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2/18 第九回 『詩編』を味わう ~並行法~

執筆者の写真: 平岡ジョイフルチャペル平岡ジョイフルチャペル

第九回 『詩編』を味わう ~並行法~ 話者 日髙嘉彦



 今回から詩編を「詩・韻文」として読もうということをお話しします。 「韻文」とは「言語・文字の配列や音数に一定の規律あるもの」(広辞苑)のことで、詩を理解する上で規律や約束事を理解しないと詩を十分に味わったことにはなりません。 ヘブライの詩の規律・約束事は何かというと「並行法」(Parallelism)

が有名です。

 この用語を最初に使ったのは18世紀の英国人ロバート・ロース(1710-87 年)で「『ヘブライの宗教詩について』において「「行の後半部分は、前半部と何らかの形で呼応している」と言う特徴があると考えました。

 今日は並行法の中から「同義的並行法」と「対立的並行法」を紹介します。

「同義的並行法」とは「同じ思想が異なる言葉で再現されている」と定義されます。詩15:1(私訳)の例を挙げると、前半の「ヤハウェよ/誰が/留まり/あなたの天幕に」は、二行目の「誰が/住む/あなたの聖なる山に」と同義的に呼応しています。「(短期に)留まり」と「(長期に)住む」、「(荒野時代の)あなたの天幕」と「(シオンの)あなたの聖なる山」の間にはずれがあります。この「ずれ」を意識することによって、詩人が伝えようとする意味の広がり、思想の奥行きが増します。これこそが詩でしか表すことのできない「情感、味わい」と言えます。

 「対立的並行法」とは「「前半句と後半句が対立する意味を伝えながら、全体の思想として一つのまとまった意味を持つ」と説明されます。詩編 1:6(私訳)を例にとると、前半の「なぜなら/知っている/ヤハウェは/正しい者たちの道を」と後半の「悪い者たちの道は/自滅」が対立的にならんでいます。「正しい者たちの道(生き方、人生)」と「悪い者たちの道」の意味が対立していることは直ぐに分かります。しかし一行目の主語の「ヤハウェ」と二行目の主語「悪しき者の道」がどのような対立関係にあるのでしょうか。ここにはヤハウェをその人生の導き手「(主)とする人(3 節では「流れのほとりに植えられた木」にたとえられる)と、ヤハウェを受け入れず自分の道を歩む人(4 節「籾殻」に例えられる)が対立的に描かれています。このように全体として一つの思想を語っています。

 
 
 

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