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  • 執筆者の写真平岡ジョイフルチャペル

10/1 マルコ福音書のイエス (第135回)〜〈悪者イスカリオテのユダ〉伝説の起源

2023年10月1日 主日礼拝

聖書講話  「マルコ福音書のイエス (第135回)

      〜〈悪者イスカリオテのユダ〉伝説の起源」

聖書箇所   マルコ福音書 14章17〜21節  話者 三上 章


聖書協会共同訳

 [下線は改善の余地があると私には思われる部分である]

17 夕方になると、イエスは十二人と一緒にそこへ行かれた。18 一同が席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。「よく言っておく。あなたがたのうちの一人で、私と一緒に食事をしている者が、私を裏切ろうとしている。」 19 弟子たちは心を痛めて、「まさか私のことでは」と代わる代わる言い始めた。20 イエスは言われた。「十二人のうちの一人で、私と一緒に鉢に食べ物を浸している者だ。21 人の子は、聖書に書いてあるとおりに去って行く。だが、人の子を裏切る者に災いあれ。生まれなかったほうが、その者のためによかった。」



 以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解である.

17 Καὶ ὀψίας γενομένης ἔρχεται μετὰ τῶν δώδεκα.

そして日没になった後,彼(イエス)は来る/12人と共に.


17.1 伝承の不整合

 今日の箇所17-21節は,前回学習した12-16節とうまく噛み合わない.12-16節は過越の食事会.17-21節にはその兆候がない.前者では食事会の出席者は大勢.後者では12人だけ.両者は異なる伝承に由来すると推定される.福音書記者マルコは,考えるところがあって,二つの異なる伝承を使用し,それらを自分の意図に従って編集している.

17.1.1 「日没になった後」

 今回の伝承によると,日没後,すなわち新しい日が始まった.どの日であるかは明記されていないが,文脈によるならば,過越の食事の日.


17.1.2 「彼(イエス)は来る/12人と共に」

 「彼(イエス)は来る」とは,滞在していた場所からエルサレムに来る.「来る」に注目.エルサレム中心の観点である,エルサレムの宗教貴族たちは,獲物を狙う猛獣のように,イエスの到来を待ちかまえている.

 食事会の出席者は,イエスと12人に限定される.この排他的特徴は,伝承史の観点からは,この伝承が後代のものであることを示唆する.伝承は後代になるほど,尾ひれはひれが付く傾向がある.在世中のイエスは,学友たちに序列をつけなかった.自分も学友の一人として,すべての学友と分け隔てなく交際した.そういうイエスにマルコは魅せられた.


18 καὶ ἀνακειμένων αὐτῶν καὶ ἐσθιόντων ὁ Ἰησοῦς εἶπεν· ἀμὴν λέγω ὑμῖν ὅτι εἷς ἐξ ὑμῶν παραδώσει με ὁ ἐσθίων μετʼ ἐμοῦ.

そして彼らが(クリネーに)横たわっており,そして食事をしていた時,イエスは言った.「アメーン.あなたがたに言います.あなたがたの一人が私を引き渡すでしょう.私と共に食事をしている人が」

18.1 「彼らが(クリネーに)横たわっており,そして食事をしていた時,イエスは言った」

18.1.1 「彼らが(クリネーに)横たわっており,そして食事をしていた時」

 イエスと12人は,正式の食事会の習慣に倣い,トリクリニウム(triclinium) に横になって,和やかに食事をしていた.


18.1.2 「イエスは言った」

 その時突然,イエスの口からその和やかさを破る言葉が出た.

 

18.2 「アメーン.あなたがたに言います.あなたがたの一人が私を引き渡すでしょう.私と共に食事をしている人が」

18.2.1 「アメーン.あなたがたに言います」

 「アメーン」(ajmh/n)は,ギリシャ語ではなくアラム・ヘブライ語.「真実に」「ほんとうに」という意味.それだからイエスは,日常語としてを使用していたと考えるのは,早とちり.むしろイエスは当時の公用語であったギリシャ語を日常的に使用していた.ここのアメーンは,福音書にわずかばかり散見されるアラム語・ヘブライ語とおぼしき用語と同様に,ユダヤ主義的傾向をもつ伝承者が,権威付けのためにイエスに付託したものと考えられる.

 「あなたがたに言います」の「あなたがた」とは,12人のこと.


18.2.2 「あなたがたの一人が私を引き渡すでしょう.私と共に食事をしている人が」

 イエスと共に親しく食事をしている12人の一人が,イエスを宗教貴族たちに引き渡すという爆弾発言.イエスは何を根拠にそのように言うことができたのか?どうやらイエスは神通力のようなものをもっていたと,伝承は言っている.そこがマルコの狙い.イエスは外側からの強制によって逮捕されるのではなく,逮捕されることを予知した上で逮捕されてやったのだ.逮捕劇はイエスの主導による,とマルコは言いたい.そこには,悲劇に見えるイエスの逮捕事件を和らげようとする,マルコの意図がかいま見られるのではないだろうか?悪者イスカリオテのユダ伝説に対する,マルコの抗いが読み取れる.


19 ἤρξαντο λυπεῖσθαι καὶ λέγειν αὐτῷ εἷς κατὰ εἷς· μήτι ἐγώ;

彼らは始めた/悲しむことを,そして彼に言うことを/一人また一人が.「まさか私では(ないでしょうね)?」

19.1 「彼らは始めた/悲しむことを,そして彼に言うことを/一人また一人が」

19.1.1 「彼らは始めた/悲しむことを」

 イエスと共に殉教の覚悟でエルサレムにまで来た12人.それなのにこともあろうにイエスを裏切るなどとは?伝承は劇的効果を狙っている.観客も一緒に悲しんでくださいと言わんばかりである.「ユダにはなるまじ」ということか.以下は偏見のある讃美歌の歌詞.

Lord, I want to be a christian

I don’t want to be like Judas in my heart (in my heart) I don’t want to be like Judas in my heart (in my heart) In my heart (in my heart) In my heart (in my heart) I don’t want to be like Judas in my heart


 ユダを悪者と決めつけているのは,いただけない.ユダを非難する前に,クリスチャンは自分を非難しなければならない.自分は絶対裏切らないのか?


19.1.2 「そして彼に言うことを/一人また一人が」

 「一人また一人が」の中に,私たちは自分自身を含めるべきである.ユダを非難する前に,クリスチャンは自分を非難しなければならない.自分は絶対裏切らないのか?


19.2 「まさか私では(ないでしょうね)?」

 「私」の可能性もある.


20 ὁ δὲ εἶπεν αὐτοῖς· εἷς τῶν δώδεκα, ὁ ἐμβαπτόμενος μετʼ ἐμοῦ εἰς τὸ τρύβλιον.

彼(イエス)は彼らに言った.「12人の一人,私(イエス)と共に鉢に浸している人が.


20.1 「彼は彼らに言った」



20.1.1 「12人の一人,私と共に鉢に浸している人が」

 過越の食事の場合,「鉢」(トリュブリオン)は,おそらく酢漬けの果物のシチューの入った鉢.これに苦いレタスを浸して食べた.トリュブリオンを共用するほど,イエスと親しいと思っている人が,イエスを裏切ることがありうると伝承は言っている.だれかがイエスと親しいと思っていても,妄想にすぎない場合もある.実際のところ,イエスからそれほど信頼されていない場合もある.イエスを信頼するよりも,イエスに信頼されることのほうが,重要である.


21 ὅτι ὁ μὲν υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου ὑπάγει καθὼς γέγραπται περὶ αὐτοῦ, οὐαὶ δὲ τῷ ἀνθρώπῳ ἐκείνῳ διʼ οὗ ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου παραδίδοται· καλὸν αὐτῷ εἰ οὐκ ἐγεννήθη ὁ ἄνθρωπος ἐκεῖνος.

なぜなら,その人間の息子は去って行く/彼について書かれてあるように.だが.災い(ウーアイ)!あの人間に/彼を通してその人間の息子が手渡されるところの.よい←彼にとって/もし生まれなかったなら/あの人間が」


21.1 「なぜなら,その人間の息子は去って行く/彼について書かれてあるように」

21.1.1 「なぜなら,その人間の息子は去って行く/彼について書かれてあるように」

 「その人間の息子」は,マルコ教会から見たイエスの尊称.イエスの死後に誕生した初期キリスト教諸派において,生前のイエスは次第に人間並み以上の存在に祭り上げられて行き,様々の尊称で呼ばれるようになった.「その人間の息子」は,その一つ.


21.1.2 「彼について書かれてあるように」

 後ろ盾を使って自分を偉く見せようとする,卑小な人間が使用する常套手段.他方,生前のイエスは自分自身の権威で語り行動した.

 この文言は,LXX 詩編 40篇10節に言及しているとする説もある.

καὶ γὰρ ὁ ἄνθρωπος τῆς εἰρήνης μου, ἐφʼ ὃν ἤλπισα, ὁ ἐσθίων ἄρτους μου, ἐμεγάλυνεν ἐπʼ ἐμὲ πτερνισμόν·

 そして実に,私の平和の人間が←私が期待したところの,私のパンを食べている人が,私に大きな裏切りを働いた.

 少し似てはいるが,直接の言及であるとは言い難い.


21.2 「だが.災い(ウーアイ)!あの人間に/彼を通してその人間の息子が引き渡されるところの」

21.2.1 「だが.災い(ウーアイ)!あの人間に」

 「ウーアイ」は,呪いの言葉.「地獄へ落ちよ」というような汚い言葉.伝承はユダを悪者と決めつけるだけではなく,彼に天誅を下している.福音書記者マルコは,このような下劣な言葉をはかない.ましてや,イエスとは無縁である.イエスの口から出るのは,祝福の言葉であった.


21.2.2 「彼を通してその人間の息子が引き渡されるところの」

 悪者イスカリオテのユダ伝承の真骨頂とも言うべき文言.


21.3 「よい←彼にとって/もし生まれなかったなら/あの人間が」

21.3.1 「よい←彼にとって」

 ユダに対する印象的判断.「よい」は,「美しい」「良い.ユダにとって何が美しいと言うのか?何が良いというのか?


21.3.2 「もし生まれなかったなら/あの人間が」

 生まれなかったほうが良い.他者の人生についてそこまで言うのか?どんな人でも生まれてきたことそれ自体は,美しいことであると私は思う.


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