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執筆者の写真平岡ジョイフルチャペル

11/26 マルコ福音書のイエス (第140回)~〈受難物語のイスカリオテのユダ像〉を吟味する〜

2023年11月26日 主日礼拝

聖書講話  「マルコ福音書のイエス (第140回)

~〈受難物語のイスカリオテのユダ像〉を吟味する〜」

聖書箇所   マルコ福音書 14章43〜46節   話者 


聖書協会共同訳

  [下線は改善の余地があると私には思われる部分]

43 そしてすぐ、イエスがまだ話しておられるうちに、十二人の一人であるユダが現れた。祭司長、律法学者、長老たちの遣わした群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。44 イエスを裏切ろうとしていたユダは、「私が接吻するのが、その人だ。捕まえて、逃がさないように連れて行け」と、前もって合図を決めていた。45 ユダは、やって来るとすぐにイエスに近寄り、「先生」と言って接吻した。46 人々は、イエスに手をかけて捕らえた


 以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解である.


43 Καὶ εὐθὺς ἔτι αὐτοῦ λαλοῦντος παραγίνεται Ἰούδας εἷς τῶν δώδεκα καὶ μετ’ αὐτοῦ ὄχλος μετὰ μαχαιρῶν καὶ ξύλων παρὰ τῶν ἀρχιερέων καὶ τῶν γραμματέων καὶ τῶν πρεσβυτέρων.

そして,すぐに,まだ彼(イエス)が話している時に/そばに来る←ユーダスが/12人の一人,そして彼と共に集団が←剣と棍棒をもつ/側から←祭司長たちと書記たちと長老たちの.


43.1 伝承と編集

 今日の箇所も,伝承と編集の複雑な組み合わせである.福音書記者マルコ以前の受難物語に,マルコは付加・削除・変更による編集の手を加えている.


43.2 「そして,すぐに,まだ彼(イエス)が話している時に」

43.2.1 「すぐに」(エウテュス)

 マルコの口癖.「すぐに」でなくとも「すぐに」という.「さて」くらいの意味.マルコは,ギリシャ語の小辞(particles)の用法を知らない.

43.2.2  「彼(イエス)がまだ話している時に」

 42節を受けている.イエスが三人の学友,すなわちペトロ,ヤコブ,ヨハネに,「あなたがたは起きてください.私たちは行きましょう」と話している時に,ということ.

43.3 「そばに来る←ユーダスが/12人の一人」

43.3.1 「そばに来る」という動詞が主語の前に置かれる.強調である.臨場感を際立たせる.

43.3.2 「ユーダスが/12人の一人」

 「ユーダス」はギリシャ語の発音.日本語では「ユダ」として定着している.ここはイスカリオテのユダを指す.

43.3.3 「12人の一人」

 こともあろうに12人の一人という意味合い.ユダと12人集団が対比されている.おそらく12人集団から見て,ユダは異色.


43.4 「そして彼と共に集団が←剣と棍棒をもつ

 「集団」は「オクロス」.「群衆」とも訳すことができる.ここでは武器を持つ集団.続く文言から見て,おそらくユダヤ教支配体制下にある神殿警察.


43.5 「側から←祭司長たちと書記たちと長老たちの」

43.5.1 「側から」

 武装集団の派遣元を示す前置詞.

43.5.2 「祭司長たちと書記たちと長老たち」

 彼らは現場にはいない.マルコ以前の伝承ではおそらく「祭司長たち」だけであったのが,マルコによって「書記たちと長老たち」が付加された.


44 δεδώκει δὲ ὁ παραδιδοὺς αὐτὸν σύσσημον αὐτοῖς λέγων· Ὃν ἂν φιλήσω αὐτός ἐστιν· κρατήσατε αὐτὸν καὶ ἀπάγετε ἀσφαλῶς.

(彼は)与えてある/その手渡しつつある人は←彼(イエス)を/合図を.いわく.「私が愛の印を示す(=口付をする)なら,まさしくその人が当人です.あなたがたは彼を逮捕してください.そしてしっかりと連行してください」


44.1 「(彼は)与えてあった/その手渡しつつある人は←彼(イエス)を/合図を.いわく」

44.1.1 「(彼は)与えてある」

 現在完了直接法能動相3人称単数.主語はユダ.現在完了は,「与えた」と,「与えた結果が現在ある」ことを含意する.それゆえ「与えてある」と訳した.ユダの周到さを示唆する.一時の思いつきではなく,熟慮の結果である.

44.1.2 「その手渡しつつある人は←彼(イエス)を」

 「手渡す」と訳した「パラディドーミ」の原義は,そういう意味.それ自体に「裏切る」という意味合いはない.もし陰謀によるならば,「裏切る」という意味になる.しかし,ユダの行為が陰謀であったかは不明である.

44..1.3 「合図を」

 「(彼=ユダ)は与えてある」の目的語.

 真夜中なので顔の識別は困難.確実な合図が必要.その合図をユダは予めイエスを狙う人たちに与えてある.それが何であるかは,続く文言が示す.


44.2 「私がその人に愛の印を示す(=口付をする)なら,まさしくその人が当人です」

44.2.1 「私がその人に愛の印を示す(=口付をする)」

 「愛の印を示す」と訳した「ピレオー」の原義は,そういう意味.口付に限らない.LSJギリシャ語辞典によると,特に「口付をする」ことに用いられる.45節の「口付をする」(カタピレオー)に照らすなら,この箇所もその意味が妥当である.伝承の段階では,単に「(何らかの)愛の印を示す」であった可能性がある.

 『新約聖書神学辞典』によると,イエスの当時,愛情表現としての口付は,家族間で行われた.家族以外では,口付は名誉の印であった.目上の人への口付は名誉と尊敬の印であり,目下の人にとって口付を許されることは名誉であった.口付は,通常手になされた.あるいは胸,ひざ,足にさえなされた.会う時と分かれる時の挨拶としてなされた.親密な集団に加入する場合,口付は入会儀礼として行われた.


44.3 「あなたがたは彼を逮捕してください.そしてしっかりと連行してください」

44.3.1 「あなたがた」

 祭司長たち・書記たち・長老たちから構成されるユダヤ教宗教支配体制をさす.サンヘドリン,最高法院と呼ばれたりもする.ユダは彼らと予め密約した.


44.3.2 「逮捕・・・しっかりと連行」

 ユダは彼らにイエスの確実な逮捕と連行を要請する.絶対に取り逃がしてはいけない.この要請の目的は不明.理由・動機についてはもっと不明.軽率な憶測を表明してはならない.


45 καὶ ἐλθὼν εὐθὺς προσελθὼν αὐτῷ λέγει· Ῥαββί, καὶ κατεφίλησεν αὐτόν.

そして彼(ユダ)は,すぐに,来た後,(そして)イエスの方へ来た後,(イエスに)言う.〈ラッビ〉.そして彼に口付した.

45.1 「彼(ユダ)は,すぐに,来た後,(そして)イエスの方へ来た後,(イエスに)言う」

 マルコのぎこちないギリシャ語がわかるように訳した.「すぐに」は例のマルコの口癖.「「来た後」という分詞の後に,「そして」(カイ)という接続詞があってもよさそうであるが,ない.直接に「イエスの方へ来た後」と続く.マルコの編集の手が相当加えられている.

 

45.2 「〈ラッビ〉.そして彼に口付した」

45.2.1 「ラッビ」

 「私の大いなる方」を意味するヘブライ語またはアラム語.尊称である.日本語では「先生」というところか.日本では猫も杓子も牧師も「先生」と乱発されているが,古代のユダヤ教社会では,一般に,尊敬に値する中味を持っている人が「ラッビ」と呼ばれた.

45.2.2 「口付した」

 こちらは「カタピレイン」.「口付する」である.見せかけなのか本気なのかは不明.とにかく,イエスはそれを受け入れたようである.


46 οἱ δὲ ἐπέβαλαν τὰς χεῖρας αὐτῷ καὶ ἐκράτησαν αὐτόν.

彼らは彼(イエス)の上に手を置いた.そして彼を捕縛した.


46.1 「彼らは彼(イエス)の上に手を置いた」

46.1.1 「彼ら」とは神殿警察.

46.1.2 「彼(イエス)の上に手を置いた」とは,力づくで組み伏せた.

46.1.3 「捕縛した」

 ギリシャ語では「クラタオー」.原義は,「強い」「支配する」「逮捕する」.イエスを組み伏せた上で,捕縛した.逮捕完了である.


46.2 受難物語のイスカリオテのユダ像

 伝承に対する福音書記者マルコの扱いに関する限り,悪者・裏切り者ユダ像を証明する要素はまったくない.

46.2.1 ユダ像の変容

 それなのにマルコ福音書を参考にして作成されたマタイ福音書やルカ福音書では,ユダは悪者に変貌されている.ヨハネ福音書に至っては,ユダは悪魔呼ばわりされている.どうしてそうなったのか?教会史の観点から考えるならば,初期キリスト教会にはユダを悪者にしなければならない何らかの事情があったのか,という問題設定となる.

 結論を先に言えば,あくまでも私の仮説ではであるが,12人によって象徴されるキリスト教多数派とユダによって象徴される異なった考えをもつキリスト教少数派のしがらみがあった.やがて少数派が力をつけてくるにあたり,多数派が分裂の危機にさらされた.もしかしたら,分裂したかもしれない.その結果,妬みと憎悪に駆られた多数派は少数派を悪魔呼ばわりし,自分たちのキリスト教共同体から追放することにやっきとなった.そういう事情が,マルコ福音書以後に作成された三福音書における悪者ユダ像に反映されている.


46.2.3 デーヴァダッタ(Devadatta)〜仏教版イスカリオテのユダ

 私の仮説に類似した話が,原始仏教にもある.デーヴァダッタは,ゴータマ・ブッダと同時代の仏教の異端者.いわば仏教版イスカリオテのユダ.伝説によると,ブッダの従兄弟または義兄弟といわれ,出家してブッダの弟子となった.しかし,のちブッダに反逆し、仏教教団の分裂を図った.マガダ国のアジャータシャトル(阿闍世)王子を唆し、父王を殺させて王位につかせ,自らはブッダを殺害しようとしたが失敗し,やがて悶死したという.

 実際は悪者ではなかった可能性がある.厳格な生活法を主張したらしく,デーヴァダッタの教えに従う信徒が後代にも存続したと伝えられる。

 彼は「五事の戒律」を提唱したと伝説される.

 1)人里離れた森林に住すべきであり,村里に入れば罪となす.

 2)乞食(托鉢)をする場合に,家人から招待されて家に入れば罪となす.

 3)ボロボロの糞掃衣を着るべきであり,俗人の着物を着れば罪となす.

 4)樹下に座して瞑想すべきであり,屋内に入れば罪となす.

 5)魚肉,乳食品,塩を食さず.もし食したら罪となす.

 特に変ではない.むしろ清貧への改革の提唱である.多数派に異を唱えると追放される.



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