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2/9 ダニエル書を読む (第2回)〜二つの世界に生きる〜

執筆者の写真: 平岡ジョイフルチャペル平岡ジョイフルチャペル

更新日:2月10日



講話題目 ダニエル書を読む (第2回)〜二つの世界に生きる〜

聖書箇所 ダニエル書 1章3-7節

話者 日高 嘉彦 北星学園大学チャプレン・教授

 ダニエル書(1-6章)は、バビロン捕囚の時代において、異国の宮廷で仕えながらも信仰を貫いたダニエルを描く。彼は第一回捕囚(1:1-6)でバビロンに連行され、王宮に仕えることを命じられた。

 バビロンはユダ王国を崩壊させ、エルサレム神殿を破壊した敵国であった(1:2)。そのような国の王に誠意を持って仕えたダニエルの姿勢は、後代のユダヤの解釈者たちの間で批判的な意見を生むこともあった。例えば、ダニエルがバビロンの繁栄を願ったこと(4:24)が神の裁きを招いたという見解もある。バビロニア・タルムードでは、彼が後に失脚し、エステル記に登場する宦官ハタクと同一視される説があり、ライオンの穴に投げ込まれたことも神の罰の一環であるとする解釈がある(ババ・バトラ 4a)。確かにダニエルは、バビロン王ネブカドネツァルの夢を解き明かして重用されたが(2:19-23)、王の命令に盲従することはなく、異邦の宮廷にあっても神への信仰を貫き(6:10-11)、王の掟に違反したためライオンの穴に投げ込まれる(6:16-23)。

 ダニエルは同じく捕囚となったハナンヤ、ミシャエル、アザルヤとともに、ユダヤの名前に代えて新たな名前を与えられたが(1:7)、それは彼らのアイデンティティを変えようとする意図の表れであった。それにもかかわらず、彼らは信仰を捨てることなく、バビロンの宮廷で誠実に生きた。この姿勢は二つの世界のどちらかに偏るのではなく、そのどちらにも誠実に向き合うという困難な課題に直面しながらも、信仰を貫く生き方を示している。

 この「二つの世界で生きる」という視点は、ダニエル書の言語的な構成からも明らかである。ダニエル書はヘブライ語とアラム語の二言語で書かれており、1章と8章以降はヘブライ語、2章(4節後半)から7章はアラム語で記されている。そこには異邦世界と神の民に対する啓示の二重の視点が反映されており、アラム語部分では異邦の王たちに神の支配を知らせる物語が描かれ(2:4b-7:28)、ヘブライ語部分ではダニエルは神の民への希望を受け取る(8:1-12:13)。この構成は、ダニエル自身が「二つの世界に生きる」ことを余儀なくされながらも、その中で信仰を貫き、世界の支配者であり歴史の導き手である神を証しする生き方を示している。そして異教社会においても信念を貫き、揺るぐことなく生きる姿こそが、神の民としての使命であることをダニエル書は力強く語っている。

 
 
 

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