2024年3月3日 主日礼拝
聖書講話 「マルコ福音書のイエス (第150回)~〈侮辱の一斉攻撃〉の幕〜」
聖書箇所 マルコ福音書 15章26〜32節 話者 三上 章
聖書協会共同訳
[下線は改善の余地があると思われる部分]
26 罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。27 また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。28 <底本に節が欠けている個所の異本による訳文> こうして、「その人は犯罪人の一人に数えられた」という聖書の言葉が実現した。29 そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、30 十字架から降りて自分を救ってみろ。」 31 同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。32: メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。
以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解である.
26 καὶ ἦν ἡ ἐπιγραφὴ τῆς αἰτίας αὐτοῦ ἐπιγεγραμμένη· Ὁ βασιλεὺς τῶν Ἰουδαίων.
そしてあった/銘刻が←罪状の←彼(イエス)の/書かれたものとして.「王←ユダヤ人たちの」
26.1 「そしてあった/銘刻が←罪状の←彼(イエス)の/書かれたものとして」
26.1.1 「そして」(カイ)は,前節の「第3時であった.そして彼ら(兵士たち)は磔刑に処した←彼(イエス)を」を受けている.「第3時」はローマ時刻.現代ではおよそ午前9時.「あった」とあるが,刑柱のどの辺にあったのか?
26.1.2 「銘刻」と訳した「エピグラペー」の原義は「刻み込むこと」.「銘刻,銘,碑銘,碑文,題銘」などの訳が考えられる.続く言葉から「銘刻」を選んだ.石や木,金属に刻んだ字という意味.ラテン語の「ティトゥルス」(titulus)からの借用語.「張り紙」,「掲示」といった意味.何語で刻まれてあるかは書かれていない.
26.1.3 「罪状の」
だれについての何の掲示であるかを示す.これを見る人たちに,悪いことをするならこういう目にあうという警告になる.
26.1.4 「書かれたものとして」
冗語.マルコの文体の特徴である.
26.2 「王←ユダヤ人たちの」
ローマの兵士たちからすれば,メシアを詐称したイエスに対する嘲笑・侮辱である.しかし,マルコとその教会のクリスチャンたちからすれば,図らずも,黙示的メシアとしてのイエスの真実を告白していることになる.
27 καὶ σὺν αὐτῷ σταυροῦσιν δύο λῃστάς, ἕνα ἐκ δεξιῶν καὶ ἕνα ἐξ εὐωνύμων αὐτοῦ.
そして彼(イエス)と共に/彼らは磔刑に処している←二人の凶悪強盗を.一人は右に,そして一人は左に.
27.1 「そして彼(イエス)と共に/彼らは磔刑に処する←二人の凶悪強盗を」
27.1.1 「彼(イエス)と共に」
兵士たちからすれば,イエスが王であるなら,お供のものがいなければならない.
27.1.2 「彼らは磔刑に処している」
「彼ら」は,物語りの流れとしては,ローマ兵士であろう.「処している」と訳したのは,歴史的現在の用法であるから.過去の出来事を生き生きと描写する.
27.1.3 「←二人の凶悪強盗を」
「凶悪強盗」と訳した「レーステース」の原義は, 「奪う者」.山賊」, 「海賊」も意味することができる.いずれにせよ極刑に相当する凶悪犯罪を犯した.神殿泥棒,公金略奪者あるいはテロリストなどが考えられるが,決定できない.
27.2 「一人は右に,そして一人は左に」
マルコ福音書 10章37節を想起させる.そこでは,イエスの学友であるヤコブとヨハネは,神の王国樹立のあかつきには,イエスの右と左に座することを願った.しかし,今やその栄誉ある座を占めているのは,二人の凶悪強盗.ヤコブとヨハネはどこに行ったのか?,とマルコは言いたい.
[28] Καὶ ἐπληρώθη ἡ γραφὴ ἡ λέγουσα· Καὶ μετὰ ἀνόμων ἐλογίσθη.
そして成就した/その巻が←と言っている.「そして無法者たちと共に彼は数えられた」
LXXイザヤ書 53章12節を指さす.後代の付加.予言の成就だと言いたい.護教である.なお,エラスムスの新約聖書ギリシャ語校訂本に基づく「受け入れられた正文」(Textus Receptus)は,この節を採用している.
29 Καὶ οἱ παραπορευόμενοι ἐβλασφήμουν αὐτὸν κινοῦντες τὰς κεφαλὰς αὐτῶν καὶ λέγοντες· Οὐὰ ὁ καταλύων τὸν ναὸν καὶ οἰκοδομῶν ἐν τρισὶν ἡμέραις,
そして通行している人たちは,冒瀆している←彼(イエス)を/動かしながら←頭を←彼らの.そして言う.「ウーワ!破壊しつつある人←その神殿を,そして建てつつある人/三日で.
29.1 「そしてその通行している人たちは,冒瀆する←彼(イエス)を」
29.1.1 マルコの脚色は続く.
29.1.2 「その通行している人たち」
現在時制.進行・継続・繰り返しを含意するので,このように訳した.磔刑に処せられた人たちは,その無様な姿を往来する人々の衆目にさらされる.「その」という定冠詞に何か意味があるのか?磔刑を見物する目的でやって来たあの連中という含みがあるのかもしれない.
29.1.3 「冒瀆している」
歴史的現在の用法.
29.1.4 「彼(イエス)を」
通行人たちはイエスだけを冒瀆する.
29.2 「動かしながら←頭を←彼らの」
29.2.1 冒瀆の仕方を示す.しかし,頭を動かすことが,どうして冒瀆行為になるのかは不明.もともと伝承にあった文言と思われる.LXX詩編 21篇8〜9節を想起させる.伝承を伝えた人たちは,メシア予言の成就を言いたかったのかもしれない.
そういう見解にマルコは賛成したか否かは,決定できない.私としては,否である.マルコとしては,イエスは冒瀆の一斉攻撃を受けたことを強調したい.
29.2.2 偉大な人物は,在世中はともすれば冒瀆を受けた.浸礼者ヨハネ然り.アテナイのソクラテス然り.アレクサンドリアの女性哲学者ヒュパティア然り.オックスフォードのジョン・ウィクリフ然り.フランス王国の軍人ジャンヌ・ダルク然り.インド独立の父ガンディー然り.
キリスト教狂信者によるアレクサンドリアの女性数学者ヒュパティアの虐殺
29.3 「ウーワ!破壊しつつある人←その神殿を,そして建てる人/三日で」
29.3.1 「ウーワ」
称賛または驚きの叫び.
29.3.2 「破壊しつつある人←その神殿を」
「破壊しつつある」は,現在時制.未来的現在の用法と解釈した.未来に起こることではあるが,起こることが確実なので,現在時称を使う.ここではもちろん嘲笑・侮蔑である.
29.3.3 「そして建てつつある人/三日で」
「建てつつある」も未来的現在の用法.「三日で」に何か意味があるのか?マルコは紀元70年におけるヘロデ神殿の崩壊を知っている.物見遊山な通行人たちの口を借りて,新しい聖なる神殿は,ものの三日もあれば建つと言ってやりたい.
30 σῶσον σεαυτὸν καταβὰς ἀπὸ τοῦ σταυροῦ.
救え←お前自身を/降りるという仕方で←その刑柱から.
30.1 「救え←お前自身を」
伝承の文言を伝えている.その通行人たちの言葉は,もっともといえばもっともである.しかし,自分を救おうと思っても救えない場合もある.
30.2 「降りるという仕方で←その刑柱から」
「降りるという仕方で」は,アオリスト分詞の方法・仕方の用法と解釈して,そのように訳した.マルコによる脚色.蛇足の匂いがする.
31 ὁμοίως καὶ οἱ ἀρχιερεῖς ἐμπαίζοντες πρὸς ἀλλήλους μετὰ τῶν γραμματέων ἔλεγον· Ἄλλους ἔσωσεν, ἑαυτὸν οὐ δύναται σῶσαι·
同じく祭司長たちも嘲笑しつつ←寄ってたかって/その書記たちと一緒に,言った.「他の人たちを彼は救った.自分自身は/彼はできない←救うことが.
31.1 「同じく祭司長たちも嘲笑しつつ←寄ってたかって/書記たちと一緒に,言った」
31.1.1 ここもマルコの脚色.
31.1.2 「同じく祭司長たちも嘲笑しつつ←寄ってたかって」
マルコは,祭司長たちも寄ってたかってイエスを侮蔑するために,のこのこと刑場に出てきたと描いている.神殿を留守にしていいのか?「寄ってたかって」と訳した「プロス・アッレース」の逐語訳は,「互いに対して」.これではわかりにくいので,「寄ってたかって」と訳した.
31.1.3 「その書記たちと一緒に,言った」
「その」は特定化.神殿付きの書記たちまでもが,侮辱の幕に駆り出される.粗雑な演出ではあるが,マルコの気持ちは分からないではない.よくもイエスをひどい目に会わせたな!と言いたい.
31.2 「他の人たちを彼(イエス)は救った.自分自身は/彼はできない←救うことが.
この部分も,伝承へのマルコの付加.そもそもイエスの磔刑に責任を負わなければならないのは,ユダヤ教神殿支配体制であると演出したい.マルコ教会の時代に置き換えて考えるならば,マルコ教会のクリスチャンたちを迫害していた,排他的ユダヤ教至上主義者たちに対するマルコによる非難を,読み取ることができる.
32 ὁ χριστὸς ὁ βασιλεὺς Ἰσραὴλ καταβάτω νῦν ἀπὸ τοῦ σταυροῦ, ἵνα ἴδωμεν καὶ πιστεύσωμεν. καὶ οἱ συνεσταυρωμένοι σὺν αὐτῷ ὠνείδιζον αὐτόν.
クリストス・王←イスラエルの,(は)/降りよ←今←その刑柱から/ために←私たちが見る,そして信じる.そして共に磔刑に処せられている人たちは←彼(イエス)と共に/面責した←彼(イエス)を.
32.1 「クリストス・王←イスラエルの/(は)降りよ←今←その刑柱から」
32.1.1 「クリストス・王←イスラエルの」
「クリストス」に「王←イスラエルの」という説明がついている.イエスの時代に即して見るならば,イスラエルの王などは存在しなかった.マルコ劇では,ヘロデ神殿支配体制は,メシアを詐称した極悪人としてイエスを磔刑に追いやったと,マルコは言いたい.
32.1.2 「(は)降りよ←今←その刑柱から」
「(は)降りよ」は,三人称の命令法.黙示的メシアに重ね合わされたイエスが強調されている.黙示的メシアは,その刑柱から降りてくることができるべきである,と言っている.しかも「今」である.いつかではない.
32.2 「ために←私たちが見る,そして信じる」
32.2.1 「ために」(ヒナ)
「ヒナ」は目的を示すが,同時に結果も示す.その場合「そうすれば」と訳す.
32.2.1 「私たちが見る,そして信じる」
目的語がないが,イエスが刑柱から降りるのを見る,そしてイエスがメシアであることを信じてやろう,という不遜な発言.メシアに対してこういう発言をしてはならない.それは下劣な人がやることである.
32.3 「そして共に磔刑に処せられている人たちは←彼(イエス)と共に」
32.3.1 「共に磔刑に処せられている人たちは←彼(イエス)と共に」
「共に」が二回用いられる.マルコらしい冗語.
32.4 「/面責した←彼(イエス)を」
「面責した」と訳した「オネイディゾー」の原義は,「面と向かって非難する」.したがって「面責した」と訳した.性懲りもなく,しかもあろうことか,メシアに向かって面責するとは何事か!極悪強盗どもよ,下がれ・控えよ,とマルコは言いたい.
これまでイエスに対して行われてきた侮辱の一斉攻撃は,二人の凶悪強盗による侮辱によって頂点に達する.
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