という意味合い.

40.3 「彼女たちの中に(いた)/マリア←マグダラの,そしてマリア←小イアコーボスとイオーセースの母の,そしてサローメーが」

40.3.1 「彼女たちの中に(いた)」

 この女性たちは,やはりイエスの学友たちという感じがする.

40.3.2 「マリア←マグダラの」

 マグダラは別名タリキアと言い,ガリラヤの海の漁業の中心地.ティベリアスからおよそ4km, カペルナウムからおよそ6km. マルコ福音書でマグダラのマリアが言及されるのは,この箇所が最初.

40.3.3 「マリア←小イアコーボスとイオーセースの母の」

 イエスの母マリアと見なす解釈もある.マルコ福音書6章3節にイエスの母マリアが登場する.そこではイエスの兄弟として,イアコーボスとイオーセースという兄弟が言及される.しかし,そこではイアコーボスは「イアコーボス」とは言われていない.単に「イアコーボス」である.この人はやがて後にエルサレム教会の指導者になったとされる.いわゆるイエスの兄弟イアコーボスである.この人物と区別されるために,ここでは「小」(ミクロス)という形容詞が付けらた向きがある.それに,もしマルコが,このマリアをイエスの母であると認識していたなら,そのように明記したであろう.

40.3.4 「サローメー」

 当時よくある女性名.誰であるか見当がつかない.


41 αἳ ὅτε ἦν ἐν τῇ Γαλιλαίᾳ ἠκολούθουν αὐτῷ καὶ διηκόνουν αὐτῷ, καὶ ἄλλαι πολλαὶ αἱ συναναβᾶσαι αὐτῷ εἰς Ἱεροσόλυμα.

彼女たちは,彼(イエス)がガリラヤにいた時,彼(イエス)について行き,彼(イエス)に貢献していた,そして(いた)他の多くの女性たちが←彼(イエス)と一緒に上ってきた←ヒエロソリュマに.


41.1 「彼女たちは,彼(イエス)がガリラヤにいた時,彼(イエス)について行き,彼(イエス)に貢献していた」

41.1.1 「彼女たち」

 前節の「女性たち」全員を指すのか.それとも3人の女性たちに限定されるのか?ギリシア語文法の観点からは,後者と解釈するのが妥当であろう.すなわち,二人のマリアとサローメー.

41.1.2 「彼(イエス)がガリラヤにいた時,彼(イエス)について行き,彼(イエス)に貢献していた」

 三人の女性たちは,イエスがまだガリラヤ地方で活動していた時,イエスの学友として同行していた,そしてイエスに貢献していた.ただし,マルコ福音書によると,イエスに貢献したとして明記されるのは,シモーンのしゅうとめだけ(1:31).これまでのところ女性の学友たちが,イエスに同伴し,エルサレムに上ってきたという言及はない.マルコの作り話とは思われない.3人の名前を含む伝承が流布していたのであろう.マルコは,その伝承を後で知り,それをこの箇所に組み入れた.

41.1.3 「貢献していた」

 このように訳した「ディアコネオー」の原義は,「召使い(ディアコノス)として仕える」.しかし,もっと広く「貢献する」と言う意味でも用いられる.女性学友たちのイエスへの貢献は,多岐にわたる.

(1)食事

 シモーンのしゅうとめは,イエスと学友たちのために食事を提供した.

(2)衣服

 5章にイエスの衣服が,病気の女性によって触れられた記事がある(5:27).その衣服は,浸礼者ヨハネが着用したラクダ皮のものではなく,「ヒーマティオン」であった.ちゃんとした衣服である.それは誰によってイエスにあつらえられたのか?

(3)住まい

 イエスと学友たちは,町や村を巡回し,困っている人たちを助けた.どこで夜を過ごしたのか?いつも野宿したわけではあるまい.誰かの家に泊めてもらったであろう.その場合,住まいの確保は誰によって行われたのか?そういうことがらに長けているのは,概して女性ではないだろうか?

(4)語り伝え

 柳田国男が回収した遠野地方の昔話の多くは,女性たちによって語り伝えられてきたものである.初期クエーカー運動の宣教活動の45パーセントは,女性たちによって占められていた.

 シモーンのしゅうとめは,イエスによって瞬時に病熱から治癒された.この驚くべき体験を,彼女は隠したであろうか.むしろ黙っているほうが難しかったであろう.イエスの衣服に触れた女性は,12年間慢性病に苦しんでいた.彼女もイエスによって瞬時に治癒された.この奇跡を黙っていることができたであろうか?同じ5章に臨終状態であった12歳の少女が,両親の立ち会いの下,イエスによって生き返った記事がある.両親はこの奇跡を黙っていることができたであろうか?少女は黙っていることができたたであろうか?

41.2 「そして(いた)他の多くの女性たちが←彼(イエス)と一緒に上ってきた←ヒイエロソリュマに」

41.2.1 「そして(いた)他の多くの女性たちが」

 そのようにイエスによって救われた女性たちの中の多くが,イエスに魅せられ,イエスの学友としてイエスについて行ったであろうことは,想像に難くない.二人のマリアとサローメーは,彼女たちの代表格として伝承されていった.今日の箇所の時間的設定は,過越の祭りの時節である.彼女たちがエルサレム巡礼として,イエスに同行していた.マルコは,女性の学友たちもイエスに貢献したと言いたい.女性のクリスチャンたちも,マルコ教会の宣教活動に貢献していた.

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