2024年3月31日 主日礼拝
聖書講話 「マルコ福音書のイエス (第152回)~〈英雄の死の誇大化〉の幕〜」
聖書箇所 マルコ福音書 15章38〜39節 話者 三上 章
聖書協会共同訳
[下線は改善の余地があると思われる部分]
38 すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。39 イエスに向かって立っていた百人隊長は、このように息を引き取られたのを見て、「まことに、この人は神の子だった」と言った。
以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解である.
38 καὶ τὸ καταπέτασμα τοῦ ναοῦ ἐσχίσθη εἰς δύο ἀπ’ ἄνωθεν ἕως κάτω.
そして帷が←至聖所の/裂かれた←二つに/上から下まで.
38.1 編集史的考察
おそらくマルコによる付加部分.いかにも取ってつけた様子である.
38.2 「帷が←至聖所の」
38.2.1 「帷」(カタペタスマ)
「カタペタスマ」を「帷」(とばり)と訳した.室内に垂れ下げて隔てとする布.垂れ布.その用途は,大切なものを隠すこと.人目に触れないようにする.至聖所の帷は,一枚だけとはかぎらない.
38.2.2 「至聖所」(ナオス)
「ナオス」をこの意味にとった.ヘロデ神殿の至聖所である.そこのどのあたりにどのような帷があったのかは,不明.推測であるが,ヨセフス『ユダや戦記』5.5.4 §212によると,至聖所には二枚の帷が垂れていた.一つは,その黄金製の入り口の前に垂れる織布の帷.それには諸天の全景が描かれていた.いわゆる黄道帯である.もう一つの帷については,詳細不明.
38.3 「裂かれた←二つに/上から下まで」
受動形なので,「裂かれた」と訳した.だれによって裂かれたのか?神によってか?イエスによってか?この特異な現象に意味があればの話であるが,諸説紛々である.
38.3.1 天体の大変動
この記述がマルコの脚色に属すると仮定するならば,天体が炸裂するほどの大変動とマルコは言いたい.イエスの死はそれほど大きな現象であった.イエスの死が宇宙に大変動を引き起こした.それほどにイエスの生と死は,全宇宙に衝撃をもたらした.イエスを超人に祭り上げるための誇張法.これが私の解釈である.
38.2.1 人間と神との間にある障壁の除去
この記述が贖罪論を信奉するクリスチャンたちによる創作であると仮定するならば,人間と神との間にある障壁が除去された.罪の障壁が除去された.今や人間は晴れ晴れとした心で神に近づくことができる.こういう贖罪神学を,マルコは受け入れない.
38.3.2 ユダヤ教の代わりにキリスト教
この記述が排他的キリスト教至上主義クリスチャンたちに属すると仮定するならば,古いユダヤ教は崩壊し,新しくキリスト教が始まった.ユダヤ教は,用済み.これからは,キリスト教だけの時代であると言いたい.こういう狭い考え方をマルコは受け入れない.
39 ἰδὼν δὲ ὁ κεντυρίων ὁ παρεστηκὼς ἐξ ἐναντίας αὐτοῦ ὅτι οὕτως ἐξέπνευσεν εἶπεν· Ἀληθῶς οὗτος ὁ ἄνθρωπος υἱὸς θεοῦ ἦν.
見た時←その百人隊長・立っている人が←対面して←彼(イエス)に//ことを←そのように彼(イエス)が息を吐いた,彼(百人隊長)は言った.「真実にこの人間は息子←神の/でした」
39.1 編集史的考察
おそらくこの節もおそらくマルコによる付加部分.やはり取ってつけた様子である.
39.2 「見た時←百人隊長が/立っている人←対面して←彼(イエス)の//ことを←そのように彼(イエス)が息を吐いた」
39.2.1 「見た時」
何を見たか?「ことを←そのように彼(イエス)が息を吐いた」を見た.
39.2.2 「その百人隊長」
イエスの最後の様を見たのは,「その百人隊長」(ホ・ケンテュリオーン)である.ラテン語の「ケンテュリオー」(centuriō)からの借用語.ローマの百人隊の隊長という意味.ということは,磔刑の場面に,彼に率いられた百人ほどの兵士がいたということになるのだろか?「その」と特定している.マルコ教会界隈ではよく知られていた人ということか?この場面の以前に,この百人隊長は登場していない.イエスの最後の場面に至り,降って湧いたように登場する.マルコは権威ある百人隊長の口を借りて,イエスの最後の様子を証言したい.
39.2.3 「立っている人←対面して←彼(イエス)の」
その百人隊長がイエスに対面して立っている.マルコは単に百人隊長の位置関係の事実を述べているのではなく,たぐい稀なる偉大な人に「対面して」立っているという真理を強調したいのかもしれない.彼が対面しているのは,偉大な人間である.
39.2.4 「ことを←そのように彼(イエス)が息を吐いた」
「そのように」とはどのようにか?正午から午後3時まで暗闇が全地を覆ったことか?さらには至聖所の帷が真っ二つに裂けたことか?ブルトマンと共に私は,そのように解釈する.それらの現象は,古代人であるその百人隊長に大きな衝撃を与えたであろうことは,想像に難くない.「息を引き取った」は,ギリシャ語では「息を吐いた」と言う.
39.3 「彼(百人隊長)は言った」
この衝撃を百人隊長は言葉で表明する.この言語表明は,とりもなおさずマルコの表明でもある.
39.3 「真実にこの人間は息子←神の/でした」
39.3.1 「真実に」(アレートース)
「アレートース」は,「真理」「真実」を意味する名詞「アレーテイア」の副詞.百人隊長とマルコは真理を語る.その真理は信仰の立場からの真理である.万人によって共有される真理ではなくとも,私は真理であると信じていると,マルコは言いたい.
39.3.2 「この人間」
人間は大勢いるが,特にイエスという人間にかぎって言えばということ.
39.3.3 「息子←神の/でした」
「神の息子」には定冠詞がついていない.神の息子たちの一人という意味になる.ギリシア・ローマ神話には,大勢の神の息子たちが登場する.それらの中には,神と人間の契りによって生まれた息子たちもいる.彼らは,「ヘーロース」と呼ばれる.英語の「ヒーロー」の語源である.半分が神・半分が人間という存在である.
アキレウス.ヘラクレス.プロメテウス.ヘクトル.オデュッセウス.ペルセウスなど.マルコは,イエスを名だたる英雄たちの中に数えられるべき存在である,と言いたい.イエスの死は英雄の死である.「でした」に着目.イエスは半分が人間であるから死んだ.しかし,半分が神であるから死で終わらない.生き返った.
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